陸軍軍犬購買試験
時日 五月九日 午後一時
場所 中野JSV本部裏庭
別紙詳報の如く、本協會斡旋の四頭全部合格、目出度出征と決す。
出征犬出發
時日 五月〇日 午後〇時
場所 東京驛
出征犬全部京橋庶務事務所前に集合、會員有志多数と共に銀座丸ノ内を行進、東京驛頭に送る。
例會
時日 五月二十六日 午後六時
場所 於京橋八重洲園
中元理事長より今回の出征犬に對する報告及第十三回展覧會の概評がありたる後、各級審査員より詳細なる審査報告を行ひ、會を閉ぢたのは午後十時を少し過ぐる頃であつた。
出席者左の如し。
中元、下山、高橋(助)、吉田、野田、森田(兄妹)、岩田、松名、坂上、名子、三木、栗田、関口、横井、太田、辻川、池野、大堀、許斐、柳川、以上二〇氏。
第四回使役犬候補試験
時日 五月二十二日 午後一時
場所 深川濱公園地内
別紙詳報の如く、委員長筑波侯爵閣下御臨席のもとに行はれ、受験犬四頭中左記の犬一頭合格す。
ボニー(島川氏) 牡 越田勇(東京)
例會
時日 六月二十三日 午後六時
場所 於京橋八重洲園
中元理事長より第四回使役犬候補試験及出征犬無事着任の報告あり。使役犬試験委員坂上氏の第四回試験概評及び出征犬前所有者諸氏の現地便り朗読等を行ひ、午後九時半會を閉ず。
出席者左の如し。
中元、越田、森田、大堀、石橋、許斐、野田、坂上、池野、岩田、以上十氏



皇軍の向ふところ敵なく、支那軍の金城鉄壁と頼みし上海、南京、保定等又今回は五十萬の兵を以て守備せりと語せし徐州も我忠勇なる将士の攻撃には一溜もなく敗北潰走した。
支那側が如何に大言壮語すると雖も、蒋政権の没落は最早や火を観るより明である。
然れ共彼等は厖大なる土地を利し、奥地へ遁走し飽く迄皇軍に對抗せんとしてゐる。
然れば長期抗戦の覚悟をなし、暴戻極なき彼等を徹底的膺懲撲滅し、再び立つ能はざらしめ、真に東洋永遠の平和を樹立せんが為めに邁進しつゝある。
我等國民も亦銃後の守を堅く、出征勇士の後顧の憂なからしめ、國策に順応するの覚悟を必要とする。
又皇軍神速なる追撃に依り、逃げ遅れたる支那敗残兵は至處に潜伏し居れば之等の掃蕩にも猶相當の時日を要する事と考へられる。

今回の事変戦争に斯くも大捷を博せしは實に我将士の盡忠報國の賜に外ならざる事は勿論なれども軍馬、軍犬、傳書鳩の如き軍用動物の活動も見逃し能はざる事である。
新聞にニユース映畫に彼等可憐なる動物の奮闘振りを見る毎に誠に涙ぐましき限りである。

吾協會は創立當初よりエアデールテリア飼育の目的は単に愛玩、観賞に止めず、使役犬として國家有事の際役立たん事を考慮し、訓練の普及発達を謀つたのであつた。
然るに過日當局に於てエアデールの買上げ及献納を受くる旨の通知に接し、直に少数會員に諮りたるに左記三頭献納の申出あり、又一頭買上げの栄を受たり(受付期間切迫せし為め一般会員に通達し能はず)。



献納犬
バンビー・ボニーサンD49  池野信平氏
父Ch.ジユンモア・ボニーボーイ
母ロツクフオード・エデイース

リオ・オブ・ブリヂツトボウマンE28(訓練SKG)
 名子与一氏
父 ジヨニー城山
母 チエリー・オブ・カナダD52(訓SKG)

コッティ・オブ・タカハシ1019  高橋庄司氏
父 プリンス・オブ・ヒルサイド
母 ロリー(有輪氏)

買上犬
ハツピー(岩田氏)F7 岩田才次郎氏
父 ワーランドモナークF57(訓SKG)
母 アサマ

右四頭は〇〇日出征と決定せし故當日本會庶務事務所に集合し、其家族及會員其他見送人と共に〇〇驛に至り、午後〇時多数の見送りの内に発車。〇〇に向け輸送せられた。

物言はざる出征犬に一層の愛別の感を深めた、我等は之等出征犬に對し萬歳を三唱し、彼等の武運長久を祈り、御國の為めに吾等に代りて御奉公せん事を願つた。

「五月〇日我がエアデールテリアの代表として出征する四犬を東京驛頭に送つた我々は、長い旅路を無事に任地に着いてくれる様ひたすら祈つて居たのでありま したが、此の程現地取扱兵諸氏の厚意によりいづれも無事に着任したとの知らせを得ましたので、こゝに其の略文を掲げてお喜びをお分ちする次第でありま す」
※戦地便りの内容については、上のリンク(各々の犬名)をクリックしてください。

日本エアデール協會理事長 中元銀弘「出征犬を送る」より 昭和13年




旧軍の軍用犬は、日本及び満洲の畜犬団体登録犬から購買・寄贈されて出征していました。
その畜犬団体は、軍用適種犬を登録対象とする日本シェパード倶楽部、帝國軍用犬協會、日本シェパード犬協會、青島シェパードドッグ倶楽部、満洲軍用犬協會あたりが中心です。
実際は、それ以外の団体からも登録犬が出征していたんですねえ。

エアデール連盟などは軍犬報國運動に逆らえず、昭和8年に帝國軍用犬協會エアデール部へ吸収合併されています。
しかし、その後も独自路線を歩んでいた団体があったとは驚きでした。