以前、大正時代の犬の検疫について取り上げました。
http://ameblo.jp/wa500/entry-11514639935.html

大量の洋犬を輸入していた近代日本。
犬の輸入に関する苦労談は「海路の途中で健康を害した」「死んでしまった」「途中寄港地で他の犬とすり替えられた」等いくらでも残っておりますが、今回は犬を運んでいた貨物船側の事情を取上げます。
海外航路の犬事情といえば、以前「チャウチャウの日本史」で登場した斎藤機関長もその一例ですね。
http://ameblo.jp/wa500/entry-11731116669.html

洋犬が来日するまでの過程は、島国たる日本の畜犬史において貴重な記録でもあります。
泳いで海を渡って来たワケじゃないんだから。



近来外國産犬の輸入が盛んに行はれてゐるが、犬を始め馬にしろ牛にしろ、海上輸送は、はたで考へる程簡単に行くものではない。
動物は普通の荷物と異つて、箱へ入れた儘放つて置けるものではなく、それ相應に面倒を見ねばならぬ。いゝ加減にやつてゐたのでは、どうせロクな結果は起らないものだ。

だから動物の輸送を依頼する者は、その船が動物に對して理解を持つてゐるかどうかをまづ確かめることが大切で、犬なら犬の輸送に経験のある船かどうかを、よく調べてから依頼するのが安全である。
實際犬や馬のやうに神経の強い動物にあつては、皆で出鱈目に取扱ふことは禁物で、特定の人が専心面倒を見た方がよいと云ふことや、運動、手入その他についても、多少知つてゐるところがなければならぬ。
もしこういふ點がうまく行かないと、犬の精神や肉體のドロツプすることは申すまでもなく、従つて犬を知つた船と知らない船とでは、その違ひは大変なものである。

かういふ風に動物輸送は簡単には行かぬから、もし自分の船がいろ〃の事情から動物輸送に適してゐないと信ずるやうな場合には、例へば動物にアツテンドする人を使へぬ様な場合には、假令ひ陸上の海上機関―船會社の支店など―が都合上動物依頼を引受けても、船長は船の事情を申し述べて、それを拒むことが出来るのである。
動物の輸送は、船長の承諾を得て、茲に初めてちやんとした運送契約が成り立つ譯である。
これは事情の適せぬ點に動物を載せて、荷主に迷惑をかけ、引いては船會社の信用を落させぬため出来上つた定めである。

船は運送中、動物の生命について責任を負はぬ。
途中死ぬやうなことがあつても、それは船の責めではない。しかし一旦輸送を引受けたとなれば、人情として無論無責任な真似は出来るものではない。
萬全を盡して動物の世話をするが、萬一死ぬやうなことがあつても、そのため賠償を出すやうなことはしないのである。

つひ先頃、かういふことがあつた。
私が水戸丸の船長として英國へ着いた時、ロンドンの支店で、帰航の際獨逸ハンブルグから三千圓程のシエパードを三頭積込むことになつてゐるから頼むと云ふ話である。船長に都合も訊かず、積込むことになつてゐるもないものだと思つたが、別に拒むべき理由もないので、心よく引受けることにした。

ところが、この輸送依頼のシエパードそのものについて、一切説明抜きの依頼なので、乱暴な話もあるものだと驚かされた。
系統、訓練、用語、運動、食物の點に至るまで、何も彼も不聞に附した依頼なのである。
どうせこちらは素人のことであるから、それ等を知つたところで、萬事手落なく世話の出来るものではないが、預る以上、知識を豊富にして及ぶ限りの事はしたい。
なのに、こんないゝ加減の頼み方では、結果の悪くなることは目に見えてゐるではないか。
殊に依頼者の言傳てに、食物は残り物でいゝとあつたさうで、これには二の句もつげなかつた。残り物などで犬の食事は作れるものでない。
相當金がかゝるのである。

で、私は「御依頼の犬について一切を知らせて貰ひたい。こちらも運送を引受けた以上萬全を期したく、すべてを詳細に知る必要がある。輸送者が満足する様、充分説明を賜りたし」と半分教へる様な手紙を依頼者へ出して、さて船をハンブルグへ廻すと、どうしたのか、シエパードは到頭来ずじまひだつた。
何かの都合で取止めになつたのだらうと思つて気にも止めずにゐたが、次の航海でロンドンを訪れると、シエパード依頼者から手紙が届いてゐた。

披いてみると
西川船長は犬の輸送を謝絶したいために、あんな文句を云つて来たのではないか。船長がやかましいから犬の輸送は中止する。云々
で、又二の句がつげなかつた。

輸送者の立場から云へば、平生の取扱ひを知つておく必要もあるが、薬品等も付けて欲しい。
使用法も知りたい。病気は可なり心配である。
依頼者は必ず薬まで犬に附け、取扱ひ萬端をよく説明する必要がある。
又犬に與へる肉が馬肉の煮たものであるとすれば、馬肉を冷蔵庫へ入れるやうにして送つて貰ひたい。
云ふまでもないとい思ふが、動物の食事は依頼者持ちになつてゐる。

こんな次第であるから、犬の輸送経験のある船を選ぶと同時に、素人ながらも最大の努力を拂ふやう、船によく依頼することを忘れてはならぬ。
そして今云つた様な船からの要求を、面倒がらず受け容れて頂きたいものである。

榛名丸船長 西川植蔚「海外から犬の輸送を船に依頼される愛犬家へ」より 昭和10年

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ついでに余録

シエパードの優秀犬もほゞ飽和状態になつて、昨今はやゝ輸入が減じたやうですが、昨年の下半期から今春にかけて、獨逸から迎へた犬の数は實際驚く程多数でした。
獨逸船が入ると屹度四、五頭のV賞級の犬が積まれて来ると云ふ風で、それ等の犬が何千圓と云ふ價のすることも判つて来たので、段々税関の眼が光り出した。
もう今では安い犬でも獨逸から来た犬は高いやうに思はれて、輸入者は一苦労するやうになつた。

「外國産犬の輸入税」より 昭和11年