東京には近し、あれ程の大都市でありながら一向目星しい犬もゐず、久しく不思議がられてゐたものだ。
土地の人達もこゝは人が眠つてゐる、余り新しいことに手をつけたらがぬので、誰も犬にさう金を出す人がないと云つてゐた。
之は一面生活に裕りがあり過ぎる結構な土地柄がさうさせたのであるが、恰も泰西(※西洋のこと)文明がひた〃と押寄せて、鎖国の惰眠を日本にむさぼらせなかつた様に、静岡の犬界もさう〃は安閑として居れぬ。



その第一の先覚は、過日の帝犬訓練大會に訓練輸入犬メタを自ら指導して、第三席の栄冠を得た水上賢司氏であらう。氏は静岡にも種牡がゐなければ、同地犬界の発展は遂げられないと、城山ケンネルの至宝、ジーガークノーの父で一楽荘クルトと、関西犬界の双璧であつたベロをごく最近迎え、一躍静岡を犬界の一流地帯に押上げた。



お次は医博松澤松哉氏で、インゴー、アルゴス、バロン等の名犬を擁し、又訓練の必要を痛感し、私費を投じて八幡山の麓に静岡軍用犬訓練所を新設、十一月早々所長堀内利信、訓練し松木鬼子男氏と云つた陣容で、華々しく開場する。



帝犬静岡支部も十日發會式及展覧會を挙行するまでになつた。
フレー〃静岡、である。

白木正光「地方愛犬版・静岡市の巻」より 昭和11年