・秋の信州。紅葉した山々、彩られた信州の秋は素晴らしい。信州の夏を知つてゐる人、信州の冬に接してゐる人は多いが、秋の信州を知る人は少い。
秋こそは都の人に見せまほしき眺めである。

・軍用犬の宣傳に漸く信州犬界も軍用犬、軍用犬と中々盛になつて来た。昨年の軍用犬展覧會には僅々数十頭だつたものが、昨今では帝犬の會員非會員を合すると其の頭数百数十頭になつてゐる。燎原の火の如き勢で発展しつゝある。
中には犬で一儲けしやうと思つて大いに意気込んでゐる人もあるらしい。
また中には犬の趣味が変じて犬屋になつて仕舞つた帝犬の會員もある。

・次は日本犬である。信州は柴犬の産地、山の中へ行けば未だ沢山の小型柴犬が居る。犬屋が盛に此れを掘り出しては東京へ出す。
一頭三圓位で仔犬が売れるので、山の中の炭焼は「豚を飼ふよりは儲りやす」といつて有卦に入つてゐる。
併し犬屋さんはこれを持つて来て「十五圓位で東京へ売れるんだ」と北笑んでゐる。

・それかあらぬか、松本、上田、長野、飯田あたりでは此の柴犬が安くていいので中々の流行をしてゐる。
雑種の日本犬を得意げに引張つて歩いてゐる紳士も中々ある。日本犬は血統書が要らぬので、犬屋としては實に都合がいゝ。
雑種でも判らない。
誤魔化して売るには最も都合がいゝらしい。

・次に闘犬は従来中々盛だつた。殊に松本、上田地方は相當強い、系統の通つたものが居た。
長野市でも同様だつたが、警察部の取締が厳重で次第に闘犬の機會がなくなる。
またこれを飼ふ人が大抵睨まれるといふ風だつたところへ軍犬の流行の為め、ほとんど陰をひそめる様な状態になつて仕舞つた。

・猟犬愛玩犬等も余り盛んではなく、従つて大した消長はないが、犬の一般的流行の為め、此頃ではグレートデンを、ワイヤー・フオツクステリアを、スコツチテリアを、ボルゾイをといふ風に、相當高價な犬を引張つて歩いてゐるのを見る事が出来るやうになつた。

・何といつても軍用犬が犬の價値を知らしめ、そして犬に對する親しみを増さしめ、今日の此の犬界の発達に貢献した事は多とすべきである。

南城達郎「信州だより」より 昭和11年

こういう、良く纏まった記録があると有難いです。
特に興味深かったのが、畜犬商による山間部の日本犬買い漁り。
このような経緯で「産地」の日本犬が減少し、都市部に氾濫するという逆転現象へ繋がった訳です。
もっとも、犬を売る側も優秀な個体は隠しておいて、二流三流の犬を畜犬商側へ渡していました。それを転売する畜犬商も、15円払って買う顧客も「信州産の柴犬」という肩書があればよかったのでしょう。
これが日本犬ブーム第一期の実情。功も罪もあったんですねえ。
あと、当局に睨まれて闘犬が衰退していく様子も面白いのですが、その辺はいずれ闘犬編で取り上げます。