名古屋方面は、京都や他の地方と較べると、それよりも一歩も二歩も早く日本テリアが普及されていつた。
之は前回にも述べたが、名古屋市蒲焼町廣林健三氏の賜である。
廣林氏は昭和八年、自ら中部日本テリア協會を組織したり、或は日本テリアの展覧會を開いて大阪の有名な種牡犬を招待出陳させたり、名古屋方面のテリアの発達に必死となつて努めたものだ。
又大阪から夥多の種犬を移入して資質の改善を圖つたが、併し其間改良目標の理想に缺けるやうな點がないではなかつた。
仮令へば、昭和六・七年頃単に利益を目的とする大阪の一部の人で作出されたスムーズ・フオツクス・テリアと日本テリアの合引になる有害無益な一代雑種犬をも無選擇に移入したことだ。
之は確かに東海地方の一部の短毛種テリアの健全なる発達を阻止した。
第一に日本テリア特有の眼張りのよさを失ひ、第三に毛質の洗練を害した。こうした結果を見たことは遺憾であつた。
とは云へ又名古屋地方で作出された短毛種が東上して、豊橋や静岡、東京方面へ続々移出され、関東の日本テリア改善の素地を作つたことは一つの功績と云はねばならぬ。
名古屋地方の日本テリアの系統は、大阪のテリー系もあればキング、ヒーローなどの系統もある。
種々雑多で、それは既述の通りであるが、猶此外に種牡犬として有名なのは左の二頭である。

1.ホシ
2.太郎