京都で洗練された日本テリアを手掛けた最初の人は、京都府小山上初音町上川實氏であらう。
上川氏は、同氏が浄福寺通今出川北入所に住居してゐた昭和四五年頃は、祇園の花増彌太郎氏等と京都の犬界をリードし、岡崎公園などでも盛んに總合展を開催したりした。
さうした訳で早くから日本テリアに興味を覚え、昭和六年メリー(日聯京都第一三七號昭和六年七月生)といふ優秀な牝犬を大阪から移入し、大阪・ジヤツク(日聯大阪第一三一號)と交配蕃殖を行つたり、専心テリアの研究を始めた。
そして昭和九年押小路通堀川東入山本孝次郎氏と相圖つて京都日本テリア倶楽部を組織した。

山本孝次郎氏は、間もなく神戸のピー系に属するハロー(日聯大阪第二九二號)の直仔ツバメ(日聯京都第一五七號)を種牡犬として迎へ、京都に於ける日本テリアの改良蕃殖の基礎たらしめると共に、一面白ら飼育せる牝犬を利用して、双月庵・グリー(日聯大阪第一二四號)や大阪・ジヤツク(日聯大阪第一三一號)の両血統を蕃殖し、又伏見の長谷川種次郎氏も大阪・ジヤツク系の種牡犬を入れて盛んに蕃殖せしめたから、現在では大阪・ジヤツク系の種牡犬が京都の日本テリア界の根幹をなしてゐる。

猶、此外京都のテリア界に活動した種牡犬は左の三犬であるが、之より先、上川氏が大阪から種牝犬を引いた時分、四条寺町の有名な百貨店藤井大丸の主人が、東山區縄手通四条北入奥野啓三氏の世話で、大阪から種牡犬を求めて蕃殖に利用されたさうだが、京都の短毛種テリアの種牡犬としては、これが最初のものであらう。

(1)桃太郎
(2)陸奥
(3)皐月荘・勝太郎
(4)長岡荘・若竹
……4犬いますね。