飼主の注意

犬や猫を飼ふ人は其の動物に對して相當の注意をはらつて貰はねばならない。

中には随分躾け方の悪い犬や猫が居るので、常に其近所達の人々に非常に迷惑をかけて居つても、飼主が之れを少しも知らぬ事がある故に、罪もない其飼主が犬や猫の為めに蔭で非常に悪く思はれて居るものがあるから、犬や猫の飼主たるものは大に注意すべき事であらうと思ふ。

之れは亦私共の立脚場として云はねばならぬのである。

 

猫を嚙む癖の犬

猫と犬とは元來餘り仲のよいものではないが、夫れでも躾け方に依りどうでも出來るものである。

猫が犬に嚙まれて、負傷して私の方へ診察に來るのが少くとも月に五六頭はある。夫れには色々原因もあるが、猫を見ると只もう無闇に嚙み附きたくてならない癖の犬が居る。場合に依りて人も嚙む。

勿論癖とは云ふものゝ狂的で一種の病である。

此病気は私が八年の間に漸く三例しかみない位で、最も尠いものである。而して夫れも皆東京で診たものであるが、多くの場合は狂犬病と誤診さるゝのであつて、剖検と動物試験との結果に依而定るのである。

幸にも當石川縣では二三十年間も狂犬病が發生せないのは我々人畜にとりて、此の上もない結構なる事ではあるが、近く岐阜縣まで來てゐるのだから決して油断は出來ぬ。

目下私の病院へ骨折と股関節脱臼等で入院して居る金澤市の太郎田氏の猫は、附近の某材木屋の犬に嚙まれたのであるが、其犬がふとしたら病的のものであるらしい。今日までに随分澤山の被害猫があると云ふ事である。

 

猫の嫉妬心

又猫同志の嚙み合ひがあるが、就中猫兒と牝猫が牡猫に嚙殺さるゝ場合が最も澤山にある。

又嫉妬心に依つてやらるゝのが珍しくない。一體牡猫は其發情するとき非常に夫を選ぶもので、どんなに執固く口説かれても自分の好まない牡には決して許さないものである。

故に牝を口説いた牡が其後牝の妊娠して居るのを見ると、嫉妬心を起して嚙みつくのである。

過日も金澤停車場前の高田三郎氏の飼猫が最早や臨月に近き肩で呼吸して居るのを、例の肱鉄をくはされた牡が見付けて忽ち嫉妬心を起して、其横腹へ嚙付いたのである。

私が往診したときは傷口から大腸小腸殆んど全部が脱出して、實に惨憺極まるものであつたが、整復してから一日を経て斃れて仕舞つた。

こんな例は又珍らしくはない。動物の本能を露骨に發揮すると云ふのは確かに此等を云ふのであらう。

 

猫と鶏の雛

猫は鼠を捕つてさへ居ればよいのであるが、鶏の雛を捕る事も中々上手なものである。勿論犬だつても油断は出來ぬが、猫よりか其被害は尠ない。

何れにしても、餘程注意して貰はねばならぬ。此頃鳩大になつた雛を今日も一羽、明日も一羽と捕られては、どんな人でも腹の立つものはない。

さりとて一々飼主へ厳談を申込むと云ふ譯にもゆかぬものであるから、鶏の飼主が捕られぬ様に注意するは勿論であるけれども、犬や猫の飼主も亦そんな事がないか、あつてはならぬと常に注意を怠らぬ様にして貰ひたいものである。

大正三、一〇、二八

 

金澤家畜病院 吉田雄次郎「犬猫の飼主へ」より