戦前の闘犬界では、犬ばかりではなく闘犬家同士のバトルに発展することも珍しくありませんでした。勝敗の判定を巡っての暴力沙汰、自分の犬の悪口を言われての殴り込みなど、そちら方面の乱暴狼藉は枚挙にいとまがありません。

頭に血が昇った結果、珍妙な勝負をやらかした人々もいました。それが、浪曲師の東家楽燕( 岡部六弥 )です。

 

 

「大道で叩くか髪を切るか」

此見出しを見たばかりでは、如何にも夫婦喧嘩の文句の様であるが、次第を話すとこうである。

事の起りはケンネル倶楽部(※闘犬団体の東京ケンネル倶楽部)の取組の中にあるチヨコと小松の取組である。或る一日浪花節の御大、楽燕が「俺の犬は強いなあー」と縁先で愛犬小松を眺めて御座ると、ヒツコリ訪問したのが漆黒の長髪腰に及ぶと云ふが御自慢の新聞記者樋口某氏である。

「楽燕殿、お前は只今自分の犬が強いと御自慢の獨言であつたが、お前の犬などは遠く及ばないと云ふ剛の者が有るよ」と申すと、楽燕殿「其れは聞捨にならぬ。俺の犬の向へ廻る奴が有つたら連れて來い」と鼻息頗る荒い。

長髪氏も向きになり「よしそれでは連れて來る」と、有名な浅香のチヨコを推撰した。そふして「俺が推撰したチヨコはお前の犬には決して負けない。萬一負けたら俺れは命から二番目の此長髪を根元からプツゝリ坊主になる」と云ひ出すと、楽燕氏よせば好いのに行き掛り上止むを得なかつたのか「ヨシお前が髪を切ると云ふなら、私は今日では浪界で人に少しは知られて居る男だ。定席の撰り好みをして、けちな處では遣らないが、俺の犬が負けたなら大道でも浅草観音の廊下でも何處でも仰せの場所で一段叩きます」と此處に飛んだ契約が成立した。

 

約束の日は六日(※大正3年12月6日)であつた。

此日先づ自動車で楽燕氏は愛犬小松をケンネル倶楽部の土俵へ送り込み、今に來たら一と咬みに、あの長髪を切つて呉れんと待つて居ると、此日雨模様で遂にチヨコは乗り込んで來なかつた爲、雨と共にお流れとなり、引いて十三日晴れの場所で一と試合と云ふ事になつた。

之れを聞いた見物は頗る興に乗り、楽燕が叩くか相手の長髪が坊主になるかと待ちに待つたが、當日の番組で見るで、曰く岡部のチヨコと岡部の小松と云ふ張札で、見物一同オヤ〃〃で梟(けり)が付く。して當日の勝負は勿論小松の部が悪かつた。

 

 

……楽燕こと岡部さんの犬と岡部さんの犬が闘ったんですか?浅香さんじゃなくて?何かの誤植かと思ったら、本当に岡部さん同士の対決になってるわ。

途中で我に返ったか、このウヤムヤで手打ちというコトなんですかね。

主人のしょーもない喧嘩に巻き込まれ、代理戦争をさせられた犬こそがいい面の皮ですよ。

 

 

チヨコは例の浅香のチヨコと称して有名な奴。目下の日の下開山である、喰い付いたら雷様の鳴るまで放さぬと云ふ物凄い奴(之れには別項の珍談もある)。

立ち上り小松耳に行く。チヨコ耳を取られたが、此んな事は朝飯前。パツと振り切つて、チヨコ耳を取り、美事引倒す押いて〃押い付けた。

小松も必死と堪いたがチヨコがこう咬いだら放すもんぢやない。死ぬ迄放さぬ……。

死なれては一大事審判員から分けろとの御聲掛りで、引分けやうとしたが、いつかな放さぬ。押せども引けども、耳を吹く鼻を摘む湿れ手拭で鼻を塞いでも放さぬ。

此調子では小松の首が千切れるまでは放しそふもない。漸く水を打掛て引放す。戰の時間より此時間の方が長かつた。

チヨコの之れには主人の浅香氏も手古擦つたのであると。

『東京三ノ輪の戰雲・壮絶快絶の東京ケンケル倶楽部』より 大正3年