2006年に公開されたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』。

あの中で観客をザワザワさせたのが、清水上等兵(加瀬亮)の上官が「吠え声がうるさいから」という理由で民間人のペットを射殺してしまうシーンでした。

憲兵は街中で好き勝手に発砲してもOKだったの?と非常に困惑したのですが、下記のサイトでは「あり得なかった」と回答されています。

 

日本軍憲兵の服務に関しては、1889年(明治22)の勅令「憲兵条例」第五条、またその改正1929年(昭和4)の「憲兵令」第五条に

憲兵ハ左二記載スル場合ニ非サレハ兵器ヲ用フルコトヲ得ス

其一 暴行ヲ受クルトキ

其二 其占守スル所ノ土地又ハ委託セラレタル場所若クハ人ヲ防衛スルニ兵力ヲ用フル外他二手段ナキトキ又ハ兵力ヲ以テセサレハ其抵抗二勝ツ能ハサルトキ

と規定され、単に吠える犬を憲兵が射殺するなどあり得ません。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7829207.html

 

ナルホドねえ。憲兵といえど発砲の条件は厳しく規定されていたんですね。

ついでに、あの場面は戦時中の畜犬行政から見ても意味不明なんですよ。

ドコがというと、軍部はペットの取締ができなかったのです。当時の畜犬行政は内務省、地方行政においては警察の管轄でした。

だから、陸軍の憲兵はペットの取締りに介入できないのです。映画のアレは完全な越権行為じゃないですか。銃声を聞いて駆け付けた警官と憲兵が睨み合って第二のゴー・ストップ事件に発展して、硫黄島がほったらかしになってしまう程の事案ですよ。

モチロン、戦争末期の逼迫した状況の表現・清水上等兵を硫黄島へ送り込む理由づけなのは分かりますが、犬の歴史を調べている側にとっては迷惑極まりない場面でした。

 

ああやって憲兵が射殺しなくとも、硫黄島攻防戦のさ中にペットの毛皮供出が実施され(軍需省と厚生省から都府県知事への通達が昭和19年11月。実施は翌12月~20年3月迄)、全国各地で膨大な数の犬猫が殺戮されたのです。現実世界は映画以上の惨禍であった事を知っているので、青筋立ててあの場面を批判する気にもなれません。

そうやってモヤモヤし続けているのもアレですから、戦時下における犬の鳴き声取締について、担当である警視庁の解説をご覧ください。

当然ながら憲兵ではなく警察官が担当しており、「高音取締規則」にのっとって被害者からの苦情申し出に対処するのが前提となっています。

 

高音(雑音)防止の聲は、都下にいよいよ漲つて來ましたが、この際、深夜の安眠を妨げることのある犬の咆哮は、如何に取締るべきでありませうか。

私はここで、犬の啼き聲と、高音防止との關係に就いて述べたいと思ひます。

 

現施行の高音取締り規定

犬の啼き聲を詮索するに先立ちまして、現在施行されてゐる取締り規則を振返つてみませう。

元來高音としての取締りを行ふや否やといふことは、現場を審に臨檢して後に定るのであります。即ち時間とか場所、それに附近の状況を考慮して、それが他人に迷惑を及ぼすと斷定されたとき、初めて高音取締り規定を發動して、高音を防止し、公共の静謐を計らんとするのであります。

昭和十二年十二月、警視廳令第二五號の高音取締規則第一條に「ラヂオ、蓄音器、太鼓、拍子木その他の樂器等に依り、附近の迷惑となるべき高音を發せしめざるべからず。但し祭典その他公益上已むを得ざる場合はこの限りにあらず」とあり、なほ第五條には「第一條の規定に違反したるものは、拘留又は科料に處す」と制定されてゐます。

近來科學工業の發達に伴ひ、必然的に作業上から起る騒音が伴つて來るのでありますが、これには工場法に依つて、取締りが行はれてをります。

一方、夜間營業の内で、料理屋等の飲食店も時間に制限を受け、殊に戰時體制下に於ける現状取締りのため、以前と違つて乱痴氣騒ぎもぐつと尠くなつたのでありますが、未だ不徹底の嫌を免れないのが現状であります。

 

吠え聲と高音防止

さて、このやうに一般の高音防止に對する觀念は養はれつつありますが、この時にあたつて、愛犬の咆聲に對しても、私達は善處して行かなければならないと思ひます。かと言つて、犬の啼き聲にも、それぞれ自ら異る目的があるのでありまして、それを理解してやることが愛犬家と否とを問はず先決問題となるのであります。

尤も注意深い愛犬家は、私がここに喋喋するまでもなく、既に、犬の啼き聲に依つて、躊躇なく犬の言はんとすることを判斷されることと思ひます。ですから、私は極く初歩の人達、或は犬に全然無關心の人達に對し、一つの示唆ともなるべく、啼き聲と高音防止の關係を述べるのであります。

 

吠え聲苦情激増の因

近時、警視廳の犬の相談所、或は保安部の安寧係に、犬の高音取締りの申出が頻りに参ります。何故かと言ひますと、それは他でもなく、數年來の飼養者の増加と、殊に支那事變以後、軍用適種犬―、シエパード、エアデール、ドーベルマンが數千頭も増加して來たことから、必然起り易い問題なのであります。

この事は、一面犬を飼ふには良種を、そして國のためになるやうな、即ち軍犬報國精神の向上と考へられ、まことに喜ばしい次第であります。

ところが、またその半面より見ますならば、前記した如く、高音取締りの申出の形ともなつて現れるのであります。

軍用適種犬は、他犬に比して殊更に元氣もよく、鋭敏であり、精悍である關係上、咬傷その他の弊害も起り易く、從つて取締り申出の激増といふ風に考へられるのであります。

 

犬の吠え聲の檢討

それには訓練を入れて弊害を尠くすることも勿論必要でありますが、それは一般に望めるものでもありませんし、話を前に戻して、犬の啼き聲は如何なる意味を持つてゐるか、といふ問題に触れてみませう。

元來、犬の啼き聲は周囲の事情を鋭敏に物語つてゐるものであります。換言しますと、犬は智能の發達した動物でありまして、自己の受けた感情を率直に、啼き聲に依り表明するのであります。

その表明に依つては、深夜の安眠妨害の譏を當然受けなければならないこともあり、また感謝されねばならぬ咆え聲もあるのであります。

例へば、仔犬が初めて他家に貰はれて行つて、悲しさと寂しさのあまり啼いたり、犬を常に繋留して運動不足のまま放任して啼かせたり、或は神經性疾病のため、昂奮して間断なく啼き續ける等は、これは當然、安眠妨害と言へるのであります。

反對に、不審な者の侵入に對する咆え聲は喜ばねばならないのであります。

次に、犬の啼き聲が機微に亘るものであるといふ例を擧げますならば、食餌を欲する啼き聲、來訪者でも見憶へのある人と、さうでない人とに對する啼き聲、主人の外出する時の啼き聲と、共に散歩に出る啼き聲、或はまた犬舎の近くに犬か或は猫の來た時の啼き聲等々、自ら啼き聲は異るのであります。

 

吠え聲の取締範囲

以上述べて來ましたやうに、犬の啼き聲にはそれぞれ意味があるのでありまして、それを畜主が如何に判斷するかといふことに依つて、咆え聲が安眠妨害ともなり、また歓迎されるのであります。

先年、四谷の某家が強盗に襲はれました。

その強盗は同夜、再び二丁と離れぬ家に忍び入らうとしたのですが、その家では番犬に咆えたてられ、近所の人々に騒がれて一物も得ずに逃走しました。この場合は、安眠を妨害してこそ番犬としての價値があり、大いに感謝されてよいのです。

また或る家では、犬の咆え聲を聞き乍ら、深夜のこととて放置して、貴金属類その他を盗まれた例もあります。ですから、畜主は、假りに愛犬が咆え續けるやうなことがあれば深夜と言へ、一應犬舎やその周囲を調べる心がけがなければならないのであります。

ではどんな咆え聲に對して、私達は取締りを嚴にしなければならないかといひますと、前に述べました、畜主の怠惰乃至無關心から、犬を繋留のまま放置し、運動不足の結果、啼き續けるとか、疾病―而も畜主が何の手當も施さない犬の啼き聲等であります。

これは道義的に見ましても、近所の迷惑を顧みないことでもあり、犬に對しては無慈悲、無責任もその極みでありまして、動物虐待の上からも見通すことは出來ないのであります。

犬といふより寧ろ畜主に對して、高音取締りの必要を痛感するのであります。

ひとり犬の咆え聲のみでなく、人類社會の安寧秩序といふものは、各自の道義觀念に待つのでありまして、各自が自己本位な氣持を棄て去り、相互の和を計るところに、安寧は維持されて行くのであります。

眞の愛犬家といふものは、無慈悲な、而も世間に迷惑をかける飼育をしない許りでなく、今まで述べましたやうに、啼き聲を詮索判斷し、犬の心理を理解し、益々犬の性能の發展を目指さなければならぬと思ふのであります。

戰時體制下の今日、國民は一致自粛しなければならない秋に當り、私は、愛犬家の注意を喚起すると同時に、敢て御批判を乞ふ次第であります。

 

警視廳犬の相談所主任 荒木芳蔵獸醫『犬聲と高音防止 この際愛犬家も一般人も正しい認識と理解を望む』より

 

警察に獣医師がいたのは、当時の狂犬病対策や野犬駆除が警察の管轄だったから(狂犬病予防法の施行により、戦後は保健所へ移管)。

その警察でも、「野犬や吠え声がうるさいペットには発砲を許可する」などという法律はありませんでした。市街地で暴れ回る狂犬病感染犬を一刻も早く制圧しなければならない等の緊急事態でも、使用されたのは拳銃ではなくサーベルや棍棒です。

映画のように射殺すればカンタンなのですが、現実の狂犬病対策では近接格闘戦しか許されませんでした。

狂犬病感染犬を捕獲中に噛まれたり引っかかれたりして感染し、実際に数多くの警察官や駆除業者が殉職していたんですよね。当時の警察から駆除業者へ授与された慰労感謝状も、殉職者へ贈られたものが少なくありません。

憲兵だろうと警察官だろうと法令に縛られるのは同じこと。そしてフィクションである映画と、現実の畜犬行政史は違うのです。

この際、愛犬家も観客も正しい認識と理解を望むものであります。