北欧からスコットランドへ渡り、現在の姿へ品種改良された牧羊犬。

明治初期の緬羊事業導入によって来日したラフコリーと比べ、ボーダーコリーの来日時期はよく分かっていません。それらしき牧羊犬の写真が何枚か確認できる程度です。

 

札の原放牧場

戦前の長崎にて、ボーダーにしてはフサフサ感が足りないような

 

牧羊犬

これもそうですかね。

 

イロイロ探したところ、ようやくボーダーの来日記録を発見しました。

7月の盧溝橋事件や通洲事件、8月の第二次上海事変と、日中関係が急速に悪化していった昭和12年のお話です。

 

七月一日

會員海老名氏(※栃木縣種畜場勤務の海老名孝一郎氏。ポン公の飼主)より來書。今日午後四時頃、横濱解纜豪洲へ行くといふのである。好いコリーが居たら買つて來る積だといふ嬉しい便りである。丸の内の郵船へ行つて尋ねて見ると、室蘭丸出帆は明日に延びたとの事。明日は自分は残念ながら用事のため見送りに行かれないので、手紙を以て御挨拶をした。島根縣の中村氏から仔犬分譲について問合せがあつた。直に返信する。

 

栃木縣種畜場のポオ(ポン公)についてはこちらをどうぞ。

https://ameblo.jp/wa500/entry-10353531637.html

 

七月三日

昨日催促をした爲か會報が印刷出來送届けられたので、早速折つて封をする。出版届けを出す。

 

七月四日

海老名氏より出帆が又一日延びたといふ知らせが來た。

 

七月六日

伊藤賛助會員(※伊藤治郎氏)の紹介にて静岡の杉本一彦氏へ規則書を送る。

 

七月八日

山中氏(※山中英司氏)より血統書印刷について委員と面談したいと言つて來られたので、金子氏(※金子忠雄氏)に電話して打合せる。午後高橋成就氏來訪。山中氏より印刷(血統書)の校正が來たので直に書入れて返事をする。

 

七月十一日

集つて來た會費を郵便局へ受取りに行く。金子氏より電話。明日委員會を開く豫定であるが、同氏は御親戚に取込みがあつて拠無く缺席すると言つて來られた。

 

七月十二日

今日は血統書について其の委員會といふので豫定の集合地新橋驛へ行つて見るが誰も來てゐない。一向誰もやつて來る氣配もないので遂に待ちくたびれて了ひ、腹も空つて來たので、書置きをして、銀座の千疋屋へ服部さん(※服部宣和氏)と只二人切りで入り込み定食を注文して悠々とやらかして居る處へ、山中さん夫婦小さいお嬢さんを連れて上つて來られた。血統書のゲラ刷を見せて貰ふ。大へん良く出來たので大いに氣を良くする。九時半頃散會。

 

七月十八日

夜行で自分は北海道へ行く。是から四十日間滞道中、事務休業。

 

八月廿八日

二晩續いた汽車寝台で不足勝ちの睡眠を漸く取戻したので、久し振りの自宅に留守中堆積した用事を片付け始める。留守中に入會された方は静岡市の杉本さん、麹町の吉川さん(※吉川菊子氏)の二人。吉川さんは過日の展覧會でコリーを見られてコリーが好きになり、一頭求められた由。

午前中海老名氏の知人で藤田益弘さんといふ方が見えて、御愛犬のコリーを訓練所へ入れたいのだが、然るべき處を紹介せよと言はれるので、高橋成就氏に電報して都合を問合せる。藤田氏は一旦辞去されたが、二時頃再び犬を連れて來られた。犬は海老名氏のポン號の直仔で十一ヶ月だが、未だ何の訓練もつけて無いとの事。併しポンの系統なら馴練は受合いだから期待する事が出來よう。恰も高橋氏から返電があつて、直ぐに犬を送られたいとの事であつたから藤田氏は早速犬を供つて出發された。深川の野田粂之助氏來り入會される。

 

八月廿九日

北里研究所のシュートンサツク秀雄氏(マーク・シュートンサック氏)より、過日逐呈のテンパー豫防成績(※北里研究所製ジステンパー豫防液のこと)について報告要求あり。犬も多量に用ゐたらしい高橋氏にその旨傳へる。

 

九月一日

横濱印刷所から血統書台紙が五百枚出來届けられた。

 

九月二日

登録係の金子氏に差當り血統書用紙を廿枚だけ小包で送る。

 

九月六日

久しぶりにて海老名氏より來書。

前略 旅行も無事去る三日横濱入港、只今滞在中十日任務を終へる豫定です。今回コリー(ボーダー)二頭、緬羊と共に積みました。詳細は後日面接の折申上ます。先は御挨拶まで。早々

 

九月十一日

金子氏出來上つたペチグリー拾數通携へて來訪。余の署名を求めらる。今秋の展覧會の話が出る。

 

九月十四日

血統書を發送する。今回の血統書は山中氏苦心の所産で、紙は日本紙の手すきで裁断なしのすばらしい處へ石版三度摺りの印刷で、考案は関根氏(※関根未知氏)が推稿の結果出來上つた實に美事な血統書で、他に比を見ざる綺麗さだから、四折りにして封筒にいれるのは惜しい位であるからボール紙の筒にいれて、一々書留で發送した。

日本コリー犬協會 橋本喜久雄「事務所の日記」より 昭和12年

 

このとき栃木へきたボーダーコリーのその後については、残念ながら不明です。関東大震災の痛手から再起動した日本コリー界も日中戦争勃発によって活動は停滞。太平洋戦争が始まる頃には記録すら激減してしまいます。