帝國ノ犬達-キングコング

時流を掴むことに、別して良心的な新國劇は、この頃評判の澁谷のハチ公を自家藥籠中のものにすることを忘れなかつた。

即ち三月二十四日から五日間、兩國國技館で行つた大衆興行のだし物の第二は表題にかかげたハチ公とキング・コングと云ふ人の意表に出たものである。
一體どんな芝居をやるのか、ハチ公贔屓の社同人一同白木社長(※当ブログでお馴染みの白木正光)を先登に立てゝ見物に行くと驚いた。
その芝居の中にも白木青年(丸茂役)なるとてもスマートで義侠心に富んだ模範的の青年紳士が現はれて、ウイロオ・オペラ・シヨオの女優さん達からも大もて、それ等の美しい女優さん達が聲をはりあげて
「白木さん、白木さん」「まあ白木さんはいゝはね」「本當に白木さんは感心だわ」
などゝ遠慮えしやくもなくわめき立てるのだ。
その都度白木社長はお尻をむづむづさせて、僕達舞臺より社長の様子を見て居る方が却て愉快な位であつた。

此の白木青年の愛犬がハチであり、アメリカ映畫でお馴染の怪物キング・コングが檻を破つて兩國の國技館に現はれる。
そして開演中のオペラ・シヨオの花形女優白菊かほる(二葉早苗役)をさらつて行く。
かほると双思の仲の白木青年は衆望を擔つて、決然キング・コングの後を追ふが、敵はなにしろ人間の何十倍もあるキング・コングである。
こゝに日本の名犬ハチの活躍となり、彼の奮鬪は遂にさしものキング・コングを倒してかほる嬢を奪ひ返す。
その功績によつてハチは銅像を建てられ、除幕式イコール白木青年と白菊かほる嬢の新婚披露となつて幕になるのである。

谷屋充氏作、濱野右二郎君監督並に装置で第一景ウイロオ・オペラ・シヨウの樂屋、第二景その舞臺、第三景ハチ公の追撃、第四景新國劇の舞臺、第五景澁谷驛頭銅像除幕式と云ふ却々大がゝりの陣立で、劇中さくら音頭は女優總出の踊り、歌手秋月正夫、初瀬音羽と云ふお景物もある。
そして白木さん、白木さんである。
それがスマートな青年紳士である。
白木社長も今こそ肥つて、失禮ながらスマートとは凡そ反對であるが、昔は或はあんな時代があつたかも知れない。
さう云へば、新國劇の生みの親故澤田正二郎と白木社長とは無二の親友であつて、新國劇とも密接な關係が有るから、このところ白木社長に花を持たせたのかな。
ともかくこれで歸りは銀座のお茶位は保證されると思つた(田の字)。

『新國劇の大衆興行 ハチ公とキング・コング(昭和9年)』より

ハチとコング、当時の人気者を一緒に出せばいいだろう。
という安易な発想だったのかどうなのか。犬の話を調べていると、偶にこのような珍記録と遭遇します。
キングコングは昭和8年に日本でも公開され、大ヒットしました。
それによって多数の二次作品も誕生したのですが、このような迷作まであったとは……。

当時はキグルミで演じられていた犬の役も、訓練を受けた俳優犬の登場によって一変します。
しかしそのノウハウは「軍犬報国運動」の影響によるもの。日中戦争の前後から、俳優犬のニーズも国策映画の軍犬武勇伝が中心となってしまいました。


ちなみにハチ公の銅像が完成したのは、キングコングとの闘いから20日後の4月21日。ハチ公銅像建設会の発足が同年1月ですから、そのニュースを聞きつけて急ぎ脚本が書かれたのでしょう。