戦前の僅か一時期、東京限定ですが、当時の総合的な畜犬飼育状況に関する貴重な記録です。
意外な結果が現れていて興味深いですねえ。
日中戦争が始まった後も、昭和15年前後までは普通に犬を飼えました。
太平洋戦争へ突入した頃から状況は急速に悪化。昭和18年を境に、愛玩犬などの飼育は激減していきます。

昭和9~10年は日本犬保存活動と軍犬報國運動がようやく軌道に乗った時代ですから、これ以前の和犬・洋犬・雑犬のデータを求めるのはちょっとキツいかもしれません。
国際港神戸を有する関西地方の記録もあれば、関東犬界と関西犬界を比較できたのですが。

この記録でわかる通り、戦前・戦中の畜犬行政(畜犬登録・野犬駆除・狂犬病対策)は内務省および各道府県警が管轄していました。
……畜犬税関係も警察がやっていましたが、税務署との兼ね合いはどうだったんですかね?
警察が地域の畜犬登録状況を把握していた故、戦争末期の犬の供出運動では飼主に逃げ道が無かった訳です。
「犬の供出運動は軍が実行した」とかいう主張もありますが、陸軍省は内務省と違って「どこの誰が何種の犬を牡牝何頭飼っている」という総合的な畜犬登録データなど持っていません。早い話が実行不可能。
陸軍省馬政課が把握していたのは、帝國軍用犬協會に登録された軍用適種犬(シェパードとドーベルマンとエアデール)の飼育頭数だけです。
「軍による在郷軍用犬の出征」と「行政による飼犬の献納運動」は区別しましょう。

コレを作成した警視廳の伊藤警部については、上野動物園黒豹脱走事件で検索してください。



警視廳衛生部獣医課では、先般來管下各警察署に通牒を発して、東京府(警視廳管内)の民間畜犬状勢を調査してゐましたが、去る七月來各警察署(大島のみ未着)からの回答を得、爾来、整理に忙殺され、この程漸く完成を見ました。
調査の眼目は、畜犬の種類と頭数、性別及び飼養目的の三つで、飼養目的は軍用、狩猟、番犬、その他の四項目に分けられてゐますが、斯様に明細な畜犬状勢調査は未だ吾國では前例のないことで、愛犬家の好資料となることを疑ひません。

洋犬 日本犬 雑犬
この調査に拠ると、八月一日現在、東京府の畜犬総数は三九、八一六頭、その中牝は一五、五〇一頭、牡は二四、三一五頭で、牡の方が断然多く、牝よりも九、八一四頭も多いのです。
又これを日本犬、洋犬及び雑犬の三大別にすると、日本犬は牝が八四二頭、牡一、二五九頭。
洋犬は牝五、〇七三頭、牡が六、七二一頭。
雑犬は牝九、五八六頭で牡一六、三三五頭といふ数で、最近畜犬の改良が著しく進歩したとはいふものゝ、未だ雑犬が多く、雑犬総数が、日本犬と洋犬を併せた相当数の約二倍に近いといふ現状ですが、これも飼主のあるものゝ数で、所謂野犬に至つてはどの位の数に上るか知れません。

犬の種類別
犬の種類からいふと、後に掲げる表のやうに、雑種を除いて犬種名の明瞭なものは三十六種になり、その中最も多く飼はれてゐるのはテリア種で四、二九四頭、次がポインター種で二、三六一頭、三位がシエパード種で一、六九三頭、四位がセター種で一、五九二頭、次が土佐犬の一、一七六頭、柴犬の三九〇頭、狆の三七七頭、続いてブルドツクで二九九頭、秋田犬の二八七頭、等の順になつてゐます。
珍しいものとしては、ボストンテリア、カーンテリア、フオツクスハウンド等の各一頭や、プードル、ダツクスハウンドの各二頭及び、ポメラニアンの三頭等です。
この種類別を一瞥しただけでも、未だ完全なものではないことは判りますが、とにかく初めての仕事として、これ丈け詳しく調べたのは多としなければなりません。

犬種 牝/牡
柴犬 一三九/二六一
土佐犬 四四七/七二九
狆 一八四/一九三
秋田犬 一五八/一二九 
テリア 一、九八〇/二、三一四
ポインター 九九七/一、三六四
セツター 六〇〇/九九二
コリー 二九/二七
スパニール 二五/二九
プードル 〇/二
サモイド 二七/三三
ポメラニアン 一/二
フオツクステリア 一一四/一二九
マルチス 三/六
土佐ブル 九二/一二七
セントバーナード 七/八
スキツパーキー 四/一
ダツクスフント 〇/二
樺太犬 六/一三
グレーハウンド 二二/一四
グレートデン 五二/五四
シエパード 六八三/一、〇一〇
ブルドツク 一〇〇/一九九
ブルテリア 八七/一一一
エヤデールテリア 四一/六五
ボルゾイ 五/四
ドーベルマン 三六/三一
ワイヤへヤドテリア 四/一七
ボストンテリア 〇/一
支那犬 二/六
カーンテリア 〇/一
ケールブルテリア 三/三
コツカースパニール 五/七
フオツクスハウンド 〇/一
英ポインター 四一/六三
獨ポインター 二一/三二
雑種 九、五六八/一六、三三五



軍用犬 三五八/一二(登録犬)
日本犬 八四二/一、二五九
洋犬 五、〇七三/六、七二一
雑犬 九、五八六/一六、三三五
計 牝一五、五〇一 牡二四、三一五
総計 三九、八一六

飼育の目的
飼育目的から見ると、番犬として飼つてあるものが最も多く、三四、九四七頭、次が唯萬然と愛玩その他に飼つてゐる、その他の項に入るもので四、〇六八頭、狩猟の為めに飼つてゐるものはこれに次ぎ八四三頭、最後が軍用犬として飼つてゐるもの三五八頭です。
軍用犬を目的として飼はれてゐるのは、何といつてもシエパードが最も多くて三三七頭、次が柴犬の一四頭、次がドーベルマン・ピンシエルの四頭、エアデール・テリアの三頭です。
狩猟の目的で飼はれてゐるのはポインターが最も多く三五四頭、次が雑種で二八三頭、三番目がセツターで一七一頭。
シエパードでこの目的に飼はれるのは三二頭、柴犬は三頭です。
又番犬を目的とするのは雑犬が最も多く、二四、六六〇頭、次がテリアの三、〇五三頭、それからポインターの一、五三七頭、シエパード一、二七〇頭、セツターの一、一三九頭、以下秋田犬の二八五頭、柴犬の二八〇頭、フオツクステリアの二三八頭、ブルテリアの一五七頭で、エアデール・テリアの一〇〇頭、ドーベルマンの五四頭等の順です。

畜犬の分布状態
次に畜犬の分布状態を、地區的に、舊市内、新市内に、郡部に三大別して、主なる犬種に就いて見ると、
テリアは舊市一、七七〇頭、新市二、三一八頭、郡二〇六頭。
ポインターは舊市八七八頭、新市一、三四二頭、郡一四一頭。
シエパードは舊市四五〇頭、新市一、一六六頭、郡七七頭。
セツターは舊市五二五頭、新市九九五頭、郡七二頭。
土佐犬は舊市三六九頭、新市七五五頭、郡五二頭。
柴犬が舊市一五四頭、新市二三五頭、郡一頭。
ブルドツクは舊市七四頭、新市一九八頭、郡二七頭。
秋田犬が舊市四七頭、新市二三一頭、郡九頭の割に分布し、雄犬は舊市八、八四四頭、新市一六、六一一頭、郡四六六頭になつてゐます。

主要犬の分布
以上の犬種が何れの警察署管内に最も多く飼養されてゐるかを、舊市内及び新市内に分けて、多い署から三つ宛を掲げます。

犬種 舊市/新市
テリア 
麹町署一一三/目黒署二一四
麻布鳥居坂署九二/大森署一九九
芝高輪署八三/蒲田署一九四
ポインター
麹町署五二/中野署一二二
四谷署五〇/大森署二一四
小石川富阪署四六/目黒署八三
シエパード
小石川富阪署四六/世田谷署一七八
麹町署三七/中野署一三一
芝高輪署三六/王子署一二五
セツター
四谷署三九/中野署一四四
小石川大塚署三一/大森署九九
浅草象潟署二九/目黒署六四
土佐犬
芝愛宕署四六/中野署二四五
下谷坂本署四五/世田谷署三九
本所厩橋署一八/渋谷署三七
柴犬
牛込神楽坂署一一/目黒署二五
下谷上野署一〇/原宿署二五
四谷署九/砂町署二〇
ブルドツク
芝愛宕署一八/世田谷署七九
小石川富阪署一三/荏原署三五
本郷駒込署九/田無署・府中署郡一三
秋田犬
芝愛宕署三六/中野署一〇九
麻布六本木署六/世田谷署六七
小石川大塚署五/杉並署二五

右調査の衝に當つた警視廳獣医課伊藤壽警部は、「畜犬総数の四萬頭に比較して、軍用犬警察犬が極めて少く、又番犬として調査の上に表はれてゐるものでも、真にお邸向きの番犬として豫防警察に貢献出来るものは極少数で、多くは番犬を必要としないやうな階級に、愛玩的に飼はれてゐる状態です。
これをもつと経済的に考へて、単に愛玩犬としてだけでなく、一朝有事の際は軍用犬、警察犬として役立つやうにし、平素は番犬狩猟犬として犬の性能を生かしてやるやうにすれば、畜犬の改良進歩が計られ、従つて狂犬病豫防の効果も得られると思ひます。
兎に角大仕事でした。
こんな明細な調査は嘗てないと思ひます。
始めはクラブ及び畜犬商組合等の組織をも調査する筈でしたが、これが出来たら、實に堂々たるものであつたと思ひます」と語つた。

警視廳獣医課「昭和九年八月一日現在 東京府下の畜犬数」より