明治初期から来日していたにも拘らず、希少犬であり続けたラフコリー。

過去から現在に至るまで働き口である牧羊業が発展せず(温暖湿潤で放牧地が狭いのです)、そうこうしているうちにライバルのケルピーとシェパードも来日し、親睦団体が結成されたと思ったら関東大震災で壊滅し、再スタートを切ったのが日中戦争の前年というタイミングの悪さ。

大規模な綿羊事業が展開された満洲国でも、満鉄と満洲軍用犬協会によるシェパード普及活動でコリーには参入の余地すらありませんでした。

 

今春のコリー犬協會の展覧會は五月十六日に報知新聞社主催の日本畜犬總合共進會を後援して同會の會場で行なわれました。同共進會は靖國神社の境内で擧行された爲、會場は参道を中心に左右に二つに分たれ纏りが無く、餘り感じの良い物ではありませんでした。

吾等のコリー部は會員諸氏の努力により十餘頭の出陳あり、相當見耐へのするものでした。現在の様にコリーその物も會員も少く、而も今回の様な展覧會に十餘頭も出陳された事は先づ成功であつたと思ひます。各出陳犬に付ての批評や成績は、審査された方々より御發表があると思ひますので此處には控へます。

私が何時も犬の展覧會を見ては熟々考へる事は、コリーは何故もつと普及しないのだらうかと云ふ事であります。コリーが如何にリフアインされた犬であり、外觀は美しく貴族的で、加へるに訓練して其効率の良い事等は私が今更此處に事新しく書立てる迄もなく此の「コリー犬」を御讀になる程の人は先刻御承知の事でありませう。又シエパードやエアデールテリヤやドウベルマンピンシエル等所謂軍用犬と比較しても優るとも劣らざるものである事も御存じでせう。

それなのに、あゝそれなのに。前記軍用犬の飼育者の無數にあるのに引換へ、コリーの愛育者の少い事全く不思議な位です。勿論此には許多の理由もある事でせうが、其の中でも最大の理由は宣傳の有無でせう。而も内地産犬が親より仔、仔より孫と次第に劣惡に成て行く今日に於て一層考へずには居られません。

最近或コリーの牝にシーズンが來たので婿殿候補者を二頭擧げました。一方で失敗しても他の方と背水の陣を引いた積りでした。然るに運の惡い時は仕方の無い物で、一方はコンデイシヨンが惡く、他の方は不注意の爲に遂に二頭共に失敗して終ひました。サア斯う成とコリーの少い現在ではもう次に頼むに足る様な優秀犬の心當りもなく、止む無く半年を無駄に過すか、みす〃惡いと知りつゝも親と仔とか兄弟犬とでも交配させるより外に方法がつかず、全く困り果てた次第でした。

此様な不運はそう度々ある事とも思はれませんが、今日の様にコリー犬も愛育者も少い状態では良犬を生産する事は兎に角困難な仕事であります。又次第に犬が劣惡に成るのも無理からぬ事に思われます。斯くては吾等のコリー犬協會の目的にそはぬ事になります。我々コリーを愛する者に取ては此以上の悲みは無い事と思ひます。

我々會員はコリーの優秀性には充分の自信を持つて居る者でありますので、必要以上の空宣傳は望みませんが、何とかもつとコリーの普及を企て、一層改良して良犬の増加を計りたいものです。幸ひコリー犬協會の基礎も確立された今日ですから、協會を中心に各會員が細胞となつて一段の努力をしたならば、コリーの改良も、愛好者の増加も其結果は期して待べきものがありませう。

又春秋の展覧會は一般大衆に内客外觀共に勝れてゐるコリーを認識してもらう絶好の機會でありますから、出來る丈の力を盡して頂きたいと思ひます。

コリーの犬籍登録制度も三上先生(※洋画家の三上知治)や金子氏等の御盡力で出來上りました。現在のコリーは日本コリー史の第一頁を飾る犬達であります。血統の鮮明は今後の改良蕃殖上唯一の指針でもあります。會員諸氏は愛犬の爲コリーの爲、奮て登録される事を願ひます。展覧會の感想を書く積りが大脱線致しましたが、與へられた紙數も既に超過しましたので擱筆致します。

 

服部宣和『展覧會を觀て』より

 

「日本コリー史の第一ページ」は、しかし戦時への突入によって停滞期を迎えることとなりました。