「陸の孤島」の称号を戴く宮崎県は、外部からの批判や中傷に発奮するどころか「ですよね-」と自虐する癖が明治時代から染みついております。

その辺は別ブログで書いたことがあるので、そのまま引用しましょう(イロイロあって唐瀬原は更新を放置していますが)。

http://tansannendo.blog57.fc2.com/blog-entry-33.html

 

宮崎市にある広大な平和台公園。その一角には、御幣を象った巨大な石塔が聳え立っています。
現在は「平和の塔」と呼ばれていますが、正式名称は八紘之基柱(あめつちのもとはしら)。完成したのは、神武天皇即位紀元2600年を迎えた昭和15年のことです。
なんでこんな田舎に立派な塔を建てる必要があったのでしょうか?
それは、宮崎県に天孫降臨の地(かもしれない)というプライドがあったからに他なりません。他に自慢できるものがないと、極端な自虐か背伸びへ走ってしまいがちですからね。
先日のこと。軍馬補充部の史料を調べていたら「日向八郡人口僅か四十萬餘、九州の北海道といふ異名ある此國に於て(宮崎縣獣医會 『宮崎通信』 明治27年)」などと書いてあるのを見つけてホゲーとなりました。
「猿と人とが半々に住んでいるような気がする山の中(延岡は海辺の街ですけどね)」などと某文豪に揶揄されるまでもなく、自虐をかまし続けて120余年。そんなに卑屈にならんでもいいと思うのですが。
深い山地に囲まれて大きな港湾も無い宮崎は、昔から発展が遅れていました。それを象徴するのが西南戦争で、薩摩軍の退却戦に巻き込まれて戦場と化した挙句、戦後復興は鹿児島優先。ばら撒かれた西郷札も紙切れ同然という踏んだり蹴ったりの扱いに。
旧島津領だった都城・西諸県・佐土原地域を除く日向人は鹿児島偏重の行政へ反感を募らせ、後の宮崎県独立運動に繋がってゆくのです。まあ、鹿児島から独立したところで陸の孤島状態は変わらなかった訳ですが。
戦前の大きな転換点となったのが、岩切章太郎による宮崎の観光開発です。しかし、観光宮崎の知名度といえば九州地域が精一杯。全国へアピールするには今ひとつでした。
更に、日本の観光業界は戦争によって大打撃を受けます。昭和12年から近衛内閣が推進した国民精神総動員運動により、観光旅行が自粛されるようになったのです。反面、国家の成り立ちを訪ねる史跡巡りなどは盛んになりました。
これを機に、鹿児島県と宮崎県の間で争いが勃発します。
その主たる原因は観光客誘致。両県は、「天孫降臨の地」の称号を巡って(考古学的考証そっちのけで)熾烈な競争を続けてきました。それが戦時下に再燃したのです。自粛ムードの中でも「皇祖ゆかりの地を訪問する」という大義名分があれば、堂々と観光客を呼び込めるとあって両県は必死(以下略)。

いじらしいでしょう?涙ぐましいでしょう?
だから「天孫降臨の地?出土品を見れば九州北部だろ」とか心をへし折るようなことを言ってはいけません。
 
この県民性は感染でもするんですかね?

かつて、宮崎県へ移住した日本シェパード犬協会メンバーが「自虐自演」をかましたことがありました。

 

實を云へば、小生未だ縣外に親しく接するの経験を有せず、今度初めて當地を覗いたわけで、「地方人」としては廣意的になるかも知れぬが、何卒宮崎縣に就てのみと御承知下さい。

 

當地の犬界を督視した時、S犬に流行的傾向が濃厚である事に氣が付いた。例へば、飛んでもない雑種犬をS犬に交配させて、其の中の最優良仔(?)を選出し、養育して、得意然として市内を練り歩くのである。観衆は其れを奇とし「軍用犬、軍用犬」と喧騒する。

類は亦、類を産んで、かゝる犬種が多數を占めて居るのである。

是が向上して來ると今度は本當の犬が欲しくなる。即ち、無理算段をし、不孝をしてまでして、購ひ得たS犬は、日の経過するに従ひ運動を制限され、さては全く運動は行はれず、且食費が飼育者に應へて來る。

然し、S犬を所有する事を以て誇とする彼等は之を委託するのである。

「S犬を持つて居ります」と云ひ、「御愛犬拝見」と求めれば「訓練に預けてあります」と答ふ。委託された者は、前者と同じ轍を踏み、S犬は次の委託者に委される。斯くして轉々と飼育者は變つて行く。こんな例は都會にも有るかしら。

 

當地の所謂S犬訓育蕃殖の先導者は、軍犬班よりの一等兵殿、上等兵殿である。彼等は唯一の獣醫であり、訓練士である。中には訓練等に特に秀で、見て居ても感心せられる者も有るが、随分どうかと思はれるのが居る。

當地は蚊が多い所で、十一月でも尚、藪蚊が頻りに嘯ぶいて居る。

試みに聞いてみる。

「フイラリアは如何ですか」

「何、フイラリア。なあに、あんなものは。……それよりヂステンパーですよ。あいつは、大概の仔犬がかゝりますからね」

何とも、恐れ入つた御返答で、頗るシドロモドロである。次に訓練に付いて聞いてみる。

「伏せは軍隊で頭を地に付けぬのを、教へますか」

「いやあ、そんなものは教へんです」

此處までは良かつた。但し其の後が悪い。

「ありや、伏せじやないですよ」と。「それじや、何ですか」と聞いてやりたかつた。

※田村氏にツッコんでおきますと、日本軍の訓練用語においては、下顎を地に付ける姿勢を「伏せ」、頭だけを上げた状態は「休止」となります。

 

S犬に對する認識不足と云ふか、兎に角當地の人はS犬を懼れる事夥しい。田間に散在する農夫は遥かにS犬の接近するのを見て、妻子を顧みて注告を與へる。妻子は、道路より數間の間臨を保つて、之を慄迎する。

先日、小生がS犬を引具して畦道を散歩中、前方より來る車上の人があつた。其の人はS犬を認めるや否や、忽ち色を變じ、自轉車より飛び降り、己は畑に身を没して自轉車を楯に惶慄してゐた。

小生氣の毒やら可笑しいやらで、「何もしませんよ」と云つてやつたら「へえ」と甚だ心細い返事をした。之では運動も碌々出來やしない。

 

以上、拙文を述べて誠に赤面の至りである。然し、此の地へ來て直感した事を、面白いから諸賢にも御紹介しようと思つたのと、十月號に編輯部が「文苑」が少いと報じて居たから、少しでも、其の埋め合せの手助けになれば幸甚であると考へたのが動機で、此處に愚稿を發表した次第であります。

 

日本シェパード犬協會 田村茂雄『地方人特色二ツ三ツ』より 昭和11年11月11日

 

嫌がる相手にオノレの趣味を押し付け、その相手を貶してはマウンティングする、オタクの悪癖が遺憾なく発揮されておりますね。

日本シェパード犬協会九州支部による誹謗中傷を受け、帝国軍用犬協会南九州支部は激怒します(この時点で日本シェパード犬協会と帝国軍用犬協会は宮崎支部を設立する前でした)。ふざけんなこの野郎、宮崎県をバカにしやがって!俺が地元犬界の素晴らしさをアピールしてやるぜ!

……そう名乗り出たのは、外ならぬ田村さん自身でした。KVにも入会してたんかい。ナニやってんだこの人?

 

「お國は何處ですか」と問へば、「九州です」と答へる。

宮崎の人は「宮崎です」と答へれば「宮崎?」と反問されるのを豫期して斯く答へるのである。近年、彼の村社選手や川越大使の活躍により、稍其の存在を認められる様になつたとは云へ、其の犬界に話が及ぶに至つては、或人は意外の報道に好奇心の耳を傾け、他の幾人かは、嘲笑的體度を以て、之に臨むであらう。

然し、私は偶然にも、此の地に足を止むるに及び、敢然として、前者の仲間に飛び込んだのである。私は當地に來て未だ幾日も経過して居らぬ。従つて當地の犬勢についても、熟知しよう筈が無い。

然し、地方の研究家を歴訪して、其の観た處、聴く處を、綜合して考へる時、想像以上の發展と犬熱とを認知する。今より述著する中に、些かでも、日南の犬勢を認めて戴けば、慶賀之に過ぐるものはない。

 

私は先づ、數量的なものを具體的に述べるとしたい。

1.會員―二十三名。其の中、日本シエパード犬協會とに跨る者が三名、亦地方團體として宮崎軍用犬倶楽部なる組織あり。

2.犬數―約八十頭あり。然し其の中、適種犬として充分價値を認め得る犬が約半分。之を親別に分ける。

Zenit vom Haus Schütting 八頭

Xeno vom Haus Schütting 四頭

Iwar vom Lüppenhof 三頭

Curt von Herzog Hedan 二頭

Baldo von Anderten 一頭

Schutz vom Haus Schütting 一頭

Wigand vom Blasienberg 一頭

S犬種は右の如きである。其の他のエアデール・テリア及びドーベルマンピンシエルは殆んど其の姿を現さない。

3.入賞犬―土地の犬勢を論じ、盛衰を最も簡潔に報告する。入賞犬數は、残念乍ら頗る少い。之は勿論犬數の少なる事にもよるが、地方人の消極的思想に関する原因を見落とす事は出來ぬ。

Conti von Verland 岡山、甲子園、大分展に於て

Cora von Verland 昨秋熊本展に於て

Hella von Kobe 甲子園、大分展に於て

Gerif vom Ichirakusow 熊本、大分展に於て

大體は斯様である。以上述べた中或はもれたものが有るかも知れぬが、何卒御容赦願ひたい。

 

諸賢御承知の如く本縣は、外的から云つても内的から見ても刺戟は殆んど絶無である。軍隊は都城に小規模に控えて居るに過ぎず、之に依る軍犬思想の勃興としても到底覚束ない。従つて會員や犬の少數なる事は必然的現象である。之加、前にも述べた如く地方人は非常に消極的であり、自ら率先して軍犬普及を計る様な考へは毛頭なく、自己の有する愛犬心は、自己獨占の物として埋蔵するに止まるのみである。中央部より遠離して居る事、有力者の少い事等、最もな原因であるが、それなら其れで今少し、發展促進する餘地を見出さゞるを得ぬ事、十二分である。

 

既述の犬數の親別に分割した表によつて論述してみる。先づ一覧して判る事は、一流犬の直系が少ない事である。之は、有力者の少ない事、消極的姿勢を有する事、即ち引いては、犬熱の盛ならざるを示す。今流行の寵兒にあり、名實共に謳はれ、血統を無視してまでも、誰しもが交配を要求するオーデインやベロの仔の居らぬ事も、是等を示現するのに充分であり、更に隣縣のボトウインの仔だに見當らぬ事に至つては、一抹の悲哀さへ催したくなる。

反之、二流犬の直仔は比較的に多い。然し、之も以前大坂に居住したK氏の一人の活躍によるものと聞かされた時、亦もや失望を感ぜざるを得ぬ。是等の二流犬は(少數の一流犬を含む)大阪を中心として有るのである。

 

私は、初めに宮崎犬界は發達して居ると云ひ、今は濫りに貶下した。然し、それは地方人の進取改良的精神の乏しい事を罵倒したのであつて、實はやはり感心して居る。

然らば如何なる點に於て賞讃して居るかと云ふ事に就いて述べるとする。

帝犬と軍用犬倶楽部とを兼ねた事務所より一丁北東に進めば、訓練所がある。會員共同出資にて建設せられた訓練所であつて、約三百坪。萬全の設備を施し、堂々と板壁や金網で囲らした偉景は、私は神戸にも未だ嘗て見なかつた。

常に住人位の會員が集まり、鳩首して、訓練の研究に没頭して居るのを見て全く感心した。元より上手ではないが、其の熱だけでも大變なものだと思つた。

この程度を表すのに跳躍を以て之に充つれば、板壁三米突、高飛一米突三十五、輻跳三米突位(最高を示す)である。どの地方に於ても有る共通性であるが、都會の犬に比しては、生氣に充ち、活力性に富み、總體的に於て、都會犬は敵するを得ぬ。

體型はよし劣らうとも、此の活氣性に豊富な犬が、一度良い指導手を得、欣然と訓練されたら實際恐るべきものである。昨今の優賞犬大會に都會犬の惨敗を取つたのも成程と頷かれるのである。

 

今まで私が述べたのは、雑然とした大概を書いたに過ぎない。然し、賢明なる諸氏は必ず宮崎犬界の大略を知つて下さつた事と思ふ。私も豫期せぬ所から、大いに教へられる所があつて、誠に有意義であつたと考へる。

之は、當地の人の發表するべきを私が受賣したのであつて、題目には「報告」とした方が妥當とも考へたのであるが、せめて題目だけでも立派なのをと思ひ、麗々しく愚稿を重ねた譯、誠に赤面の至りである。

末筆乍ら、色々の調査に盡大な御便宜を御計り下さつた喜田氏に對し、紙面を以て御禮申上げる次第である。

 

帝國軍用犬協會 田村茂雄『日南犬勢概略』より 昭和12年1月

 

 

JSVとKVを行ったり来たりしながら憐れんだり貶したり、田村さんの蝙蝠的マッチポンプは何が目的だったのでしょう?

彼の真意はともかく、日中開戦前の宮崎犬界をうかがい知れる貴重な記録には違いありません。