茲に於て私は中央政府及軍部方面の諒解を得る事に就て萬全の方策を講ずるから、閣下は地元方面の諒解運動と共に實施に對する充分の準備工作を行はれ度い。
本部支部との合一協力に依つて世紀的大事業の達成を圖らふではないかと固く申合はして、私は中央筋に運動を開始したのであつた。
處が競犬と言へば、上海のグレーハウンドの競走のみしか経験の無い事や、政府では競犬會等以ての外の事である。
軍犬を愚弄するにも程がある。軍犬増殖の美名に匿れて賭博をやらふと云ふ魂胆だらふと剣もホロロの反對意見であつた。
當時としては無理も無い話で、采コロの代りに犬を使つて袁玄道に耽溺する上海グレーハウンドが先入主となつてゐるのだから、闘鶏や闘犬と同一視されるのも當然な事であつた。
然し私は「それは大きな考へ違いである。上海の競犬を以て軍犬の競走を推すが如きは一を知つて二を知らないものである。
吾 等が計畫してゐる競犬は純然たる軍犬の鍛錬と犬質の向上に主眼を置くものであり、現に帝犬本部に於ては鍛錬競技の必須重要性に鑑み、軍が奨励して行はして ゐるのでは無いか。唯滿洲では之れに勝犬票を付して軍犬飼育熱の昂揚に努むる一方、財政的に潤ひをつけて、軍犬協會將來の飽く無き發展に資し度い素志に外 ならない。
一戸一犬主義の徹底には競犬以外その方策は無いと信ずる。先づ上海の夫れと混淆する偏見を捨てて欲しい」
と言を盡して軍犬競走の真髄を説いたのであつた。
満洲軍用犬協会理事長出口平吉陸軍少将『軍犬も軍馬も活ける兵器』より 昭和20年

言い訳はどうでもいいですけど、MKのドッグレース事業には反対意見が噴出します。
その急先鋒だったのが、帝国軍用犬協会の関谷昌四郎獣医でした。MKとKVが対立した数少ない事例です。

日本警察犬協会専務理事 大橋道夫
「満州国にいらした頃の関谷さんは大したもので、着いてすぐ挨拶に行つたら威風堂々としてそれこそオーデンじやないけれど、そのときの関谷さんは忘れられない(笑声)。KV時代は軍部の代表審査員でしたから、われわれの方は民間人側で……」
日本シェパード犬登録協会常務理事 関谷昌四郎
「あの当時、安東省の次長が堀内さんといつたが、その人はいま富士山麓で社長をして代議士になつていますが、その人がドツグレースをやろうということであつたが、私が認可しなかつた。私の判がなければ出来ない。それで堀内さんが政治家で、再三来られてとうとう判を捺したんですが、それが満洲ドツグレースが盛んになつたので……」
土井富士江
「直線コースのドツグレースでしたね」
関谷
「ええ」
大橋
「それで満洲軍用犬協会というものの経済的なあれが出来たらしいんで、だんだん発展したんです」
関谷
「この前、堀内さんに会いまして、そのときの話をして虐められちやつた(笑声)」
大橋
「満洲でドツグレースが始まつて、そのときに東京から相当数の訓練士連中が吸収されてしまつたんです。満洲に」
土井
「満洲にいられた方、多いですね。いま東京にいられる方で」
『級友仲良し対談』より(この二人は中学の同級生です) 昭和27年

軍犬座談會
待望の安東賽犬は愈々九月六日蓋を開けることになつた。
愛犬思想普及手段としては最も大衆性に富み、且つ其の趣旨の根本理念軍用犬飼育奨励に由來するものであることに鑑み、過般本社安東支社の主催せる軍用犬座談會の概略を登載、各方面の参考に供することにした。

朝倉:それでは軍用犬協會安東支部の沿革のあらましを草葉主事に願ひます。
草葉:創立は昭和九年九月二十六日ですが、支部設立につきましては當時の關安東驛長の盡力が大したもので、當時は會員四百名獲得を目指し運動を開始致しました。
支部長に初代關驛長、二代横道少將閣下、三代大野氏を経て元支部長堀内次長閣下を煩してゐる次第であります。
朝倉:現在の會員數は。
草葉:二百七十六名ですが、漸増の状況にあります。
朝倉:軍用犬の用途について堀内閣下の御話を願ひます。
堀内:大體に於て軍事上、警備税關、作業、其他個人的にも相當利用さるべきで、軍事上に付いては歩哨、警戒補助、傳令(斥候よりの通信)、運搬(負傷兵、応急弾薬)等で亦捜査上にも相當の効果を挙げてゐます。
そして斯くの如き有用の軍犬となす訓練の基本を爲すものは何かと言ふと、其の性格たる主人を慕ふ精神と獨特の臭覚を利用し規則的訓練を施すもので、個人的には愛玩用に番犬に、時としては人命の代用となつた場合さへもある。
朝倉:警察犬としての意見を影山處長に願ひます。
影山:嗅覺利用による犯人捜査を主として人命救助にも優秀の働きを致しますが、又その習性を利用して守備(一定區域)等には人間以上の成績を見せてゐます。
たしか大連あたりでは盛んに利用してゐると聞いてゐます。先般の何警尉補事件の犯人検挙には支部の軍用犬を二頭を借りまして遺留品を基礎に捜索せんとしま したが、嗅気が無いため所期の成績を得ませんでしたが、時間的に手配がおくれた事と訓練が一定場所に限られてゐるため若干活動性を欠いてゐた様に思はれた が将来は大いに警察犬に利用さるべきだと思ひます。
朝倉:賽犬熱が盛り上つてきた様ですが八木さんの御意見を。
八木:趣味の大衆性といふ點から賽犬は宜しいと思ひます。賽馬は馬質改良を目指してゐますが、賽犬は賽犬自體が訓練であり、且愛犬思想の普及になるので至極結構と思ひます。
グレーハウンドの競技は外國でもやつてゐますがセパードは初めてなので始めは相當の苦労骨折りが豫想され又失敗もあるかも知れないが、何んと言ても世界初めてだの催しだから愉快ですヨ。
堀内:日本の關谷中佐(※関谷昌四郎獣医中佐)がドイツでもやつてゐないと言つてゐた。
八木:まア、世界の皮切りですヨ。
堀内:上海ではグレーハウンドの競技をやつてゐるんだが毎日十レース位で、例へば電気仕掛けのウサギを追はせる方法で
八木:とにかく競馬よりも穴が多くて興味のあるもので、アメリカはとても盛んなもので、私も在米當時のぞきに行きましたがアチラで宴會後婦人同伴で出掛ける者が多かった様です。行つてみると着飾つた婦人連が多くて中々気色のヨイものです(笑声)。
朝倉:電気仕掛けのウサギを使ふのはどんなものですかな。
堀内:設備の都合でやらない積りです。とにかく軍用犬の育成が主眼ですから……。
吉村:ウサギは感心しませんなア。
青木:軍用犬は賽犬に使用することには若干の異議があるかも知れませんが、それは大衆的見地から見れば大したことではありますまい。飼育目的の異なつたも のや型に入てゐるものを競技させるので少しは無理な所もあるかも知れませんが、方法に就いては上海方面のものを参考にして、又賽馬法に準じて規則、細則、 競技法を設け漸次改善し、一方研究と體験により改良を加へ、所期の目的を達したいと存じますので、大方の御支援を願ひます。
堀内:競技参加犬を幼、若、壮、成犬の各級に定めて其の卒業試験程度のものを加味して競技させるのだから軍用犬訓練を侵す様なことに決してない。殊に回を 重ねるに従つて傳令、速歩、耐久力、捜査といふ様なものを織込んだ競技法を編成して其の訓練の向上を目指す積りで立體的に競技を向上せしめることにもな る。
勿論設備の點では上海に劣るかも知れないが、訓練といふ方面では他に譲らぬ積りであります。
吉村:私は飼育者として一言申上げますが、出来る限りセパードを普及し軍用犬として徴犬のときは献犬する氣持でありたいと思ひます。又徴犬なき場合は賽犬 に参加せしむれば賽犬の収入は協會の経費に充當し、愛犬思想強化に益し、殊に十二分の経費を存することは協會として愛犬家の希望に際し廉價で軍用犬の配布 が可能となり、反面犬價の是正も出來るワケです。
堀内:至極同感である。賽犬開催の目的の一つは軍用犬數の確保であるから、徴犬に當ては快く應ずることである。従つて訓練所ではメスを殖して雄犬を安く分 配するといふ方法を考へねばならない。そのためには賽犬の収入をこの方面の費用に充て、入所犬に對しては食費・訓練費用として現在徴取してゐる二十七圓を 無料とする所まで進まねばゐかん。
吉村:一家一犬とまではゆかず共普及は大切である。又献犬の気持は矢張り息子が一線にゐると同様でなければならぬ。
青木:市内における適性犬は今日までの調査で七十一頭です。
副島:多い様で軍用犬適性犬は少ないもので……。だから飼育目的の異なる關係もあるかも知れないけれ共、雑種犬の駆逐をすることが大切でせう。
影山:野犬狩も相當やつてゐるが中々減らないで困つてゐますヨ。早くセパードの無料配布時代が來ぬといけません。尚、交尾に注意せんといけまんヨ(笑声)。
副島:狂犬には雑種が多いですヨ。
影山:取扱ひに注意してくれると駄犬もなくなりませうが。
堀内:影山君、先日のもワケはないと思ふのだが。
影山:犯人捜査にはよいのですが、先日のは犬よりも人の問題だと思つてゐますが。
吉村:野犬狩があると姿を消すが、暫くすると又現はれるのはどうしたのですかナ。
影山:野犬狩があると知ると持主が届に来るが、暫くすると又怠りますからでせう。今後は協會と協力して内密にやつて見たいと思ひます。
堀内:早く訓練所からいゝ奴を配布することだナ。
青木:犬がないので困つてゐます。
堀内:何圓も入るといふとだれでも見合はすから無料にすることだ。殊に飼育にゼイタクは無用で有合せでタクサンだといふことを知つてもらふ事だ。
朝倉:角田廳長さんの奉天方面で何かの御感想を……。
角田:奉天方面は非常にコソ泥が多いので困つてゐましたが、犬のをる所は被害が少ないのです。だから隣組など一匹宛位犬を持てゐたらコソ泥など影を潜めるのぢやないかと思はれます。
警戒上から見ても又は競犬の場合を考えても軍用犬の普及は大切ですから、それを賽犬によつて大衆に喰入てゆくといふことは有効な方法だと信じます。
朝倉:コソ泥退治はいゝでせう。
角田:出来心のコソ泥などは犬吠一声やられたら飛んで逃げますヨ。
影山:(警務處長)警察署に警察犬を置くことは考へてゐますが、入手難ですから取敢ず訓練所のを借ることだと思つてゐます。
志賀:僕の方も分關監視所十二ヶ所に配置してゐます。とにかく協會の資金を作つて犬を殖やすことですヨ。
影山:警察犬も追跡はヨクやるが相手を間違へたときには困りますヨ。
志賀:氷上なんかの追跡には人間より遙に勇敢ですし、効果がありますな。
福島:體質をヨクする事を考えんと在犬數が年々減少する様です。
志賀:セパードは猛烈だから離しておけん。
影山:セパードに狂犬はないが、ヨリ噛むクセがある様だ。
堀内:それ〃大いに考へねばならん。
朝倉:長い時間有益なお話を承りありがたう御座いました。ではこゝらで……(終り)

鴨緑江日報『軍犬座談會』より 康徳7年 

mk
安東賽犬場落成式

こうしてMK安東支部が着手したドッグ―レース事業には内外から反対論も噴出しました。安東支部は「この収入を軍用犬増産へ充てるのです」などと言い訳しつつ、実行組織の発足に漕ぎ着けます。
何でMKがドッグレースの主導権を握っていたのかというと、満洲国の畜犬団体が少なかったから。日本国内では絶大な勢力を持つKVやJSVでさえ、満洲では小さな支部が細々と活動している程度でした。

組織設立までは何とかうまく行ったのですが、問題はここからです。
本格的なドッグレース場の建設、実働メンバーの立ち上げ、資金調達、規程の作成、関係各所への根回しと許可申請など、安東支部の前には数々の難関が立ちはだかっていました。

一一 、資金調達
政府の認可指令と共に前途に横はる問題は資金である。
とりあへず支部では協會本部に人を派して、本部よりの融資を懇請したのであつた。
然し協會でも趣意には賛成協力して認可申請の口添はしたものゝ、果して此の事業が成功するか否かに就ては未だ漠たるものがあり、其の將來性には確たる信念も勿論無かつた事と、併て折惡く曩に奉天支部が裕民彩票の賣捌権を得て、安東支部同様支部で彩票の販賣に當り、協會本部から全資金の貸出を爲してゐたのが欠損の結果固収となつてゐる前例もあり、羹(あつもの)に懲りた協會本部は、膾を吹くの例へで却て安東支部の奇想天外の企劃に對して乗気にならず、結局拝み倒した末金一萬圓融資の承諾を得たのであつた。
此の大事業に無論一萬圓の資金何するものぞ、支部では協議の結果、七月二十一日八木後援會長を訪れて企劃を説き、資金問題を打明けた結果、八木氏HA「宜敷い、私が引受けませう」と即座に四萬圓の定期預金帳を貸與された。
支部では之れを見返り担保として、銀行に預け入れ三萬圓の融資を受けたのであるが、それで本部よりの一萬圓を合して四萬圓が賽犬會の創立資金となつたのである。

一二、事務所開設
扨て一方、賽犬會に於ては、内部の整備一段落に伴つて當然事務所設置の必要に迫られた結果、驛前三番通りに二階建一戸の空家を捜し當て、其の階下のみを電話付で権利金千六百圓を以て借り入れ、康徳八年六月二十二日、初めて賽犬會の看板を掲げたのであつた。
事務所開始當時は職員として無く、僅に給仕一名を傭入れる程度であつたが、漸次多忙となると共に、傷痍軍人河野美継を事務員に採用、綜ての事務に當らせたのが、之れが賽犬會有給事務員の最初の一人であつた。

一三、創立委員の事務分担

斯ふして賽犬會の形態は弗々整ふと共に、創立委員も自然神経は昂ぶつて來る。企劃事務に熱中の餘り議論となり、議論に次ぐ議論の連續で、却つて纏まりつき兼ねる状態に又も堀内支部長の癇癪玉は破裂した。
茲に於て堀内支部長は全創立委員の集合を求めて、将来の準備工作事務に對して、各委員の事務分担を劃然と決定。分担以外の事務に容嘴を厳禁して、一意開催へと拍車を當てたのである。

設備係 副島藤一
同 加藤繁夫
賽犬係 青木雄三郎
同 星野政太

として、星野氏は専ら賽犬に對する諸規程の草案を引受けたのであるが、税關勤務の本務の關係から起草も意に委せず、之れ亦青木幹事の手に移つて、同氏が草案を作成する事となつた。
青木氏は内地に於ける鍛錬競技等の規則書を取り寄せ、之れを参考として施工規程、審判規程(後に競技要領と改称)及細則の三規程を晝夜兼行にて作り上げ、検討、加除、訂正に訂正を重ねて之れを賽犬開催の基本規程として、本部の認可を受くるべく青木氏が携行赴京した。
此の際本部では出口専務理事、滿洲國治安部からは高田獣務部長参加、審議焼直しの上完成したのが現行の規程文である(第二輯業態篇参照)。
勿論時勢は推移し、既に當時とは餘程諸種の點に於て相違してゐるので、必要とする箇所も抜けて居り不便を感ぜられるので、近く改正を要望されてゐるが、兎に角當時は何等拠る處無く、あれだけの條文を捏ね上げたのであるから、其の苦心も思ひ遣られるのである。

一四、賽犬コース築造
賽犬コース築造には青木氏が當つたのであり、その苦心は一通りのものでは無かった。
荊辣、雑木蔓る森や木立を伐り開き、散在する散兵壕を崩して測量に當つたのであるが、場所が悪くて作業はなかなか進まない。
競馬倶楽部から競馬場補修係の専門家を依頼して、賽馬開催の餘暇を利用して協力を仰ぐ等して、競走路の工事に取り掛かり、丈なす雑草を刈り取つてP字形の走路はどうかこうか出來上つた。
水捌けをよくする爲めに、全走路を斜面とし、之れに石炭骸を舗装する事とし、鴨緑江製紙會社の好意で貰ひ受けた炭骸を馬車五十臺で運搬。充填ローラをかけて試験的に犬を走らして見ると、犬は足裏の痛みに炭骸を避けて土壌上を走る結果となったので、慌しく又も炭骸全部を取り除き、跡に鞍部型に山土を充填したのである。
然るに之れ亦日照續くと共に乾燥、顆しい亀裂を生じ、自転車の走行も不可能だと云ふ缼點が發見された。
研究に研究を重ねて之れも取り除き、今度はマサと称する山土を運び入れて漸く走路の築造に成功、凱歌を挙げたのであるが、一走路にして此の苦心である。他は推して知るべしであらふ。

柵も一時はアンペラを張つたが、圓形コースに於ては犬の走態が透視不可能とあつて、之れを全部亜鉛鍍金鉄線網で高さ一米突五◯に作り、犬の跳躍逸走を防ぎ、審判席も高さを増して視野を廣げ、廻り走路もヌキは出來る限り小木材を用ひて人畜の保護に留意。
唯直線のヌキのみは頑強な大丸太を使用して、漸く競犬走路其他の形態は出來上つたのである。
即ち賽犬會第一回開催當時の賽犬場は左の如くであつた。

帝國ノ犬達-レース場
MKの賽犬場全景。

位置 安東市旭日區北二條通滿洲第二二三部隊練兵場
總面積 二五、六七八平方米突
直線コース 四、七五五米突
廻りコース 三、二五◯米突
木柵延長 二、五二五米突
人夫延人員 三、五八五人
馬車延臺數 一八五台
木材 二五、八九◯才
大工延人員 六◯五人
釘 三五◯キロ
總建坪 一、◯一六坪

構造を詳述すれば、場内建造物は北側入口より西側二階下勝犬票、福犬發賣所、無料両替、配當金支拂口
階上揺彩票抽籤場及特別観覧席の一棟を築造、東側には警察官詰所、事務室、宿舎、便所、自転車置場、それに南廻して湯呑場、賣店、其の前方に審判所、反對側に仮犬舎、スタンド、指導手控室。
直線走路三百米突、南側に發犬箱を設備し、西側は練兵場との隔壁の爲め木柵及アンペラ工事に依り観衆の立入を禁じた。
競走場内は直曲両線共百米毎に掲示標を樹て距離測定に便じ、構造としては深甚の注意と苦心が拂はれたものである。
此の工事は直営の下に加藤熊三郎氏をして行はしめ、康徳八年七月十三日に起工され、竣工したのは同年九月五日であつた。
競犬の出發に對しては種々の議論があり、従來の指導補助士を使つて犬を抱かして、命令一下放たせる方が良い等唱えられた中に、これも上海グレーハウンドの資料に暗示を受けた青木氏が、更に之れに獨創的工夫を施して作製されたのが、現在使用してゐる發犬箱で、更に之れに依つて競技は一段の進境を示したのは否めない事實である。

一五、新義州官邊の諒解運動
大體の工作進捗と共に、新義州各方面の諒解、後援を求むる要あり。
堀内支部長は代理として、草葉主事を7月二十三百同地に派して平北知事、警察部長、憲兵隊、守備隊、警察等を訪問せしめて、是等要路の軍官に對し安東賽犬會顧問に推戴希望を懇望せしめた結果、何れも快諾を得、安義両方面の政策關係には成功したのであつた。

一六、出走犬蒐集
これに先立ち會では出場犬の頭數を急速に揃へる要あり。勿論曩に安東支部で登録の六十三頭では賽犬會は成り立たない。
當初の計畫では全滿支部に呼びかけて、各地から出場せしめやうとの計畫を以て進んだのであつたが、其後某事件により、列車輸送が一時中止される事となつた結果、當然犬の輸送も當分駄目となつた。
此の輸送停止は支部賽犬企劃には大きな支障となり、打撃であつたが然し事が事である。
兎に角議論の場合でなしとして、それが應急策として、一頭でも多く一刻も速くに犬の狩り集めをやる事となり、先づ地元の犬の拾ひ出しに全力を傾ける事となつた。
名犬は素よりの事、駄犬宿無しの見境無く拾ひ集めて來ては速成訓練に當る一方、新義州に相當數の飼養犬がある事を探知。其の借り入れに人を派すると共に、仔犬賣買をやつてゐた長原某を訪ねては、それに渉りをつけて分譲を乞ふ外、
星野獣醫は職務柄安東に於て當時開業の有田獣醫を訪ねて、同病院の診断簿を繰つて飼育犬を捜す等、地元としては既に其の大半の犬を蒐き集めたがまだ其の數には滿足が出來ない。
斯ふなれば費用は第二と星野獣醫を朝鮮に派して軍犬の買ひ集めを行はせる等して、漸く新義州より三十三頭を得て、總數百二十三頭の犬を揃える事が出來た。
之れを以て曲りなりにも賽犬會の蓋は開け得る見込みに全員胸撫で下ろしたものの、扨て之等の犬に競走素地を與へる訓練の實施を如何にするかが問題であるが、賽犬場は未だ工事半ばである。
何處にも其の適地が見出せない。
飛行場が良いと言ふので新義州まで態々出向いて、訓練を始めると、飛行場關係者に猛烈な抗議を喰つて拒否せられ、驛前廣場其他の場所と言ふ場所は何れも試みやうとしたが、悉く叱言を受けて引退る始末。
就中新義州街道で行つた際の如き平北警官隊の出動となつて、指導士等散々蹴散らされて、逐ひ返される等の惨事も出來して、正に辛酸の苦楚を嘗めさせられてゐる。

一七、指導士募集
一方指導士の養成は焦眉の急務である。地元新聞に廣告、所謂ハンドラーの急募を行つたが、時が時であり、適材人物の應募極めて少く、會としても一寸手を焼いた状態であつたが、兎も角開業を目前にしての事であり、希望者の全部を一六應採用する事となつた。
勿論中にはいかゞはしい人物も相當に含まれてゐたのであつたが、此場合選り好み等贅澤は言つて居られない。
こうした雑多な性格の人に犬の曳き方から、視符、聲符、手入の方法まで、一通りの指導士資格を而も短期に叩き込まうとするのだから、其の苦心は一通りのものでは無かつた。
中には猛犬以上の暴れ者も居て、兎もすれば教育係を手古摺らし、一流の陰日向も相當にあつて、關係者をしては窃に暗涙を呑ました事も一切で無かつた。
先づ彼等の精神方面から叩き直せと言ふので、青木常務は左の指導手服務規則を編んで、全指導手候補者に毎朝讀誦せしむると共に、之れを基本として、條項の厳守を命じ曲りなりにも指導手の型だけは出來上つた。

帝國ノ犬達-直線
MK賽犬場直線コース

指導手服務規則
一、所長命を奉じ相互親睦和衷援助し、長上に禮節を盡し、同級同列と雖も禮儀を守るべし。
二、午前七時出勤、直に所内の清掃を行ひ、午前八時に點呼を行ふ。
三、犬舎は常に清潔にし、毎午前の訓練前に寝藁の乾燥をなし、運動場を水洗すべし。
特に雨天の翌日は犬舎の乾燥に注意すべし。
四、常に犬の衛生に注意し、發病等の場合には一刻も早く發見し、直に所長に報告と同時に獣醫に處置を乞ひ、其指示を受くべし。
五、毎月一回以上駆虫を行ひ、月末一回の體重検査を行ひ記録し、訓練所に保管すべし。
六、飼料は常に厳選し、尚食慾状態と糞便の検査を行ふべし。
七、毎訓練後手入及全身摩擦をなし、毎月一回以上薬湯に入れ寄生虫の駆除に努むべし。
八、常に所有者と連絡を保ち、犬の状態を報告なし、一般に軍用犬の智識向上の一助たらしむべし。
滿洲軍用犬協會安東支部

帝國ノ犬達-鍛錬
MK賽犬鍛錬コース

一八、勝犬票請負契約
残る問題は賽犬場に於ける使用人員の整備である。
眼をつけたのは賽馬會の練達従業員の引抜きであつた。成田淳君に白羽の矢を立て其の意嚮を叩くと、當初支部の計畫であつた
賽犬會直営等速急の場合到底不可能な事で、それより此際自分の主人關係にある榮商會に折衝して、賽犬票販賣事務一切を請負にしむるのが目下の最適手段であると言ふ意見に、支部長は役員協議の上、直ちに榮商會主渡邊文榮氏に交渉、茲に賽犬會開催に對する犬票發賣事務一切を挙げて同商會に一任する事に決した。
即ち八月十四日両者間で取交された請負契約書の骨子と言ふのは
一、勝犬票並に福券賣捌其他付随業務請負として、賣上金額拾萬圓迄は請負金参千圓とし、拾萬圓以上弐拾萬圓迄の賣上超過
金額に對しては其金額の弐分、賣上金額弐拾萬圓以上に對しては、其金額の壹分五厘に該當する事を加算す。
但し賣捌業務に要する器具機械並に印刷費は賽犬會の負担として支給す。器具機械類は貸與するものとす。
と言ふものであつて、此の契約は翌九年夏まで持續されて維持ゐる。
賽犬會が、應急措置として此の請負制度を採用した事は、確に一良策であつた。
賽犬開催に些かの故障も無く回を重ねたのも、一は此の制度採用の賜であつた事は否定出來ない。

一九、事務人員整備
斯の如く賽犬會の事務も日と共に多忙を如へる状態に、事務系統人員の整備要望から職員、雇員の採用は相次で行はれ、内部的陣容の樹立と共に、安東省寛甸縣警務科長警正坂野與一郎氏を退官と共に迎えて書記に任じ、總務課長に据えて
事務の統括に當らしめたが、爾後事務組織は面目を一新し、過去の大幅帳時代を清算して、組織的に運営されるに至つた。
即ち賽犬會開催當時の康徳八年九月六日、現在の事務陣容は左の如くであつた。

書記総務課長
坂野與一郎
書記
松尾千代次、猪又強、河野美継、片山市男
雇員
金川瓊模、平山成敏、王吉福、林寅用
指導手
田畑文雄、日下俊雄、新川繁、華山正雄、金田晶雄、金川成敏、平沼勝雄、張村基範、河東永洙、金海龍學、大倉秋男、高木鳳得、哈徳成、張村龍男、豊川日宰、杉浦次郎、鶴山景、米山春夫、李永順
嘱託
星野政太、荒田吉熊、北野國造、沈殿武

帝國ノ犬達-発券
MK賽犬発券場に押し寄せる人の波。
当時の新聞に「賽犬場への人津浪 交通整理と事故防止へ施策」と書かれる程の盛況でした。

二○、賽犬場落成式と功労者表彰
準備工作半年、言語に盡せぬ苦惨も酬ひられて、賽犬場工事も順調に進み、出走犬の整備も完了。
賽犬會事務も設備も全く成つて、今は唯蓋開の日を待つのみである。
然し堀内支部長は念には念を入れよとの肚から、此の場に至つて慎重の態度に變り、スタートの旗を容易に打ち下ろさない。
關係者一同は寧ろ焦燥を感ずる有様であつたが、滿を持して放たない堀内支部長は、八月の蓋開を見過して呼吸を計り、遂に九月六日を第一回記念賽犬とする事としたのである。
嘗つて世界に前例の無い軍用犬賽犬會は斯ふして康徳八年九月六日、世紀に輝く華々しい發途を見たのである。
當日は新京本部より出口専務理事も來安、全滿各支部役員に地元軍官民多數参列。定刻午前十時一同着席、安東賽犬場落成式を挙行。
草場主事の開會の辞に次で神事行事あり、玉串奉奠の後青木常務理事より工事経過報告、堀内賽犬會長の式辞、長石隊長、出口専務理事、阿川市長、八木後援會長の各祝辞があり、式上賽犬會創立に對する別項功労者青木常務外二十五名に對し、感謝状と共に記念品を贈呈して、其の功績を表彰したが、就中青木常務に對しては殊勲甲として別紙の如き感謝状が贈られた。
了つて一同場内の祝宴場に移つて、賽犬會の前途に對して祝杯を挙げた。
終つて引續き正午より待望の記念賽犬である。
既に會場には未聞の軍犬競走を見んものと、観覧席は、好天に恵まれて犇めく群衆に埋まり、勝犬票一同ガラ五十銭の發賣となるや、賣票口に雪崩れる日滿鮮系の人の揉み合ひに、場内整理係員も汗だくの有様であつた。
當日は傳令、速歩織り交ぜて十レース。
別項の如き成績を挙げて、而も第一日の賣上げ實に二萬圓の好成績を収め、關係者一同は夢に夢見る心で第一日を興奮に終つたのであつた。

(続く)