横須賀へ来てから半歳になる。
犬も少いがそれにも増して淋しいのはJSV會員の一名も無いことである。
一日として雨の降らない限り朝夕の運動はかかせたことがないが、その半歳の間にS犬に逢つたのは、たかだか数へる位のもので、せいぜい十頭以内のものでしかない。
しかも犬の出来は甚だ悪い。
一様に運動不足で腰が高いやうである。
勿論會員は一名も無い。偶に逢へばその人は得々として軍用犬協會であると御言る。
で一応はお説を伺つてみるがてんでレベルが違ふ―こう云つて愚痴滾すのは妻である。
一名の會員のゐないところに會員をつくるのも愉快ぢやないか―、さう云ふのはきまつて私である。
俺に暇があつて、一日中犬を連れて戸外に出られるお前の健康があれば屹度會員はつくつてみせる。
さうも云つて意張つてみるが、まだ一名の會員も獲得出来ぬ。
かくべつ協會に義理がたたぬとは考へぬが、獨りぼつちといふものはつまらぬもので味気ない。
その気晴しといふ訳でもないが、十三日、東京では支部展が開催された日曜日、私は妻を伴つて浦賀に遊んだ。
前週の日曜にもこの街を通過して久里濱見物に出掛けたのだから全然未知の土地ではなかつたが、裕つたりとして見る浦賀の街は狭い乍らもをつとりと落ちつきのある街ですつかり私は好きになつた。
この街に同じ社員の高須君の家があつた。高須君の家には豫て一頭の軍用犬が飼育されてゐると聞いてゐたので、私と妻はその家を訪問することにした。
浦賀船渠前でバスを降りると直ぐ家は見つかつた。
高須君の家は逢春亭といふ料亭であつた。犬は門前の小い犬舎の中で旺んに私達二人を吠へたてた。
私は家人への要談もそこそこ犬舎の前に立つたのである。
初度の交配に失敗して二度目に三頭を出産したのが二頭を死なせ、残つた一頭を十日前後から育てたので随分と骨が折れました、と主人公の話であつた。
だから名前も選ぶ間がなくチビ公と称んでゐますと主人は笑つた。
四脚が高くて胴詰りの體型は感心出来ぬが、一見申分のない健康美には心持たれた。
テンパーの看護法などいろいろ話してゐるうち、田舎には稀に見る愛犬家であることに思ひ到つて、吾友を獲た悦びで一杯だつた。
近年まで熱心な帝犬會員だつたと聞くに及んで、即座に私はJSV會員に加入することを薦めた。
主人公はまた機會を作つて私の犬を見に来ると云つた。
午後の日射しが鈍つて、風が冷たく感じるやうになつて私達二人は辞去した。一見舊知の如くになれるのも嬉しいことに違ひないが、土地こそ離れてはゐれ竟に會員を獲得できるかと思へば、たまらなく愉快であつた。
“犬も歩けば棒にあたる”。
本當の意味は逆になるかも知れないが、私もこれからせいぜい外出することだと想つた。
一人から二人、三人五人、やがてこの横須賀にも支部が設置されるやうに努めねばならない。
一人の力、それは弱いやうでゐてまた強いものでもある。

久保善吉「横須賀だより」より 昭和13年10月18日

いやー、KVとJSVによる会員獲得合戦は全国津々浦々で展開されていたのですね。
前年の軍事衝突以降、大陸での戦争は拡大の一途を辿ります。
シェパードの内地頭数が減少するに伴って、KVとJSVの対立も激しくなっていきました。