私は今、軍用犬献納の下検査のため城東練兵場に来て、順を待つてゐる者です。
昨夜軍人會館に於てドーベルマン研究座談會に末席をけがし、御高見を種々拝聴しました。それについて一言考ふるところをのべたかつたのですが、時間が無いのでそのまゝ帰り今執筆する次第です。
もとより何等の経験も智識も無いものですが、世の中の一つの声としておよみ下さい。

ドーベルマンは何故断耳するか。

それに對していろ〃御答のある事と思ひますが、聴覚、體裁は問題でなく、世界各國が切るから切るのでは、あまりにひらけぬ話と思ひます。
一より十の標語から云つても、断然その必要はないと思ひます。
断耳の必要がなければ、長足の普及を見るでせう。我子の耳を切る事をお考へ下さい。
毛を刈る羊や兎は、その毛が利用されるのです。
犬の耳は何か大した役に立つのでせうかと申上げたいのです。
「舊來の陋習を破り」と宣はれてゐます。天地の公道の上から云つても自然に備つた耳を切捨てるのは惨酷でせう。

流行なるが故の入墨は、もうとりかへせぬ如く、切捨た耳はもうのびません。今のうちにその習慣を先づ日本から捨てゝは如何でせうか。
断耳に用ふ費用、労力、心労の一切をもつと外の方に有効に用ひて戴きたい。
この考へはすでに與つてゐる事と思ひますが、不肖を省みず一筆申しのべました。
念のためですが、小生は犬については全然の素人です。一笑に附されても聊かもうらむやうな事はありません。

布施市 横川善彦「断耳に就いて」より 昭和14年


横川さんのような人もいれば、断耳・断尾はおろか避妊手術も怪しからんと主張する人もいて
愛犬家の動物愛護にもイロイロありました。
そういえば、当時の犬本では「外国がやっているから」ばかりで断耳尾する理由を解説したものは少ないですね。