現今日本では競馬や競輪が盛に行はれて居るが、やがて競犬時代が出現するのも間近い様に思ふ。
日本の犬界がグレイハウンド等の本格的競争犬に恵まるる迄には資源的規格的に見てシエパード犬を以てするドツグレースを行ふ外途がない。
この時に当り4万の登録シエパード犬と5千の会員を有して20年の歴史を有する当協会では、本レースに対する経験者も多く、早急の実施に最も責任を有てる團体である。この責任上本協会は本稿を草して凡く各方面の認識を深め、競犬実現に向けて努力せんとするものである。


JSA「競犬の企画」より 昭和25年6月

帝國ノ犬達-ドッグレース


昭和20年、満州国の崩壊と共に我が世の春を謳っていたMKも消滅。
その後、満洲の賽犬場がどうなったのかは分りません。

いっぽう、戦後復興が始まったばかりの日本では、ドッグレース事業への夢が再燃していました。
ライバルの満洲軍用犬協會や帝國軍用犬協會が消滅した今、主導権を握ったのがJSA(日本シェパード犬登録協会)。
JSAでは、昭和25年頃から競犬事業への進出を主張する声が高まります。
驚く事に、敗戦から僅か5年で日本シェパード界は復活を遂げていました。

しかし、シェパードにとって最大の「就職先」であった日本軍は敗戦と共に解体されてしまいます。
治安勤務も、昭和25年の段階では中部・中国・四国・九州地方の県警本部が計40頭程の警察犬を運用していた程度。
牧羊業界では依然としてラフコリーが主力の座を独占しており、シェパードが入り込む余地はありません。
戦後日本で「使役犬としてのシェパード」を普及させる為、日本ドッグレース協會やJSAではドッグレース事業に活路を求めたのです。

「一言付け加えて置きたいことは、近来盛んに叫ばれているS犬を以てするドッグレースのことであるが、私個人としては我が國使役犬界の現状に鑑みてこれに 賛成するものである。即ち一は以てこれにより惰眠を貪れる都会飼育や犬舎飼育の犬を覚醒してこれに活を入れ、高度の鍛錬を為さんことであり、第二にはこれ によつて、我が國S犬の行詰りを打開して一新生面を開拓せんとする為である。
然しながらS犬をして所謂グレーハウンド的な速力のみを利用するレー スをやらせることは本筋でないばかりでなく、性能上から謂つても、体構上から謂つても当然S犬としては蕃殖上好ましからざる影響を生じせしめる惧れがある から、レースの実施方法及その他これと併行して行うS犬本来の展覧会や訓練試験等々の奨励などには深い関心を持つのである」
有坂光威「我が國S犬蕃殖の現状と蕃殖管理」より 昭和25年


さっさとグレイハウンドへ置き換えられるのは想定できた筈なのに、シェパードによるレースを強行しようとしいた理由は不明。転換期が訪れても「何が何でもシェパード以外は使用しない!」とかゴネる気だったのでしょうか?そのとき、用済みとなったレース用シェパードの再就職先は考慮していたのでしょうか?
なにはともあれ、戦後日本でその他の諸条件は整いつつありました。
JSAと友好関係にあったHSA(北海道シェパード犬協会)には満洲から引き揚げたMKの賽犬関係者が在籍してましたし、人材的な問題は無かった様です。

ドッグレース運営法は敗戦直後から構想され、やがてはコレが農林省を巻き込んだ「畜犬競技法案」の提出へ繋がっていくのでした。

その辺の事情については、幾つかの記録も残されています。
人間欲の皮が突っ張ると、よくまあアレコレ考え付くものですねえ。


わが國のドツグ・レース事業
日本ドツグ・レース協會専務理事 原澤信雄
 

日本においてドツグ・レースは開催できるか、という声を最近しばしば耳にするし、そのすべてが悲観的見方をしており、また真相が分からないまゝにデマもずい分飛んでいるので、率直に現状を記して犬界の関心と認識を深め、ドツグ・レース事業の確立を図りたいと思つている。

日本でドツグ・レース関係の本格的運動を起したのは戦後のことであるが、四年を経た今日なお開催確定を見ないことは非常に残念なことであるが、當事者とし てはあくまで實現を期して努力を續けているし、また将来にあかるい希望も持つており、今日では時間の問題にまで迫つてきたと考えている。

今日競輪は全國的にはなばなしく開催されてかなりの人気を博しているが、競輪開催の運動はドツグレースよりおそく始められたにもかゝわらず競輪方が先に國會を通過したことについて、われわれとしては一歩を先んじられた形となつて残念に思つている。
競輪が實施されているのになぜドツグレースがおくれているかという疑問は一應誰でも持つて、われわれとしてはこの問題を痛切に考えさせられている。
しかし、これにはいろいろの問題を含んでいるのだが、當事者の努力が足らないために今日の結果を招いているということは絶對ないというこだけははつきり断言できる。

そもそも、ドツグレースを開催するためには、競犬法の制定が第一条件であり、法律によつてのみドツグレースの健全な発展が図られることは競馬や競輪の場合と同じであることは云うまでもない。従つてわれわれとしては今日まで競犬法制定の請願運動に全力を注いできた。
戦後日本における第一声を東京に挙げたわれわれのドッグレース運動は、日本復興の一翼を担う事業として一般大衆の大きな注目を浴び、特に地方自治體はその 将来性に多大の関心を寄せてこの事業を全面的に採上げることになつた。すなわち、東京都は全國地方自治體の代表として「競犬法」を起草して國會提出を準備 し、一方國會においてはこれに呼応してドツグレース専門委員會を設置して慎重な審議を行うなど今日では一應國内における競犬法提案の態勢が完了した。

このように政府機関が自らドツグレース事業の必要性を認めて率先これが實施に乗出したことについては、そこに大きな理由がなければならないが、その理由として次の諸點が挙げられている。

1.積極的理由として
イ、地方自治體(都道府縣)の財源の充足

地方自治體は戦災の復舊、教育、警察その他自治行政の改善や擴充に莫大な経費を必要としているが、財源が不足しているためこれらの財政計畫が思うように遂行できない現状にあるので、これを打開するために公益を目的とした収益を伴う企業の経営を行わなければならなくなつた。
ロ、流通通貨の吸収
急激に増大した通貨の流通量をつとめて回収し、これによつてインフレを抑制していくことは重要な経済政策であるが、この手段として貯蓄増強、納税強調運動 のごとき通貨吸収の對策が講ぜられている。しかし、さらに一歩を進めて國民が積極的な意欲と興味をもつてこの問題に善處するような新構想の方法が採られる 工夫が必要となつた。
ハ、観光施設の擴充
文化日本を建設する上に國際的な観光施設を國内に充實させることは重要な國策の一つであるが、現状は自然環境はとも角として、人工的施設は非常に貧弱であ るため、國際的視野に立つた観光施設の擴充が早急に行われて、日本復興に役立たしめることが必要である。この目的を果すため、その強力な對策としてドツグ レース事業が最も効果的である。
ニ、進駐軍兵士の慰安
日本再建に挺身している連合軍将兵に感謝の誠を捧げ、その労苦に報ゆる慰安娯楽の施設には萬全を圖らなければならないが、このために諸外國で人気を博しているドツグレース事業の實施は理想的對象と認められる。

2.消極的理由としては
「競犬法」のごとき特別法を制定する事を必要とする理由は、もし現行の法規の範囲で實施するとすれば
イ、観覧料を徴収して競争犬の競技を見せる
ロ、犬賽箋を発賣する

この二つの小範囲に限定されて、ドツグレース事業の真の生命である大衆的興味を沸かすことが全然期待できなくなる。
すなわち、この事業を實施して収益企業化するには、その基礎となる大衆的興味を盛らなければならない。
さらに具體的に云えば「犬の競走と勝犬投票券の相関性」をこの事業に織込むことである。しかし、この「犬券」発賣方法は賭博行為となるために現行法規の範 囲では實行が不可能となるので、この事業を實施するに當つてはあくまでその合法性を確立するために特別法として競犬法の制定がまず第一に必要となる。

以上の提案理由の他に犬界人として注目しなければならないことは、この事業の實施によつて犬種の改良、犬界の飛躍的発展が約束づけられることである。
これらの理由はいずれもわが國でドツグレース事業を實施する上に基本的要素となるものであるが、特に地方自治體の財源確率は最も強調されなければならないことであり、政府としてもこの點に主張の意義があるものと考えられる。

次にこの法案を構成する骨子となる要點を挙げてみよう。

その一は競犬施行者であるが、競犬施行者とは都道府縣又はその委任した公共團體或は公益法人に限定されている。これは、この法案の制定理由として地方自治 體の財政確立を主眼として収益企業の性格を持たせる一方に、多分に賭博性を含むために民間における任意の企業として許すことは、公安を護る上に適當な方法 ではない。

その二は勝犬投票券の發賣及び拂戻であるが、これは競犬施行者に對して厳重な監督を行い、勝犬投票券の發賣と勝犬的中者に拂戻金を交付する権限を與へることである。
競馬法で勝馬投票券(馬券)の発賣及び拂戻金制度が行われていることは競馬事業を発展させる唯一の基礎をなしていると同様に、ドツグレースでも「犬券」制度を設けることがその普及と発展を促して、この事業の目的をよく達成させることができる。

その三は賣得金額の分配指定権で、これは、イ、的中者に對する拂戻金 ロ、都道府縣の地方自治體に對する納付金 ハ、施行者の取得金などの賣得金の配分に ついてその指定権を都道府縣知事の権限に任せるというのであるが、この事業があくまで地方自治體を主體として實施する上から、この點は絶對必要になつてく る。

その四は免税事項が挙げられている。都道府縣が委任して實施させる場合、競犬施行者に對して所得税、法人税などを賦課しないことで、ドツグレース事業が民間企業ではなく國家的事業として取扱われる以上、その公益性を十分保護育成する上から當然のことである。

さらに、その五ごして罰則が設けられ、この事業の健全化を圖るために違反者に對して厳格な制裁が加えられる。

などの諸點が厳格に規定され、この事業の堅實な発展と収益企業の實続を確立することを期待している。
昭和25年


帝國ノ犬達-競犬

延期を重ねた挙句、このドッグ―レス法案は通過しませんでした。
その後も検討されたらしいのですが、結果はご存知のとおり。

「決して射幸心を煽るものではない」
「家族で楽しめる娯楽路線にする」
「いずれはJSAの支援で全国に広げたい」
などと関係者の鼻息は荒かったのですが、これ以降も日本のドッグレースは実現していません。

ギャンブル方面の問題はどうでもいいとして、日本犬界への影響を考えるとコレでよかったのでしょう。
競馬は、我が国の馬匹改良に多大な貢献をしました。その陰で、農耕馬や荷役馬の大部分は姿を消していきます。発展したのはレース用の乗馬だけ。

ドッグレースも、我が国の犬界発展に貢献をした筈です。ただし、それはレースに適した特定犬種のみのお話。
その陰で蔑ろにされる犬達のことを無視した、歪な計画です。
日本のドッグレースは、満洲国と共に「夢物語」だけで終わらせるべき事案でした。

MKやJSAの努力は水泡に帰しましたが、もしも日本でドッグレース事業が誕生していたら……、
日本畜犬史にとっては夢のあるお話ですが、日本競馬史と同じく数々のドタバタが展開されていたのでしょうね。

(現在作成中)