満州事変における軍犬武勇伝と軍部の軍犬整備豫算が通過(第64議会にて)した報道のせいで、日本にシェパードブームが到来したのが昭和8年のこと。

日本シェパード倶楽部(NSC)の犬籍簿を狙った陸軍が帝國軍用犬協會を発足させ、遂にはNSCを強制合併してしまった年でもあります。

ブームと混乱に便乗した悪徳畜犬商たちは、シェパード界に狙いを定めました。

 

 

最近二通の書面を受取つた。欺かれたるもの、乃至欺かれんとする危惧の情を、最も深刻に表現して居る。

畜犬商は其素質を向上しつゝある。併し右の書類によるときは、尚依然として不良なる畜犬商の存在する事を断ぜねばならぬ。多數の畜犬商の中であるから、必ずしも間違ひの發生がないとは言へぬ。

併し相應に舊舗であり、又世の中からは信用あるが如く見られ、自分自身も亦立派なる畜犬商の如く誇称宣傳して居るものとして、尚且つ甚しい不愉快なる話題をドツグ・マンに呈する事一再ならずわれらが之を聴くは、誠に遺憾に堪えないのである。

 

手紙の一ツ

 

「私は當市にその日暮しをして居ります名もなき商人です。クラブ會報も實際ほしいのです。

けれども私共の家庭の経済が許しません。で、私の弟が東京で奉公して居りますから、その弟が古い會報を集めて送つてくれます。それを讀んで一心にシエパードを研究して居ります。

實は一年半前に一頭犬を買ひました。實際思ひ出してもくやし涙が出ます。

おきゝ下さい。

犬を買ふのはお國のためであると、私は食べるものも食べず、着るものも着ず、倹約に倹約をして血の出るような金を一百二十五圓五十銭をためました。それは一年半がかりでした。

その金を見た時は實にうれしくて〃たまらなかつたものです。

サア、シエパードが買へる〃、しかし犬を連れてきてもハウスがなければいけないとビール箱で二日掛りで作つてやり、いよ〃犬を買ひに出掛けました。

汽車に乗つて居ても、シエパードで頭の中は一パイでした。御察し下さい。一年半掛りで血の出る様な思ひをして、仔犬が手に入る時の氣持を其の時に日本には日本シエパード倶楽部と云ふものがあると、僕にわかつて居ればこんな失敗はなかつたのです。

田舎者でとう〃犬ブローカーの悪い奴に引掛つてしまひました。

○○驛前の小路を入つた所の犬屋、一頭生後五ケ月と云ふ犬を買つて帰りました。百五十圓と云ふものを二十五圓引いてもらひ、百二十五圓で買つて参りました。

半年位は身も心も犬に入れ、實際犬と共に六ケ月ばかり暮しましたが、成長するに従つて、シエパードの如くなりません。尚朝晩訓練しても、さらにだめです。

之れは変と思ひ、東京の弟にシエパードに関する本があつたら、一部送れと申入れてやりますと、夜店で買つた倶楽部會報の古を一部送つて來ましたので、其れを参考にして調べると、どうもシエパードでは無いらしいのです。

其の時の驚きは、實際失神した様になつてしまひました。其れから北海道に行つておられた、大井様と云ふシエパード通の人が帰つて來られましたので、見てもらひましたら「これは秋田犬のくづれだ。其の邊にゐる野良犬と同じだ」と云はれ、がつかりしてしまひました。

實際くやしくて〃、血の様な金で買ひ、身のふつゝかと申し乍ら、ですからもう犬は買ふまいと思ひましたが、こんなことでは人間は何をやつても成功しないと思ひ、昨年の八月からまた出來ない乍らも貯金し初めたのです。

今でもシエパードの為めにと言つて経済の許す限り少しづゝやつて居りますが、私は名犬の子を欲しいのです。實際名犬の子を欲しいのです。

御金は高いでせうがかまひません。高ければ高いで、私はシエパード犬の為に今一と苦労して見たいのです。

そして立派な名犬に仕立て一朝國家有事の際は従軍させ、御國の為めに盡させ度いのです。

私は手紙は實際下手で、私の心の中に思つて居る事をすら〃書けないで御わかりにくでせうが、若し少しでも私の氣持ちが御わかりでしたら、是非良い犬の子を一匹御世話下さいませ。御願ひ致します。

系統は立派な子を御願ひ致します。其の節代金の儀も御知らせ下さい。

御多忙中恐れ入りますが、御返信を御待ち致して居ります。先づは御願ひまで」

長野縣 宮澤實氏

 

「今度は決して獨断でお買ひにならず、クラブの理事に御相談をなさい。それは最も安全なる方法です。併し百圓やそこらの損害はまだ軽い方です。之れと同じ手で二百圓三百圓、ある人は七百圓と言ふ大金をしてやられ居ります。貴方はまだ軽微な方ですから、幾分氣をよくしてもいゝです」

中島基熊

 

日本シェパード倶楽部係 「君は耳に僕は尾に」より