犬の話
編者 大宮季貞
出版 警醒社書店


犬

明治後期の日本では、どのような忠犬談が知られていたのか。
創作では「フランダースの犬」などが邦訳出版されていましたが、外国での実話を集めたのがこの本「犬の話」。
それではご紹介を……、アレ?

犬

頁をめくったら、タイトルと編者が違うぞ。
「露月子」は牧師であった大宮季貞のペンネームでしょう。それはいいけど何故題名を変えるのだ。

犬
これでいいじゃないの。

人情は紙の如く薄く、徳義は弊履(ふるぐつ)の如く捨てられ、子を賣る親、親を訴ふる子、教師を弾劾する学生、子弟を食物にする教師、人間としての價値何處にかある。
然るに烏に反哺の孝あり、鳩に三枝の禮ありと聞く。今年はこれ庚戌の歳、犬に因ある幾多の記事は、一月元旦の新聞雑誌上に掲載さる。
後馳(おくればせ)ながらも英米讀本中より数種の犬の實話を取り出し、少年子弟勧善風教の一助となし、萬物の霊長たる實を挙げしめ、畜生に劣るの恥辱を免れしめんとて、かくは、
於京都 露月子 

明治四十三年五月



ナルホド。いつの時代も世を憂う人はいたんですねえ。
この本に掲載されたのは18のエピソードです。

(一)摸徒(すり)を探知した犬の話
フランス旅行中のイギリス人が時計を盗まれてしまいます。彼が愛犬に命じると、犬は鋭い鼻で主人の匂いを辿り、見事犯人を突き止めたのでした。

(二)同病相憐んだ犬の話
馬車に轢かれて大怪我をした犬のダンは、親切な医師の治療によって全快しました。
それから二ヶ月後、ダンが再び医師宅へ現れます。今度は病気に罹った仲間の犬を連れて。

(三)主人の為に殉死した犬の話
少年ダルウヰンと愛犬アルガスは大の仲良しでした。しかしある年、感冒に罹ったダルウヰンは帰らぬ人となってしまいます。主人の死を理解できないアルガスは、その墓へ玩具や帽子を運び込み、連れ戻されても墓前へ舞い戻ってしまいます。アルガスは餌もとらずに衰弱してゆき、主人の後を追うように死んだのでした。

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(四)忠義なる犬の話
エデンボロー(エディンバラ)の消防夫が飼っていた猟犬ロビーは、主人が埋葬されたグレー・ファースの墓地へ棲み付き、近所の牛肉店で餌を貰いながら13年間も暮らしました。
1872年にロビーが死んだ時、その忠義を讃える人々は主人の墓の傍らにロビーを葬ります。
また、ロンドンの富豪クーツ侯はロビーの銅像と噴水場をエディンバラに建て、貧民や家畜のため開放しました。

(五)馬車馬を止めた犬の話
主人が買物中、駐車中の馬車の中で留守番をしていたブルーノ―。
ちょうど下校の時間となり、大勢の子供達が騒ぐ声に驚いた馬は、突然暴走を始めてしまいます。
馬車から飛び降りたブルーノ―は垂れ下がった手綱を咥え、渾身の力で馬車を制止。大事故となるのを防いだのでした。

(六)難破船を助けた犬の話
ニューファウンドランドの沖合で、突然の荒天によって漁船が難破してしまいます。その時、一頭の犬が荒れる海へ飛び込み、船へと泳ぎ寄ってきました。試しに漁夫がロープを投げると、それを咥えた犬は岸に向かって泳ぎ始めます。これに勇気づけられた漁夫たちは懸命に舟を漕ぎ、何とか岸にたどり着くことが出来たのでした。

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(七)日々欺を以て食を得た犬の話

フランスの尼院では、毎日20人の貧民に食事を施していました。貧民が鐘を鳴らすと、互いに顔を見られない様、小さな小窓から食事が供されます。
これを観察していた犬のヂャックは、彼等を真似て鐘の紐を引っ張ってみました。そして鐘が鳴ると、小窓から食事が出て来たのです。
味を占めたヂャックは毎日鐘を鳴らすようになりました。食事の数が1人分多いことに気付いた尼院では、とうとう犯人を突き止めます。報告を受けた院主は犬の知恵に感心し、それからはヂャックの分も食事を用意するようになったのです。


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(八)敏捷なる犬の話
パリで靴磨きをしていた男、一計を案じて愛犬ワッグを泥まみれにし、往来の激しい橋の上を駆け回らせます。
ワッグの泥で靴を汚された人々は擦靴者(靴磨き)のもとへ押しかけ、商売はとても繁昌しました。
しかしこの悪事は遂にバレてしまい、擦靴者は罰せられます。勿論、主人に命じられただけのワッグは無罪でしたが。

(九)主人を救つた犬の話
貧しさに苦しむ男が、遂には愛犬に餌を与える事もできなくなります。
飼育を諦めた男は、愛犬に石を括り付けて川へ放り込みます。その際に足を滑らせて、自分も水中へ転落してしまいました。カナヅチの男は必死で助けを求めますが、附近には誰もいません。
其の時、彼の上着を引っ張るものがありました。石を外して浮上した犬が、溺れる主人を救おうとしていたのです。
何とか岸へ這い上がった主従は、その後も仲良く暮らしましたとさ。

犬
こいつが犯人です。


(十)牛肉を運搬した犬の話
お使い犬のニーローは、食肉店から旅館へ牛肉を運ぶ役目をこなしていました。
いつものように肉を運んでいたニーローは、二頭の犬に襲撃されます。執拗に牛肉を狙う二頭。必死に防禦するニーローでしたが、二対一では勝ち目がありません。
万策尽きたニーローは、敵に喰われるよりはといきなり牛肉を食べ始めました。彼はこうして肉が奪われるのを防いだのです(これはいい話なのか?)

(十一)病犬を救つた犬の話
牧羊犬ならぬ牧牛犬のバガーは、いつものように牧場を巡回中に傷ついて衰弱した犬を発見します。
急いで自宅へ戻ったバガーですが、主人は留守。そこで主人の牛肉店へ向かい、商品の牛肉をねだります。
愛犬の様子を不審に思った主人は、肉を運んでゆくバガーの後を追いました。
そこで見たのは、病犬に牛肉を与えるバガーの姿。翌日、元気を恢復した病犬はバガーと共に店へやってきます。主人は二頭を快く迎え入れ、牧牛業務へ向かうバガーのかわりに病犬を介抱してやりました。
その後、肉屋の犬は二頭に増えたとのことです。

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(十二)散乱した群羊を回集した犬の話
スコットランドの牧羊詩人 ジェームス・ホッグの記す牧羊犬サーラーの物語。
ある夜、七百頭もの羊の群れが四マイル四方に散乱してしまいます。羊飼いたちは必死に駆け回りますが、全ての羊が失われてしまいました。悲嘆に暮れる羊飼いは、サーラーに最後の望みを託します。
所有者に謝罪して帰宅する途中、羊飼いは羊群を追い込んだサーラーを発見します。何と、サーラーは一晩で全ての羊を集めてしまったのです。その能力に、牧夫たちは感嘆するのでした。

(十三)遠距離の地に羊を導いた犬の話
ある紳士が商人に羊の大群を売却しました。三十里先にこの羊群を運ぶ必要があったのですが、商人は牧者を雇っていません。紳士は優れた牧羊犬を商人に貸し、犬には作業完了後に帰宅するよう命令します。
何日か後、牧羊犬は全ての羊を連れたまま紳士の許へ帰ってきました。彼は牧羊犬を我が物にしようと企んだ商人から逃れ、ついでに羊も取り戻してきたのでした。

(十四)主人の使命を全うした犬の話
イギリスの旅館で飼われていたお使い犬ネプチューンは、毎朝八時に代金入りの籠を咥えてパン屋へ通い、旅館にパンを届ける日課をこなしていました。で、牛肉運搬犬ニーローのように他の犬からパンを奪われそうになるワケです。ニーローと違って、ネプチューンは相手を撃退してパンを守り通しましたけど。

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(十五)自ら牧者の職をとつた犬の話
南米にいた牧畜犬は、朝になると羊の群れを放牧地へ連れ出し、放牧中は羊を襲う鷲や野犬を追い払い、夕方には牧畜場へ羊たちを連れ戻していました。その日課を、羊飼いも無しに犬だけでこなしていたのです。

(十六)生命を損てゝ主人の財寶を守つた犬の話
主人と旅をしていたファイドーは、休憩中に金貨の入った袋の番を命じられます。思わぬ時間まで熟睡してしまった主人は、目覚めると慌てて馬を走らせました。しかし、ファイドーは行く手を妨害するかのように馬へまとわりつき、盛んに吠え立てます。
狂乱状態のファイドーに苛立ちつ主人は、遂にピストルで犬を撃ってしまいました。
休憩地点からしばらく進んだ後、主人は金貨のことを思い出します。急いで引返したところ、金貨の袋の傍らには、主の命令を守り通したファイドーの亡骸が横たわっていました。

(十七)セント、ベルナルド犬の話

アルプスの修道院で飼われていた救助犬、セントバーナードの「バリー」のお話。
これは明治の日本でも有名であり、八甲田山遭難事件でもセントバーナードが救助活動に投入された程でした(役には立ちませんでしたが)。
ブランデーの樽を提げて捜索にあたっていたところまでは同じですが、狼と間違えられて撃たれてしまったという部分は載っていません。

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(十八)二個の帽子を同時に運んだ犬の話
ある兄弟が、一頭のニューファウンドランドを連れて水禽猟に出かけました。
兄弟は岸辺に帽子を脱ぎ捨て、葦の中で猟を始めました。やがて川岸に沿って進む事となり、愛犬に帽子の回収を命じます。
一頭の犬が二個の帽子を同時に運ぶにはどうすればよいか。
いろいろ試したらしい犬は、小さい方の帽子を大きな帽子の中へ入れて運んできたそうです。


……などというお話が載っております。
明治の日本人も、イロイロな愛犬談・忠犬談を知っていたんですね。