和漢今昔犬之草紙(全6巻)
作・絵 暁鐘成 
出版 嘉永7年(1854年)



犬
敵将の首を咥えてきた槃狐

往昔(そのむかし)震旦(もろこし)高辛氏の時、犬戎(外国のえびす也)乱れて王化に属(したが)はず、征兵を遣してこれを責るといへども、官軍更に勝利を得ず。
討たるゝ者三十萬人、地を奪はるゝ事七千餘里。其危き事言はん方なし。
士辱められて諸侯皆彼に降らん事を乞ふ。斯有し程に帝是を愁ひ、更に安き心なれば天下に觸しめて曰く、犬戎の大将呉将軍をよく討取るものあるに於ては、黄金千鎰邑萬家を賜ひ、又妻すに少女を以てせんとなり。

茲に年來(としごろ)畜(かわ)せ給ふ狗あり。
其毛五彩にして名づけて槃瓠(ばんこ)といふ。此令を下し給ふを聞くとひとしく、忽ち起て三声吠えけるが、即ち萬里の路を過ぎて、偸(ひそ)かに敵の城中に至り、敵将の寝所に忍び入り、終に呉将軍を噬殺(くいころ)し、其首を囓(かみき)りくはへて帝城に走かへり、帝の御前にすゝめけり。

群臣これを怪みて其首を診るに、乃ち敵将の首なりしかば、君臣上下の喜び大かたならず。
去程に戎国大いに騒乱し、言がひなく敗軍し、悉く亡び失せ、国泰平に治りけり。是ひとへに槃瓠が大功のいたす所なり。
しかれども斯る畜類に以て妻すべからず。又封爵(くらいにつく)るの道もなし。何を以てか彼に報ぜんと、評議さらに決せず。
女(ひめ)はこれを聞給ひて以為く、皇帝一たび令を下して信に違ふべからず。因て吾を犬に賜るべしと有し程に、帝も其理を感じ給ひて、即ち女(むすめ)を以て槃狐に妻す。

槃瓠は女を得て背に負ひて、南山の石室の中に走り入りけり。此地は険阻にして人跡絶たり。既に三年を経て六男六女を生めり。成長に随ひ色の衣服を好み、男女とも尾あり。
其後母は此行状を帝都に白す。これによつて諸子を迎へ給ふに、衣裳には爛斑を著し、言語侏璃(ものいいひとのたぐい)なり。
好んで山壑(さんがく)に入り、平廣(たびらかにひろき)を楽まず。
帝その意に順ひて、賜るに名山廣澤を以てす。其子孫しげ〃蔓(はびこ)りて、號して蛮夷といふ。
今の長沙武陵の蛮(えびす)これなり。

後漢南蛮傳 尚槃狐の事は巻首(まきのはじめ)繍像の上に記せり。