六月十五日

鹿兒島高信氏より子安農園森下氏を通して來書あり。

同氏は鹿兒島コリー倶楽部の理事で、同市鴨池公園動物園(※平川動物園の前身)に関係深く、従來コリーの蕃殖地と自負して居たる鹿兒島市でも、近頃は其品種退化し昔日の感なく、市民よりも當地本家の動物園のコリーが僅か三頭となつて、斯の如き状態にては心細いとの聲さへ聞こえ、倶楽部員の内より優秀なる犬を得たいと思つても何分蕃殖數寡く手に入れ難い。

子安系(※神奈川子安農園羊犬部が繁殖したコリー)にて優秀なるコリーあれば、市にても豫算がある事故、是非牡牝二頭鹿兒島市動物園の為めに求めたいが、子安系がなければその他の物でも結構故(仔犬ならば四ヶ月以上)御世話を御願致したいといふ意味である。

早速返事を出しましたが、高信氏御希望の如き犬は現在のところ残念ながら、今のところ心當りがありません。

 

枝庵「事務所の日記」より 昭和12年

 

書庫で日本犬関係の文書を漁っていたら、行方不明だったコリーの史料を大量に発見。面白い話が満載で眠気が吹っ飛びました。

鹿児島のコリーの記録は偶に見かけるのですが、戦前にコリー愛好団体まであったとは……。更に動物園でコリーを飼っていたとは……。

しかも鹿児島がコリーの繁殖地だったんですか?さすがに暑かろうと。

 

残念ながら、同時期に子安農園は羊犬部を廃止してしまったんですよね。

日本コリー史に関する新事実が次々と出てきて鼻血が出そうなんだけど、日本犬の記事が捗りません。