関西地方で普及したブルドッグは、大正後期には関東へと伝播。昭和初期まで大ブームとなりました。

その辺を主導した人々について。

私がブルドツグを始めたのは二度目に東京へ定住することになつた大正十三年、即ち震災の翌年のこと。先生は福田梁水氏である。

その頃一緒にブルドツグをやつた仲間で、今日なほ犬界に知られてゐるのは引續きブルドツグをやつてゐる伊藤治郎氏、山崎茂氏、前川太郎兵衛さんはその頃はまだ部屋住みのお坊ちやんであつた。それから鶴見孝太郎氏、今日エアデールに転向してゐる進藤光之助氏も、その頃はブルドツグ當であつた。

その他、肉屋、大工、玩具屋、わんたん屋等のブルドツグフアンで、今日なほ顔馴染の人も尠くない。

これ等のブルドツグフアンでクラブを作り、月一回福田氏の家に集つてブルドツクの仔犬の抽籤會をやつたことがある。會費一圓、會員は三十名程で第一回の時は時價五十圓位の仔犬を買つて當選者は大喜びをした。

ところが第二回の時は當選者は大得意であつたが、仔犬は抽籤を終るまでバスケツトに入れて誰にも見せぬ規定になつてゐた。扨て蓋をあけて見ると、前回とは似ても似つかぬ馬のやうな顔の長い仔犬に當選者はびつくり。一同は腹をかゝへて笑つたが、これがたゝつたか抽籤會はこの二回であとは立消えとなつた。

中島基熊『我が犬友』より 昭和9年

 

流行が去ったブルドッグは姿を消していきますが、価値が下がったワケではありません。熱烈な愛好家は残っていたらしく、戦時中も高額で流通し続けています。