「先年わが国で新聞報道に、関係者談として「諸外国からの麻薬の密輸攻勢を防ぐ一手段として、犬を麻薬の中毒患者にし、麻薬が断たれたときにこれを欲して、懸命に捜すであろうから、これを麻薬の捜査に利用したい」とありましたが、犬を麻薬の中毒にしてもこれはただ病的な隠者をこしらえるだけで、決してわれわれが望む捜索作業には結びつかないのです。 人間ならば禁断症状になれば、苦しきから逃れようとして、どのようなことをしても麻薬を入手しようとしますが、犬の能力では原因、過程、結果を三段論法的に理解することは不可能であるし、むしろ肉体的、精神的に衰退の一途を辿るのみです。「ユメユメこのようなことを考えるなかれ!」です」
元満州国税関監視犬育成所員 阿片捜索犬訓練士 一瀬欽哉氏 昭和30年

「去る5月15日、朝日新聞夕刊の「警察庁で麻薬により中毒させた犬を利用して、密輸麻薬の捜索發見に役立たせるとの計画あり」との記事に関し、動物愛護協会主催でシンポジュウムが開かれたが、警察庁側の意見として、未だその機運にない事が説明された」
『警察庁にて麻薬捜索犬採用の記事について』より 昭和30年

昭和30年、麻薬探知犬に関する大誤報が広まりました。
警察庁の無知とマスコミの無知が二乗された結果、「麻薬探知犬=麻薬中毒にした犬」と誤解する読者が大量発生。騒動から60年が経過した現在でも、このトンデモ説を真顔で語る人がいたりします。
一瀬さんや動物愛護協会が危惧した事は、現実になってしまったんですねえ。困ったものです。

犬
貨物列車に潜む不審者を捜索中のブレーメン港湾警察。帝政ドイツ時代

先日のこと、「ある芸能人が違法薬物使用の容疑で逮捕された」というニュースが巷を賑わしておりました。麻薬問題が云々はともかく、私の目が釘付けになったのは一頭の犬の写真。
この事件の捜査には麻薬探知犬が投入されていたのです。麻薬探知犬なんて、空港の税関に居るものだとばかり思っていました。

ネットで検索したところ「日本における麻薬探知犬の歴史は意外と新しく、昭和54年(1979年)にアメリカから2頭の犬が来日し、成田空港に配置されたのが始まりなのである」というのが現在の通説ですか。
海外の麻薬探知犬史を読んでも、「1960年代にイスラエルが使い始め、70年代に欧米各国へ広まった」というモノばかり。その結果、欧米は麻薬探知犬の先進国というイメージが定着したのでしょう。

では、1930年代に阿片探知犬を配備していた中国や満州国は、欧米など足元にも及ばない麻薬探知犬先進国だった訳ですね。
満洲国崩壊によって忘れ去られましたが、中国人や日本人は戦前から麻薬探知犬を運用していたのです。

東洋の盲導犬や麻薬探知犬やシェパード史において、中国大陸の近代犬界史はもっと真面目に研究されるべきでしょう。欧米ばかり眺めているから、自国の犬の歴史すら見えなくなっているじゃないですか。

犬
スイスの国境警備犬。第一次大戦以前の撮影

四方を海に囲まれた日本列島では実感しにくいのですが、隣国と地続きの大陸国家では、やろうと思えば結構カンタンに越境できたりする訳です。税関や検問所をスルーして密入国された場合、関税の問題以外に国家にとって宜しからぬ人物や物品が(さらには感染症や害のある生物なども)持ち込まれる恐れがありました。
そこで各国は、国境にフェンスやセンサーを張り巡らせ、税関を設け、地雷を敷設し、国境警備隊を張り付け、壁を築き、長城を建設してきたのです。
その中のひとつに、犬を使って国境を警備するという方法がありました。所謂「国境警備犬」です。

国境警備犬や税関犬は、常に「外国」と対峙し続ける国家の番犬。有事に引っ張り出される軍用犬や国内治安にあたる警察犬を揶揄する「国家の番犬」とは、言葉の意味するところが違います。
彼等の用法を2つに大別してみましょう。

ひとつが「軍事的な国境警備犬」。敵対する隣国同士や鉄のカーテンに閉ざされた共産国などが国境防衛の目的で配備する犬です。
彼等の役割は、敵スパイの侵入阻止、亡命者の追跡、国境紛争の際の即応戦力などでした。ソ連国家政治保安部(ゲーペーウー。KGBの前身)国境警備局の犬は、満ソ国境で越境浸透工作を展開していた日本軍にとって大きな脅威となります。ソ連国境警備犬の嗅覚を攪乱する為、関東軍や陸軍登戸研究所では対犬材(消臭剤・誘惑剤・劇薬)を研究開発していました。

犬
「警備の最前哨に立つ監視所勤務(愛犬も共に)」より
辺境警備にあたる日本兵にとって、犬は心強い戦友でした。

もうひとつが「税関犬」。
国境警備犬が兼ねる場合もありますが、専ら空港・港湾・鉄道などの国際窓口に配置され、密輸防止や麻薬探知に従事する犬です。海外旅行から帰国した際、手荷物検査場に「麻薬探知犬を使用しています」という注意書が掲示されていますよね。アレがそうです。

犬
密輸品をどっさり抱えた容疑者を逮捕したフランス税関犬(訓練中)

密輸犯との鬼ごっこに苦闘するドイツ税関では、ユニークな犯人制圧術を編み出しました。
それが、税関犬によるリュックサックへの体当たり戦法です。大抵の密輸人は大量の密輸品を抱えていますから、税関ではその弱点に狙いを付けたのでした。
でかいリュックを背負ってヨタヨタ逃げているところへ、猛スピードで突進してきた大型犬に体当たりされてはひとたまりもありません。転倒したまま起き上がれなくなった密輸業者を、駆け付けた税官吏は簡単に捕縛できる訳です。
捕まる方も、大きな犬にガブッと喰いつかれるより転んで擦り傷をこしらえるだけの方がマシでしょう。

犬
「役人が調書をとる間、犬は逮捕された犯人を威嚇するために吼へる」
ブレーメン港湾警察による密輸取締訓練。帝政ドイツ時代

密輸人によっては拳銃やナイフで武装しているケースもあります。税関犬は尋問中の容疑者を油断なく監視し、逃走を図ったりポケットへ手を突っ込んだ瞬間に噛み伏せる訓練も受けていました。

戦前のヨーロッパにおける税関犬の歴史は下記のようなもの。驚く事に、取締側だけではなく密輸側も犬を利用していたそうです。

「税關事務では永い間、勤務犬を國境勤務に採用することに反對の態度を執つて居た。即ち其處には犬が正に國境勤務で働き得ただらうと思はれる貴重な援助に對する理解が缺けて居たのである。從つて先見の明ある下僚の實驗やSV(※獨逸シェパード犬協會)の諸提議も此處では一顧もされなかつたのである。
然るに(第1次)世界大戦は此方面にも或る種の變化を齎らし、大戰間は勿論軍隊側のことではあるが、屢々犬を以て國境監視が行はれたのである。今日では他の理由からしても、國境警備に犬を利用することが必要となるであらう。即ち犬を以つてする密輸防止が之である。
密輸は既に昔から白佛國境で盛んに行はれ、此處では主として逞しいフランデルン追牧犬が使用され、暗夜單獨で、國境の村から村へと派遣されて居たのである。其 處で彼等は故買者の許で良い待遇と給養を受け、次に空身か交換品を負ふて再び元の所に送り返へされるのである。犬は與り澤山は背負つては行けぬが、短距離 なら一〇瓩乃至一五瓩は平氣だし、例へば胴に巻きつけた笹縁(レース)や絹布の如きは、それだけで既に随分な量を成すものである。其上密輸行は煌々晝を欺く月夜だけを除いて、何時でも行はれ、一晩に數回繰返されることもあるし、多數の犬を以つて實施されることもある。
世界大戰や革命中の密輸の成功が今や多くの人々の心持から、不正であるとの感情を完全に拂拭して仕舞ひ、我が國に於ても犬を以てする密輸が横行して居た。犬は當初密輸入よりは密輸出に多く用ひられた。即ち千馬克紙幣や有價證券は犬によつて、容易に且つ怪まれたことなく、國難による犠牲を拂はないで済む國境を越えて密輸されたのである。
SVは適時この危險に對し注意を促して置いた。即ち犬を以てする密輸の防止は容易でない。蓋し國境の村落に現在する犬の數だけでは監視が充分でないのである。何となれば内地からも犬が招致され得るからである。だから元來密輸防止勤務は、深く内地までも總ての犬に對し不断の拘束強制を行ひ、この處置を再檢討し、悍威のある我武者羅な對犬咬噛犬(いぬにかみつくいぬ)を助手に付けられた多數の役人による國境監視をすることに依つてのみ行はれ得るものである。
今日では、大蔵省も其否決的態度を放棄して、國境税關吏に對し、勤務犬を購入すべき手當を支給して居る。犬は戸外勤務の税吏にとつて、彼の山林監守に對すると同様缺くべからざるものである。即ち個人の保護、逃げる密輸犯人の追跡、押収物品の監視、停車場への傳令、時としては臭跡作業のためにも必要である(フォン・シュテファニッツ)」

【東洋の税関犬史】

日本人より早く、中国の治安当局者は阿片探知犬を運用していました。
その発祥となったのが、ドイツ租借地でもある山東省青島。阿片の流入対策に苦慮する青島公安局は、巨大な貨物船内に隠された阿片を探し出す為に警察犬を配備したのです。

青島の阿片探知犬については、貴重な証言が残されています。我が国では詩人として有名な、中華民国軍南京特種通信隊長の黄瀛(こうえい)が来日した時の記録をどうぞ。

日時 昭和11年10月22日夜
場所 銀座明治製菓賣店
参加者
中華民國軍
黄瀛・中華民國軍特種通信隊隊長、李家駒・軍犬隊附少校
日本陸軍
坂本健吉陸軍少將、三重野信大尉、柚木崎好武中尉(両名とも陸軍歩兵学校軍犬育成所所属)
社團法人帝國軍用犬協會
田島氏、中根榮氏、大橋守雄氏、服部氏、平澤氏、松方氏、高野氏、阿部氏、刈田書記


「今夕は皆様から私共の爲に御集りを戴きまして、光榮とする所であります」
中根
「黄大人、どの位あなたの隊に犬を御持ちですか」

「五十何匹、それが良いのも惡いのも混ぜて五十何匹です。將來は何萬頭かに殖やすと云ふ計劃もございますが、まだ……」
中根
「上海のデニスチエン(※デニスチェン・ケンネル)はすつかりいけないですか」

「すつかりいけないんです。一昨年頃ですか、夏でしたが犬の病氣ですつかり……」
大橋
「甚だ失禮な質問を致しますが、あなた方の御國にも丁度日本の國の様な軍用犬協會のやうな團體がございますか」

「まだございません。先程、僕が來る途中で上海の方々に相當御合ひしまして、其の時其の話がございまして、上海に可なり大きい養成所をやつて見たいと云ふことで大分それには有力な人が入つて居るらしいので今度帰つてからまア其の方々に話してやらうと思つて居ります」
大橋
「ではまだ團體のやうなものは一つもございませんか」

「小さい團體ならございます」
大橋
「さうしますと、血統書の發行は個人だけで以て、公認されたものはございませんか」

「公認されたものはありませんね。併し、中華民國には獨逸のS・Vに入つて居る人が相當多いらしいので、僕の知つて居る人でも三十何人か居るでせう」
服部
「御國では軍用犬は三犬種、エアデール、ドーベルマン、シエパードですか」

「軍用犬と云ふ名称がありませんから、シエパードは牧羊犬とか、それから狼犬、監視犬とか言つて居ります」
中根
「それで矢張りあなた方の學校で訓練されて、演習等にはそれを使つて居らつしやいますか」

「其處まで行つてないんです。兎に角それを訓練しまして、各地方から來た軍司令官とか師團長なんかに犬でも斯う云ふことが出來ると云ふことを見せる位です。まだそれまでに行つてないんです」
中根
「それで訓練の程度はまアどの位の程度まで行つて居りますか」

「訓練の程度は僕の所は通信隊ですから、通信の出來るまでゞすね、基本訓練……」
中根
「李先生は青島に居らしたんですから、訓練の方は手に入つたもんでせう」

「そんなことはないと云ふんです。李さんが何か話をするさうですから通譯します」

(黄氏通訳)「自分は惜しいかな日本語が出來ないので、今顔を見ながらにして話の出來ないのは如何にも殘念であります。私は元來軍用犬に附いては非常に深い信念と理想を以て是までやつて來ましたが、矢張り色々な關係上からして犬に對しては幾多の疑問を持つて居るもので、今 度こちらに参りましたから色々又其の御指教を仰ぎたいと思ひます。今夜は軍用犬協會の幹部の方々や、歩兵學校の將校の方々が出てお居でになりますから、 色々御教示を仰ぎたいと思ひます。今夜茲に御臨席下さいました方々は皆日本の軍用犬の権威者ばかりで、其の中に自分が入つて居ることは非常に光榮とする所で感謝いたします」
三重野
「私から一つ李さんの御紹介を致します。只今中根さんから黄さんの黄さんのことに附いて色々御話がございました。朝の九時頃から午後の五時頃まで軍犬と云ふものに関して色々お互に御話をしたのですが、其の時に支那語を私が解しません爲に、お互いに支那語で李さんと研 究することが出來ないのは甚だ残念に思ひましたが、黄さんを通じて私共の學校の施設とか管理、訓練其の他に附いて黄さんを通じて御質疑がありました点を能 く考へて見まして、成程流石は青島で永年警察犬をやつて居られる方の質問は唯の質問と違つて有り觸れたことでなしに真髄に触れたことの質問があると云ふこ とを感じまして、私 が支那語を解して居ればもつと今度こちらの方から色々と今迄の深い體験を御尋ねしたいと云ふ氣がしましたが、殘念ながら問はれるだけに終りまして、こちら から御尋ねすると云ふ機會もありませんし、何しろ日本語で御尋ねするのはどうもしつくり合ひませんので、あちらの方の訓練界のことはさつぱり御尋ね しない内に時間がなくなりましたが、我々は日本の國内の軍犬はどう云ふ様な状態になつて居るか、どう云ふ風な方針でやつて居いでになるかと云ふことを十分 御聴きしたいと思つて居ります。
丁度軍用犬と云ふものは、どうも獨逸とか英國とか欧米に先んじられまして、日本は非常に立ち遅れたやうな形になつて居ります。日本がと云ふより東洋が立ち遅れたと云ふ感がありますが、我々軍犬の事業に携はつて居るものは、民國の此の方面に携はつて居られる方と提携しまして、東洋 の軍犬は欧米の軍犬に絶對に劣りはしないと云ふ確信を得て、欧米に負けない所の軍犬界を作り上げたいと念願して居る次第でございます」
中根
「黄先生、上海の工部局では犬を使つて居るんですか」

「工部局では個人としてはございますが、團體としてはないですな」
中根
「工部局は警察犬として實際に使つてないんですか」

「實際に使つてないらしいですが、僕もそれは能く尋ねませんが、持つて居るのは警部級の人が個人で持つて居るらしいんです」
中根
「さうして實際に使用して居りませんか」

「そこまで僕は見て居りませんが……」
中根
「南京の警察は如何ですか」

「ありましたが、併し經費の關係で削られたのです」
中根
「青島はどうですか」

「何十匹か持つて居ります。實際に巡察とか巡邏、さう云ふ方向に使つて居ります」
中根
「李先生から青島の警察犬の模様を聴かして下さい」

「青島の公安局の警察犬は、中華民國の十六年の春に獨逸から三頭の軍用犬を買つて來てそれから始まつたものです。民國十七年に丁度其の三頭が十何匹かに殖えたのですが、其の民國十七年の下半期に又獨逸から四頭の軍犬、警察犬を買つて來て、前に買ひました三頭と、それから此の十七年の下半期に買つた四頭と合計七頭を基本の犬にして、其の七頭犬は皆獨逸でも相當な経歴を持つた犬です。
其の管理の方法は二つに分かれて居りまして、一つは蕃殖で、一つは訓練と分れて居るが、度々強盗とかさう云ふ事件に中々役立つたと云ふのです。此の間色々な障害が度々起りまして、私は訓練の方を擔當しまして、それも警察犬は訓練には中々むづかしいので一生懸命やつたのです。
民國二十年の時に自分が苦心して一頭の犬を捜索から追撃までの科目を教へましたが、森林とか普通の土の道の臭跡の捜索よりもアスフアルトとかそう云ふ道の捜索が中々むづかしい。其の結果獨逸のSVに手紙を出して聴いたのですが、其の返事も、矢張りこの件に關しては自分達も研究中だと云ふことで、其の問題は今日に至るまで解決して居ないのです。
民國二十三年には青島の港で他所から阿片の密輸入等がございまして、公安局なんかで非常に困つて、まさか一人宛刑事を出す訳にも行かないし、其の警察犬に三箇月の期間を費して密輸入の防止の訓練の科目を施してやらせたところが成功しました。此の阿片の密輸入の檢擧は第一日目から三日間でしたが、二十何人を檢擧をしました。
さうして其の結果は小いものでも、例へば一グラムかニグラムの阿片でもちやんと犬は間違ひなくみんな檢擧しまして、大變成績が良かつたのです。
それから阿片の檢擧に犬が發達しまして、其の方面は警察犬の訓練は大分發達して來て居ります。

青島の公安局で犬を飼い始めてから、波止場、停車場等に之を配置してから、さう云ふ禁止品を賣る店が百分の九十までなくなりました。青島の公安局では、今警察犬が五、六十頭居る筈ですが、さうして其の使用の途は各分置所、日本の交番ですが、其処に犬をニ、三頭配置しまして、夜の警戒から巡察、夜の不時の召集なんかには其の犬を使つて居るのです」
三重野
「獨逸から輸入犬を買つたと云ふのは何年頃になりますか」

「九年前です」
大橋
「黄さん、御伺ひしたいのですが、今の警察犬ですね、警察犬の經費ですね、經費とか其の團體の組織と云ふやうなものは總て官營でございますか」

「官營です」
田島
「兎に角、阿片の密輸入とか何とかさう云ふことを警察犬で取締つて一角の効果を擧げたら大したもんですね」
三重野
「今の阿片の密輸入防止を真似たと云ふ譯ですか、朝鮮の鴨緑江の安東県の向側ですね、そこに貴志少佐と云ふのが、滿洲國の税關に入りまして、相當に 矢張り犬を持つて居るらしいんですが、滿洲が寒くなりまして鴨緑江が凍りますね、さうすると朝鮮の方からどん〃密輸入をして來るのを捉へて居る。矢張り青島の真似らしいんですが」
中根
「黄さん、南京のあなたの隊にはデニスチエンの所に居つた良い犬が居りませう。どうです、一匹養成所へ呉れませんか」

「デニスチエンの犬とはまだ交配しません。大分年を取つて居りますから」(※以前デニスケンネルを訪問した黄瀛さんは、その運営状況を痛烈に批判しています)
中根
「良いのがあつたら一つこちらの協會に種牡を寄付して呉れませんか。こちらの方でも相當な犬が居りますから、一つ良いのを差上げて交換するやうにしたいと思ふんです」

「併しデニスチエンは凋落をしてしまつて、犬を誰かに賣ると云ふんです。之を方々に分配すると惜しいので、『どうだ國家へ寄贈しないか』と言つて國家に寄付させました。六匹を買つた値が七萬円位のものでせうね。ハラスを買つた値段は米國の三千弗ぐらい、それをそつくり僕の方へ受取りまして、それで蒋介石氏から勲章を貰つてやりました」
大橋
「ハラスは種牡として使つて居りますか」

「兎に角老體ですから、獨逸の獸醫の顧問がこんな犬は殺して了へと云ふんです(笑聲)」
中根
「黄さん、御國の陸軍で軍用犬の重要性と云ふことは國軍として認めて居るのですか」

「欧羅巴の方へ偉い人が軍事視察に行つて見て居りますから追々……。さうして其の前までは一匹か二匹、青島の犬を個人で買つて居つたのです。まだ認めると云ふまでは行きません」
中根
「さうするとまだ創建時代ですな」



さて、ここからが我が国に関係する部分。
日本における麻薬探知犬史」は昭和54年からですが、「日本人が麻薬探知犬を使い始めた歴史」は戦前にまで遡ります。
それが、満州国税務部の税関監視犬育成所が配備していた阿片探知犬。

犬
満州國税関監視犬育成所『税関監視犬月報』より 康徳3年(昭和10年)


当時の満洲・朝鮮国境地帯では阿片密輸団が暗躍していて、満州国税関では税関犬を使った麻薬取締訓練に乗り出しました。これは、青島とのパイプがあった税関監視犬育成所長・貴志重光少佐(日本陸軍歩兵学校出身)が主導したものです。

満洲の税関犬は、主に満洲軍用犬協会(MK)を通して調達されていました(但し、日本での税関犬購買記録も残っています)。

「五月は帝犬(※帝國軍用犬協會)各支部を通じ軍部の大量購買が行はれたが、更に滿洲國の税關監視犬購買がJSV(※日本シェパード犬協會)の斡旋で五月九日 大阪市、十四日京都市に於て行はれ、一頭平均百八十圓で三十五頭買はれた。又滿洲軍用犬協會はこれと前後して大阪の帝犬支部及びJSVを通じ種牡牝犬の購 買を行つた」
『税關監視犬の購買』より 昭和15年

満洲税関監視犬は、日本とも密接な関係があった訳ですね。それらの中から、阿片探知訓練(埋設された阿片を嗅ぎ出す訓練)を施された捜査犬達が満洲国禁煙総局に配置されたのです。


(次回、満洲の税関犬史に続く)