記者「阿片を携行してゐるのを臭で發見するといふのはやつて居りますか。もと青島でやつてゐたが百發百中だつたと聞いて居りましたが」
柚木崎好武大尉「それは聞きませんでした。そこ(満州国税関監視犬育成所)には六十頭からゐますよ。貴志さん(貴志重光元陸軍少佐)が主任でやつて居りますが、今は別の人に任せて主として税關の方をやつて居る様でした。周水子の方の訓練は丁度テンパーが流行して居つたためにゾツとして行きませんでした」
記者「テンパーはどうですか」
柚木崎「内地に比べ向ふも相當多いですよ、氣候等の關係もありませうか」
記者「周水子の訓練所は税關の方でしたかね」
柚木崎「いや鐡路總局の育成所です。その施設としては内地では到底思ひもよらない様な大規模な訓練所だそうですがね」

『陸軍歩兵學校軍犬育成所の柚木崎大尉に訊く』より 昭和12年

 

東洋における麻薬探知犬史は、山東省青島で始まりました。
そのノウハウは青島公安局から満州国税関へ伝授されます。ただし上記を読むと、当時の畜犬関係者すら殆んど知らなかった模様。
しかし柚木崎大尉、第一部に載せた黄瀛歓迎座談会に出席しているじゃないですか。中国軍の李少校が話した阿片探知犬を、たった一年で忘れてしまったのでしょうか?

 

【満洲国の税関犬史】

 

青島公安局に倣い、満州国税関は昭和7年より税関犬の配備に着手しました。

当初は関東軍奉天軍犬育成所で訓練法を学び、その後は独自に税関監視犬育成所を設置。それらの犬と税官吏を満洲・朝鮮の国境地帯に配備して、密輸業者の越境取締を展開しました。

下記は、税関監視犬育成所が設立されたときのニュースです。

 

滿洲國財政部は國境關税線を潜行する脱税監視業務に軍用犬を活用せしむるため昭和七年(大同元年)初めて之を試用し、從來防止至難とせられたる密輸業者捕縛に大成功を収めたる實績に基き、昭和十年(康徳三年)奉天北陵に税關監視犬育成所を開設して、計畫的に監視犬を育成補充することなれり。

 

税関

満洲国税関監視犬育成所。元々は張学良の別邸でした。昭和10年

 

その後も規模を拡大していった満州国税関監視犬ですが、残っている記録も個々の出動事例が中心。税関全体における運用方針などについては、資料がなかなか見つかりません。

書籍でも、藤井多嘉史( 満州国税関出身) 著『聴導犬ロッキー』や、今川勲著『犬の現代史』において簡単に触れられている程度ですか。

満洲軍用犬協会の座談会で、志賀税関長による貴重な証言が残されていたので引用してみましょう。

 

朝倉

志賀税關長の監視犬についてのお話を。
志賀

監視犬は先づその濫用を禁ずると共に危害を加ふるが如き犬の行動を極度に避けてゐます。監視犬は日本内地にはありませんが、滿洲では國境税關の内圖門、山海關、瓦房店、安東の各税關に配置されてゐますが、大體監視犬の育成は財政部の頃、遼陽軍用犬本部内に於て行はれてゐたものを、康徳二年奉天北陵に移轉、本格的訓練を開始し、その育成方法と統轄指導に経済部が乗出し、主事は奉天税關監視科長の兼務を見ることになり、監視犬の配置を受けてゐる各税關には犬舎長をおくことになり、その訓練と利用は異常なる積極性を帶び今日に及んでゐます。
現在の監視犬配置数は山海關二七、安東二四、大連二五、圖門三〇で育成所に六十四頭ゐます。
高木

育成所は相當の設備があるのですか。
志賀

あります共。毎年七萬圓の経費を計上してゐます。

鴨緑江日報『軍犬座談會』より 康徳7年 

 

【満洲国税関の麻薬探知犬】

 

満朝国境で暗躍する密輸団の中には、阿片の運び屋も混じっていました。これを阻止するため、満州国税関では阿片探知犬の訓練に着手します。
しかし、満州国税関監視犬による密輸犯検挙記録は大量に残っているものの、阿片に関するものはナカナカ見つかりません。
「税関犬が密輸犯を捕まえて見たら、阿片を所持していた」という事例ばかりです。

 

康徳五年十二月二十四日正午、距江分關勤務若園監吏は監視犬アレツクス號を帶同し、劉鳳楼巡役と共に三道溝方面に向け氷上を巡邏中、午後一時頃對岸より渡來する擧動不審なる一人を發見し接近するを持ちて誰何したるところ、彼は矢庭に逃走を企てたり。
依て若園監吏は機を逸せずアレツクス號に襲撃を命ずるとと共に、直ちに劉巡役と協力、之を追跡したり。
アレツクス號は命令一下猛然と之を襲撃し、彼をして逃走を斷念するの已むなきに至らしめ、人犬協力克く之を逮捕し二道溝監視所に連行の上、身邊捜索の結果、衣下に生阿片五,〇一〇瓦を隠匿しあるを發見。之を押収す。押収品 生阿片五.〇〇瓦」
『税關監視犬月報』より 昭和13年

 

こういうモグラ叩きばかりで、越境して麻薬アジトへ踏み込む壊滅作戦は不可能でした。日満両国の連携は上手くいかず、満洲国税関としては侵入してきた密輸犯を捕え続けるほかなかったのです。
限られた港湾内で活動していた青島公安局と違い、長大な満朝国境における阿片取締は簡単にいかなかったのでしょう。

 

税関犬

満洲国税関監視犬育成所メンバーと国境監視犬たち。

 

世界でも珍しい「対人戦闘犬部隊」であった満洲国税関監視犬。警戒・伝令・運搬といった地味な支援任務に徹する日本軍犬と違い、連夜の如く密輸業者とのハデな格闘戦を演じていました。

そんな彼らの中でも特異な存在だったのが、阿片探知犬でした。その訓練マニュアルをどうぞ。

 

一瀬欽哉氏『犬による“アヘン”の捜査について』より

小生が戦前、満洲国税関監視犬育成所に在職中に手がけたアヘンの専門捜査犬について、参考までに参考までに述べてみたいと思います。

ふつう阿片“アヘン”とは生阿片を指すのであって、それはちょうどコールタールを固めたような形態と、生臭いような独特な臭気をもっています。

このアヘン臭については、経験の深い専門職によれば、その臭いによって純粋度や品質を知ることができ、また熟練した税関吏はその所在の近辺を通行したときに、一瞬アヘン臭を感ずるといいますか、ふつう素人では現物を手にとって嗅いでみて、はじめてその生臭いような独特な臭いを知る程度です。

このような特殊な臭気に着眼して、はやくから税関監視犬育成所では、これの専門捜査犬の訓練に着手したのですが、一般旅客を対象とする現地税関では、旅客に対する人権問題を考慮して実現化しえず、単に育成所において実演犬とした程度でした。

まもなくアヘン取締りの総元締である禁煙総局(煙草の禁煙にあらず。煙はアヘンを吸うことを指す)において、その密輸や密売者の隠匿などが甚だ巧妙となり検挙率が低下したのに対し、捜査犬の優れた嗅覚力によって頽勢を挽回しようと、第一次八頭のS犬(基本訓練修了)と八名の阿片取締官の教育を、税関監視犬育成所に委託するに至りました。

ます最初の第一期教育期間を六か月とし、その末期に禁煙総局庁舎内において、室内の諸物件の内部と人物の衣服内に隠匿したものの捜査(嗅出)を総局長以下全員と満洲軍用犬協会本部要員、芝池弥太郎、佐藤啓一、阿比留佐諸氏らの参観のもとに行い、絶賛を受けて好成績裡に終了し、禁煙総局阿片麻薬捜査犬と命名して、一年間をテスト期間として現地に配置したのでした。

この一年間に捜査犬によって検挙したアヘン量は二千両を越え、予期に数倍した好成績を収め、大いにその前途を嘱望されるに至りました。

その検挙の際の隠匿状況のうち、変った巧妙な例を挙げれば

1.貨車輸送の何百袋という麻袋内の高粱の中に、その高粱粒と同様の小片を混入した少数の麻袋

2.枕内のソバ殻に同様の小片を混入したもの

3.通学する児童の鞄内に隠匿したもの

4.炊事場に置いた凍結した肉塊中に隠匿したもの

5.骨箱の底部に隠匿したもの

6.幼児の抱える人形の体内に隠匿したもの

その他梱包、トランク等の二重底、人の出入りの不可能に近いような地下室内、壁内に塗りこめたもの等、およそ人智の及ぶ範囲内のあらゆる場所と手段による隠匿ですが、これ等を人の力で操作する場合には、多大の労力と時間の消費とをもってしても、なお不成功に終る場合が多いのです。しかしひとたび有能な作業犬を使役する場合には、人の何百分の一というわずかな労力と時間で成功を収め、前記のように年間大量のアヘンを、検挙し得るのです。

さてこの特殊な専門嗅覚作業を如何して、育成訓練するかについて、以下順を追って述べましょう。

 

・素質

まず捜索犬に必要な絶対的素質として、大胆かつ非誘惑性に富み、持来欲旺盛なものを選び

・持来性

これを服従訓練の開始とどうじに、アヘン物品のみの持来をあらゆる機会に行い、持来欲の極度の増進を図る。持来の対象は全くアヘン物品に限定し、他の一切の物品をくわえさせたり、もてあそばせたりさせない。

このようにして極度に増加した持来欲は、たとえ食事中であってもアヘン物品を示せば、とんでくるという程度まですすむ。

・アヘン物品

生阿片を厳重に幾重にも布きれで包み、さらにこれを丈夫なキャンバス地の袋に入れたもの。最初は阿片臭をよく発散させるために、はじめの布きれ一、二枚を濡らして用いる。注意しなければならないことは、生阿片が直接口内に触れないようにしっかりと包まなければならない。直接に触れると激しく泡をふき、健康的にもたいへんよくない。

・初歩の捜索(嗅出)

アヘン物品を野外に簡単に隠匿し、これを捜索させる。最初のうちは、軽く草を上にかけたり、塀の根もとなどに置き、その周辺を「サガーセ」の声符と、指先あるいは鞭先の指示を与えながら誘導し、発見させて十分な賞賛とどうじにその物品で数回の持来を行う。これの反復実施によって、犬が十分に意識づいたならば

・選出

同型の多くの物品中よりアヘン在中のものを選出させ、アヘン臭に対する確固性を作る。

・告知動作

隠匿状況を徐々にむずかしくするとどうじに、犬が嗅覚によってアヘン物品の所在を知っても、直接にくわえられないような状況下におき、発見とどうじに“咆哮”をさせ、のち物品をとりだして与える。これを告知動作と称し一度告知動作を教えはじめたならば、爾後は必ず告知をさせた後品物を与えるようにし、次第にこれを固定する。これは本番すなわち実際の作業のときに絶対に必要なことであるので、確実におしえこまなければならない。

・屋内並に人体服装内よりの嗅出し

他臭気すなわち誘惑臭気の希薄な静かな環境においての訓練を積んだならば、これを次第に屋内(物置、事務室、日鮮満露系の家屋等)に移し、いろいろな臭気の充満する屋内において、最初はひきだし内や戸棚内等の隠匿から、次第に強烈な人体臭の発散する衣類や、寝具類等のなかの隠匿にすすめる。最初のうちは隠匿後嗅出開始までの時間を十分におき、臭気発散をよくさせてから作業を開始する。この隠匿時間は犬の能力の進度に応じて短縮していき、また隠匿状況も次第に深部へとすすめる。人体服装内の嗅出は初期は犬によく馴れた人物を使い、犬に敵がい心を抱かせないようにつとめる。また発見とどうじに、アヘン在中の部分をくわえて引いたりすることは禁物で、必ず一歩後退させて咆哮告知をさせる。隠匿状況も外側のポケット内、ゲートルに巻きこむなどの浅い場所から、次第に深く深部すなわち腹巻内、ズボンの股ぐら内、靴内、帽子内等に移行させる。

・炊事室、厩舎内、羊舎内、豚舎内等における嗅出

次いでこれらの強烈なる誘惑臭気中においての作業、すなわち炊事室の食品臭気中、畜舎内の強烈な動物臭や、その排泄物臭中における隠匿と嗅出にすすみ、十分に訓練を積む。以上をもって大体その訓練の過程を述べたのですが、これらだけでなく、さらに高度に創案装定して反復訓練を積まなければならない。

このようにして一人前の捜査(嗅出)犬となったものは、異った環境ことに室内あるいは未知者の傍などに連行すると、命令の有無に拘らず嗅覚を働らかせ、納得のいくまで嗅いでみるというほどの作業意欲にまで到達するものです。

熟練した捜査(嗅出)犬は、室内に入るとどうじにまずそのただよう空気を嗅ぎ、その空気中からアヘン臭のわずかな粒子をつかんでその所在することを知り、直ちに濃い臭気に向って捜索範囲をせばめ、アヘン臭の根源へと達し得るものです。

また物体を嗅ぐ際にはその物体の継目や隙間を嗅ぐことを覚え、決して隙間のない平坦な部分を、無駄に嗅ぐようなことはしないものです。熟練捜査犬を使用しての訓練で、鉄製防火金庫内の最も奥のひきだしに隠匿したものを、隠匿後十分でその頑丈の扉のあるか、なしかの隙間とかぎ穴からアヘン臭を嗅出告知し得るものです。

 

【禁煙総局の阿片麻薬捜査犬】

 

上記のとおり、税関が訓練した阿片探知犬は禁煙総局が運用することとなりました。しかし、総局による探知犬の活動範囲がどこまで進展したのかは判然としません。

磨き上げられたノウハウも、昭和20年の満州国崩壊によって失われてしまったのです。

命令なしに実際にアヘンの嗅出しを行なった例としては、S阿片麻薬専務取締官が部下数名を連れ捜査犬を帯同して、さる所にアヘン捜査に赴いた際に、途中の山中に苦力小屋があり、ちょうど昼だったので昼食をとその小屋に入り、一休憩をしたのであるが、食事中に突然犬が苦力達の炊事場に入り、吠えだしたので、不審に思いのぞいてみると、それが告知動作なので、告知の対象物であるカマド奥を綿密に調べると、六両ほどの生阿片があり、苦力達を追及したところ、彼等の吸飲料であることを自供したのである。思わぬ拾いものとその場で押収し、幸先よしと目的地に向かったとの報告が月報に記載されています。

 

使役者の失敗例としては、次のようなものがあります。

隠匿が食肉中の場合で、ハルピン市内のある密売者宅の捜査の際に、犬が炊事場の壁際につるされた凍った牛肉の塊に向ってさかんにほえるので、取締官は「コラッ!作業中に肉などに誘惑されて!」と強引に引き戻したのであるが、三度までも肉のところに導かれて、はじめて不審を抱き、その凍結した肉塊を割ったところ、三十両の生阿片が在中していたのである。この例などは、明らかに取締官が告知動作を判定し得なかった好例です。

 

使役者は平素の訓練と、実際作業の場合との相違点を知らなければなりません。実際作業ではあくまで人犬一体となって、犬の能力を一〇〇%に活かさなければならないのです。このアヘンの捜索作業は、いうまでもなく一般の臭跡追及作業とは、根本的に異なるのです。前者は孤立した一定固有の臭気に対する嗅覚作業で、後者は臭跡の点が連繋して、線となったものに対する嗅覚追及作業です。

このアヘンに対する嗅覚作業が、非常な成功を収めたもっともな理由は、日常簡単に物品を隠匿して嗅出作業が実施できると、くりかえしくりかえし実施しても、犬がさほどの疲れをみせずに、ますます意欲旺盛となって作業をするという利点と、隠匿から時間を経れば経るほど、周辺にアヘン臭が充満しつづけるという二重の利点があるということです。

また毎月月報を発行し、すべての現場状況や捜査犬の嗅出状況の詳細が、育成所や各取締官に手にとるように判り、これが訓練や現場の作業に大いに役立っていることです。

当時この専門捜査犬を阿片麻薬捜査犬と銘うったのですが、これは当分間はアヘンを対象としていても、後には麻薬類の捜査にも大いに進展させたいとの意途によるものなのです(一ノ瀬氏)

 

戦後の日本には、満洲国から引き揚げてきた麻薬探知犬ハンドラーが何人もいたのでしょう。

しかし、公的機関はその専門知識を受け継がなかったようです。戦後日本は、苦労して海外から麻薬探知犬のノウハウを逆輸入する結果となりました。

現在わが国に横行している麻薬や覚醒剤はその形態や固有臭の面で、生阿片とは種々差異があるでしょうし、また爆発物の固有臭などについても、今後大いに研究をすすめる必要がありましょう。

いずれにしても欧米の例もあることですし、これを凌がするような発展を望みたいものです(一ノ瀬氏)

 

(現在作成中)