現代の日本では、各地方自治体が犬を飼うためのルールを定めています。ペット如きに堅苦しいと思われるかもしれませんが、犬という動物を飼う以上は仕方ありません。
明治時代から続く飼育マナーの悪さ、放し飼いによる野犬の増加、それに伴う狂犬病発生の阻止といったイロイロな要因があって畜犬取締規則は誕生しました。当局がイヌの飼育に介入したのは、無責任な飼主が招いた自業自得でもあったのです。
吠える咬みつく喧嘩する畑を踏み荒す家畜を襲うゴミを漁る糞をする、挙句に狂犬病まで媒介する。「悪犬をなんとかしてくれ」と泣きつかれる行政側にとって、畜犬取締規則を制定するのは当然のことでした。
愛犬家のワガママより住民の安全が優先ですから。

近代日本で行政が発した畜犬取締については、明治5年の京都府布令第94号あたりが始まりでしょうか。
これは「悪さをする犬は邏卒(巡査)によって取り締まる」というもの。案の定というか飼育マナーは一向に改善されず、京都府側は更に厳しい措置を重ねます。
当局と愛犬家の対立は明治初期に始まっていたんですね。

同時期、他府県も次々と畜犬行政へ介入。翌6年には東京府が「東京府畜犬規則」を、続いて明治14年には警視庁が「畜犬取締規則」を制定しました(東京は後続組なのですが、ナゼか先駆者の如く語られています)。
明治19年には「獣類傳染病豫防規則」によって畜犬取締りと狂犬病対策が統合されます。
東京エリアに限っても日中開戦時まで規則の更新が重ねられますが、一部の事例を除いて繋留飼育の義務のみは定められませんでした(忠犬ハチ公が澁谷を徘徊できたのも、法的根拠があったワケです)。

しかし初期の犬に関する法令について調べても、「〇〇年に制定された」という話ばかり。その内容を知らない人も少なくないのでは?
そんな訳で、今回は明治後期の東京に於ける畜犬取締規則について取り上げます。
興味深いのは第3条。明治20年代には「外国には犬用の口輪というものがあるらしい」程度の記録かありませんので、犬用マズルが普及するのは明治30~40年代辺りだったという事が分かります。

帝國ノ犬達-畜犬取締規則


畜犬取締規則(明治四十二年五月六日警視廳 令第十六號)

第一條
犬を飼養するものは其頭數、名稱、種類、牡牝の別、毛色、年齢及特徴を記し三日以内に所轄署に届出べし。
左の場合にありても三日以内に所轄警察官署に届出べし。
一、畜犬の飼養を廃止したるとき
二、畜犬の所在不明となりたるとき
三、所在不明となりたる畜犬を發見したるとき
四、畜犬斃死したるとき
第二條
畜犬には其飼主の氏名を記したる頸環を附着すべし。
前項の頸環は前條第一項届出の際、所轄警察署に提出して左記雛の形刻印及番號の附與を受くる事を要す。
第三條
人畜を咬傷するの處ある畜犬は其の飼主に於て口網又は箝口具を施すべし。
警察官吏に於て必要と認めたるときは前項の施行を飼主に命ずることあるべし。
第四條
警察官署に於て逸走の畜犬と認めたるときは七日以内警視廳内に繋留し明治三十二年三月法律第八十七號遺失物法に依り處分す。
第五條
第一條届出は警察支署巡査派出所、駐在所又は交番所に之をなすことを得。
第一條第二項の届出は口頭又は電話を以てすることを妨げず。
第六條
第一條第一項、第二條、第三條第一項に違背したるもの又は第一條第二項第三號の届出をなさゞるもの若くは第三條第二項の命令に従はざるものは科料に處す。
附則
本令は明治四十二年五月三十一日より之を施行す。
本令施行前既に届出飼養するものは本令第一條第一項により届出をなしたるものと看做す。
前項に該當するものは明治四十二年六月三十日迄に所轄警察官署に頸環を提出して第二條第二項に定めたる雛形の刻印番號を受くべし。