今回より、近代日本の犬年表を掲載します。
この年表欄は、私が記事作成時の検索に利用する雑多なキーワード集のようなもの。皆さんが利用する場合、あまり参考になりません。

さて、「日本犬界やペット業界は戦後に発展した」とかいう解説を見かけますよね。アレ、全部ウソです。
「戦争で一度壊滅した近代日本犬界が戦後に復興した」だけの話であり、実際は明治時代から巨大な畜犬界が構築されていました。
明治~昭和20年までの日本犬界は、全国47道府県と南樺太・千島列島・台湾・朝鮮半島・関東州・南洋諸島、更には「日本犬界の双生児」たる満洲国犬界へ広がっています。
それらの地域に関する80年間の種々雑多な記録の集合体が、「近代日本の犬の歴史」です。

「近代日本」のエリアを理解していない結果、出来上がるのはカメと狂犬病と軍用犬とハチ公しか載っていない、薄っぺらで殺伐とした犬の年表ばかり。
せいぜい「東京エリアの畜犬史」に過ぎないシロモノが、「日本の畜犬史」などと称しているケースもそれですね(まさか、東京以外で暮らしていた犬は無価値な存在だと思っているのでしょうか?)。
そうやって犬を粗末に扱う者が、犬の歴史を語りたがるのはとても不思議です。

近代日本だけでも80年分あるので、明治・大正・昭和(戦前・戦中および戦後)の5回に分割しました。
大まかな近代犬界の流れは下記をどうぞ。

【明治以前の状況】
縄文時代に渡来した犬は日本列島各地へ定着。弥生時代になると、大陸から渡来した犬との交雑が進みました。同時期から稲作が普及したことによって、犬は猟の友から食肉扱いへと格下げされてしまいます。
奈良時代から近世にかけて、チベタン・スパニエル、グレイハウンド、細狗、チベタンマスティフ、ペキニーズ、フォックステリアなどといった唐犬や南蛮犬も渡来しました(後の鎖国政策もあって、それらが和犬へ与えた影響は軽微でした)。
そして幕末の開国により、洋犬の大量流入が始まります。

【明治元年~明治45年】

・日本畜犬界の状況
高嶺の花であった洋犬が庶民のペットとなり、それらの輸入・蕃殖・販売を担う畜犬商やブリーダーによって明治20年代には全国へと普及。狩猟雑誌などを通して飼育訓練法も共有化されていきました。愛犬家の増加によって飼育マナーも悪化し、野犬による被害も激増。
各地の行政機関は畜犬登録制度・取締規則制定・犬税徴収で対抗し、長崎県の狂犬病大流行を機にパスツール式予防注射の導入などを強化していきました。
在日外国人や宗教家による動物愛護運動が始まる一方で、当局の締め付けにあった闘犬界は地下ネットワーク化へ向かいます。
・新たな犬の用法
猟犬 西洋式ハンティングの普及により、鳥猟犬種はポインターとセッタ―へ交代。
牧羊犬 殖産興業による綿羊事業拡大により、明治初期から牧羊犬の活用がスタート。
警察犬 明治43年に台湾総督府が11頭の警察犬を配備し、山岳民族討伐作戦に投入。
レスキュー犬 八甲田山遭難事件の救助活動で、セントバーナードと北海道犬を投入。
輓曳犬 大型洋犬や樺太犬の流入で、荷車や橇を牽引する犬が現れました。
実験動物 飛躍的に発展した医学や獣医学、狂犬病対策の実験台として犬が使われました。
食用 食肉生産システム未構築のまま牛鍋が大流行。「犬肉で増量した偽装牛肉」も横行します。
毛皮 行政による野犬駆除により、野犬毛皮は皮革業界へ供給されました。 
・当時の日本に現れた犬種
カメ 洋犬の俗称。
地犬・和犬 日本在来犬種の俗称。
ポインター 明治20年までに猟犬として全国へ普及しました。
セッター 明治20年までに猟犬として全国へ普及しました。
ダックスフント 明治20年代の狩猟誌に、ダックスフントが既に来日していると記されています。
ブルドッグ 四国を訪れた宣教師が飼育していた記録があります。
マスティフ 四国犬と掛け合わせて土佐闘犬が生れました。
ラフコリー 下総御料牧場で牧羊犬として使われていました。
セントバーナード 明治35年、八甲田山遭難事件の救助活動に出動しています。
ブラッドハウンド 明治43年、警察犬として台湾総督府へ送られています。
ブルテリア 明治生まれのブルテリアが写真に残されています。
ポメラニアン ロシア~樺太経由で、旭川に「ポーランド産の狆」が来日。本格輸入は大正以降。
エアデールテリア 日露戦争で鹵獲したロシア軍のエアデールを皇太子(後の大正天皇)に献上。
スタッグハウンド 明治時代のペット商カタログに載っています。
ビーグル 明治の日本に広まったビーグルは、薩摩ビーグルの作出にも影響しました。
ウィペット 明治44年生まれのウィペットの写真が残されています。
グレート・デーン 明治初期に来日。
柴犬 当時の表記は「芝犬」。明治20年代の雑誌に芝犬保存運動の記事が載っています。
樺太犬 南樺太が日本領となった事で大量流入。優れた輓曳犬であり白瀬隊にも同行しました。
北海道犬 明治時代に蝦夷を訪れた外国人によって、「アイヌドッグ」として紹介されます。
四国犬 闘犬や猟犬として使われていました。
土佐闘犬 四国犬とブルドッグやマスティフを交配して作出されます。
秋田犬 大舘犬を闘犬用に改良、秋田犬が生れました。
紀州犬 明治時代の狩猟で紀州方面の猟犬が記録されています。

【大正元年~大正15年】
・日本畜犬界の状況
洋犬の輸入が拡大した時代、商売目的のペット商が牛耳っていた日本犬界は愛犬団体主導へと変化します。愛犬家の急増によって飼育マナーも悪化。行政側も畜犬取締りの厳格化で対抗しました。
警察犬や軍用犬など、公的機関の犬が登場した時代でもあります。
これら洋犬が普及する中で和犬は交雑化によって消滅。山間部に残存するのみとなりました。
・新たな犬の用法
直轄警察犬 大正元年、警視廳が採用。
軍用犬 大正8年、日本陸軍歩兵学校が運用研究を開始。
俳優犬 従来の芸当犬は、新たな娯楽である演劇や映画の世界にも進出しました。
・当時の日本に現れた犬種
日本犬 この時代の「日本犬」とは、見栄えのよい秋田犬や土佐闘犬のことです。
日本テリア この犬種が確立されていったのは、大正から昭和にかけての事。
パグ 大正元年の朝日新聞に、来日したパグの写真が掲載されています。
ボルゾイ 大正元年より輸入開始、上野の畜犬展覧會に出陳されています。
パピヨン 大正時代の畜犬展覧會に「パピロン」の出陳記録があります。
シェパード 青島攻略戦以降、輸入開始。大正8年度から陸軍歩兵学校が配備。
ドーベルマン 大正11年に3頭来日。翌年の朝日新聞に日本陸軍ドーベルマンの写真掲載。
ニューファウンドランド 大正期の猟犬カタログに掲載されています。
レトリヴァー 大正期には多数の写真が残っています。ゴールデンやラブの来日は後年。
マルチーズ 来日時期不明。「早期から来日していた」との記述のみ。
ケルピー 大正時代から北海道の種畜場に配備されています。
コッカースパニエル 大正時代に日本で撮影された写真が大量に残ってます。
スカイテリア 大正時代に輸入されていた個体の写真が存在。
ボストンテリア 当時のペット商カタログに写真が掲載されています。
ジャーマン・スピッツ 大正時代に来日。日本スピッツの元となりました。
サモエド 樺太には原種に近い犬が古くから移入。昭和に入ると輸入頭数が増加します。
プードル 大正時代に輸入されていた個体の写真が存在。
オールド・イングリッシュシープドッグ 大正時代に輸入されていた個体の写真が存在。
アイリッシュテリア 「愛蘭テリア」なる大正時代の写真が残っています。
グリフォン 大正時代に輸入されていた個体の写真が存在。
ダルメシアン 大正時代に輸入されていた個体の写真が存在。
イングリッシュ・ウォータースパニエル 欧州では絶滅した筈ですが、大正時代の写真が残っています。
スコティッシュテリア 大正時代から日本でも人気のペットでした。

【昭和元年~昭和11年】

・日本畜犬界の状況
 日本犬保存会が設立された昭和3年、消えゆく日本犬の再評価と保存活動が開始されます。忠犬ハチ公ブームはそれを盤石なものとしました。同時期に日本シェパード倶楽部は陸軍歩兵學校に接近、シェパードの普及と最新訓練理論の導入も進みます。
満州事変を機に関東軍は軍犬の実戦投入を開始。これに感化された日本シェパード界は帝国軍用犬協会が推進する「軍犬報國運動」へ方針転換しました。これに反発する日本シェパード犬協会はドイツSVと特別契約を締結し、日本初の国際畜犬団体となります。歩調を合わせて民間ペット界も隆盛を極め、品種別の愛犬団体が全国に乱立。顧客の増加によって、獣医学界はジステンパー・フィラリア治療の研究、ペット界は外国産ドッグフード輸入などを充実させていきます。
東京オリンピックに向けて人道會や動物愛護協會の運動も活発化し、捨て犬の里親探しや二酸化炭素による野犬安楽死装置の普及に動いています。
・新たな犬の用法

嘱託警察犬 犬の訓練法向上に伴い、各県警が地元愛犬家に捜査協力を依頼するようになりました。
郵便犬 吹雪の中で郵便配達員を誘導する犬。豪雪地帯の郵便局が配備しました。
鉄道犬 満洲鉄路総局と満鉄がそれぞれ国線警備犬と社線警戒犬を運用。
税関犬 満州国税関が満朝国境の密輸取締のため国境監視犬部隊を運用。
麻薬探知犬 青島公安局阿片探知犬のノウハウを満州国税関が採用。国境警備で使用。
害獣駆除 春日大社の鹿追犬、農場や倉庫の捕鼠犬などが記録されています。
・当時の日本に現れた犬種
日本犬 昭和3年、ようやく日本在来犬種の保存活動が始まります。
サルーキ 昭和11年の畜犬展覧會に出陳された写真があります。
チャウチャウ もっと古くから渡来していた様ですが、詳細は不明。
アフガンハウンド ゾルゲが飼っていましたね。既に日本人ブリーダーもいました。
ケアーンテリア ペット商の広告に載っています。この犬を飼っているお相撲さんもいました。
マンチェスターテリア 飼育写真が残されています。
ワイヤーヘアードテリア 来日後たちまち大人気となり、多数の同好会が設立されました。
メキシカン・ヘアレスドッグ 彫刻家の藤井浩佑が飼育していました。
ケリーブルーテリア ブリーダーによる広告が残っています。翻訳家の秦一郎も飼育。
シュナウザー 人気犬種であり、愛好団体も設立。陸軍歩兵学校もテスト配備しています。
キースホンド ブリーダーによる広告が残っています。
ロシアン・シープドッグ ペット商カタログに掲載されています。
ボクサー 昭和9年に来日。
アイリッシュ・ウルフハウンド 昭和12年にカナダ経由で一頭だけ輸入。
甲斐犬 甲府地検の足立判事によって新犬種であることが判明。天然記念物に指定されました。
越の犬 鏑木博士の調査によって新犬種であると判明。天然記念物に指定されました。
高安犬 ペット商の広告に登場。
珍島犬 朝鮮総督府によって天然記念物指定されます。
台湾犬 長らく顧みられなかったものの、この時代に再評価が始まります。

【昭和12年~昭和20年】
・日本畜犬界の状況
第2次上海事変以降、内地からも陸海軍の軍犬班が出征します。戦線は拡大し、帝國軍用犬協會による民間犬の購買業務も全国規模で展開されました。動物愛護運動も、次第に軍用動物愛護へと変質していきます。
物資が不足し始めた昭和13年、商工省は犬皮を統制対象に指定。昭和14年の節米運動を機に、国会議員や官僚が駄犬駆逐論を提唱し始めます。
昭和16年に太平洋戦争へ突入したことで、海外からの畜犬輸入ルートも途絶。昭和18年を最後に日本犬界も崩壊していきました。
昭和19年末、厚生省と軍需省はペットの毛皮供出を全国の知事へ通達。各地で大量のペットが殺戮されました。残存するシェパードも本土決戦用の民間義勇部隊「国防犬隊」へと編入されます。このような末期状態のまま敗戦の日を迎えました。
・新たな犬の用法

地雷探知犬 昭和13年、関東軍、満鉄、華北交通社などが研究を開始。実戦投入は昭和16年から。
盲導犬 昭和13年に米国盲導犬が来日。翌年より陸軍省医務局も失明軍人誘導犬の運用開始。
・当時の日本に現れた犬種
消えていった犬種ばかりです。

【昭和20年~30年代】
・日本畜犬界の状況

出征していた愛犬家の復員と共に、休眠状態だった各畜犬団体は活動を再開します。シェパード界の復興スピードはすさまじく、北海道に残存していた個体群を元に昭和25年までに全国の拠点を再稼働させてしまいます。元帝國軍用犬協會関係者は新たに日本警察犬協会を発足、極東米軍や台湾軍は日本を軍用犬調達拠点とするようになりました。
昭和27年にはジャパンケンネルクラブが発足、東北に残存していた土佐闘犬を元に闘犬界も復興、日本犬保存会も日本犬の繁殖を再スタートしていますが、これら各畜犬団体の統合計画には日本シェパード犬登録協会が(戦時中の遺恨もあって)強硬に反対。結局は頓挫しました。
戦後復興期には犬の増加に伴って狂犬病も再燃しますが、当局側も必死の防疫措置で対抗。封じ込めに成功した結果、日本は世界でも稀な狂犬病清浄国となりました。高度経済成長期になると不治の病であったフィラリアやジステンパーの予防薬も登場し、犬肉食の習慣も完全に廃れます。こうして犬は再び日本人の友となりました。
・新たな犬の用法
ドッグレース事業の法案提出と否決
昭和21年より、各県警本部が警察犬の運用を再開(警視庁は昭和31年より再スタート)
保安隊が軍用犬を配備。陸上自衛隊改編後も少数の歩哨犬を運用
富士の山岳遭難事故でレスキュー犬の活動再開
俳優犬の映画出演再開
炭鉱・林業分野での犬トロリー継続
南極観測隊が犬橇を再運用
盲導犬の運用再開
・当時の日本に現れた犬種
海外貿易が再スタートした昭和25年以降、戦前に輸入されていた品種はほぼ復活
ラブラドールやチワワが新たに渡来


それでは、次回より明治編へ。