「日本が獣医公衆衛生上如何に恵まれているかということをしみじみ感じさせられました。他の家畜をも含めて、日本には人畜共通伝染病の種類も数も少なく、島国なので防疫も比較的やりやすいし、また野生動物が害をしないことも有難いことです。
けれども―昔の職業意識が顔を出して恐縮ですが―、こと狂犬病については、二年や三年発生がなかったからといって、決して手放しで安心することはできません。狂犬病ウィルスが一体どこにひそんでいるのか、学問的にもまだまだわからないことが多いのです。
地理的条件に恵まれている日本を、世界の人がうらやむような愛犬家のパラダイスにすることは必らず出来ることだと思います。これが出来るか出来ないかは、ひとえに犬をお飼いの方々のモラルの上にかゝっていると申すことが出来ましょう」
西太平洋地域獣医公衆衛生セミナーにて、国立公衆衛生院衛生獣医学部厚生技官 徳富剛二郎 
昭和34年

帝國ノ犬達-狂犬病

ようやく平和が訪れた復興の時代。焼け跡の中にもペットを飼う余裕が生れ、戦時中に殺戮された犬の数も回復しつつありました。
そして、狂犬病の恐怖も復活します。

【狂犬病の復活】

明治時代は長崎・北海道で猛威を振るった狂犬病。大正時代になると更に増加し、ピークであった大正13年には3205頭が感染、翌年にも3093頭の発生をみています。2年間で犠牲者は200人にものぼりました。
これが昭和に入ると急減し、昭和5年には65頭にまで抑え込んでいます。以降、戦争が始まっても年間感染犬は数頭~十数頭のみ。
日本の狂犬病対策は成功したのです。勝ち戦の間までは。

戦局が悪化した昭和18年、消えたと思った狂犬病が大流行を始めました。獣医師の出征や物資不足などで当局の防疫措置に手が回らなくなったこと、食糧事情の悪化で捨て犬が急増したことなど、色々な悪条件が重なったのでしょう。昭和19年には関東を中心に733頭が感染、人々を震撼させました。

この大流行を阻止したのが、悪名高きペットの毛皮献納運動だったのです。

ペットの殺戮が全国規模で展開された昭和20年、飼犬や野犬は姿を消しました。飼育が許されたのは、狂犬病予防注射済みの軍用犬や猟犬ばかりとなります。
犬の数が減ったことで、戦争末期の感染犬も94頭にまで激減。敗戦後は24頭にまで抑え込まれました。

しかし戦後復興が進んだ昭和22年から、狂犬病は再び猛威を振るいはじめます。
昭和23年には141頭、24年には614頭、25年には867頭が感染、1866人が噛まれて52人が死亡するという、26年振りの大流行となりました。

「終戰の年には日本全國の犬の數は非常に少なくなつて居ました。戰争中軍犬以外は殺して毛皮を軍需に用い、又食料の節約を圖つた結果です。
ところが終戰後の短期間の間に、犬は物凄い勢で増え、忽ち戰争前と同じ位になつたのです。現在鑑札を持つている犬が百十萬頭程居りますから、本當の犬の數は二百萬頭前後とみて良いでしょう。終戰後の社會不安で泥棒よけに番犬を飼う人がふえたことが大きな理由で、近頃の食糧事情の好転が犬の増加に更に拍車をかけたわけです。ところで戰争後の社會は相當秩序が乱れておりましたし、何事も闇が盛んで犬の飼育についても正規の届出をしないで飼う人が多く、それらの人は當然狂犬病の豫防注射を受けさせないので狂犬病發生の温床となつたのです。そうして狂犬病が出て、犬の放し飼がとめられても平氣で野放しにしておき、社會の迷惑などお構い無しという状態だつたのです。
今迄出た狂犬の七割迄がこの無届かつ未注射の犬で、残りの三割が野犬や未注射の届出犬でした。要するに犬を飼つている人たちの多くが狂犬病のことに餘り関心が無かつた結果、このような不幸な結果を來したと云うことができましよう」
厚生省狂犬病豫防協會 厚生技官徳富剛二郎『狂犬病の話』より 昭和26年

犬の数が再び増え始めた昭和20年代、防疫担当者は必死の活動を展開していました。

「マ ツチ箱を列べた様な裏長屋を一軒々々覗きながら、同じ所を二度も三度もグル〃廻らされることもあれば、電話の聞誤りでとんでもない見當違ひに間誤付くこと もあるし、聞きたいにも人ツ子一人通らない埋立地の離れ家へ當てズツポーに方向を決めて、日蔭とてもない長道中を汗ダクダクで辿りついて、ヤツト探し當て たと思ふと「ヘエ犬ですか。あいつは餘り啼いてうるさいから今朝放してやりましたよ」などと、いとも涼しげな御挨拶もある。
「お暑いところを誠に御苦労様で」と、冷たい麦湯でも御馳走してくれる様な家は百軒に一軒あるかなしで、ひどいのになると、女中が玄関に衝つ立つた儘で、「裏へ廻つて下さい」と剣もホロロ。
「御用聞きぢやないぞ」と言ひたくなるのも無理はあるまい。
それに引きかへて、主人なり主婦なりが出て來て丁寧に應接してくる御宅ならば、被害者に對しても亦必ず充分陳謝の念を持たれる方々で、随つて再びその飼犬が咬傷する様なことも尠ないが、
前者の様なものはきまつて二度三度と咬傷を重ねること請合で、幸運と言はうか調子がよいとでも言はうか、被害者のしつこいのにも出ツくはさないと見えて、何邊喰ひついても平気の平左である。
中には半年も一年も無届で飼養しておきながら、かうした場合になると宅の犬ではありませぬと白を切る横着者がある。こんな御連中に限つて自分の子供がよその犬にでも咬まれようものなら、ヤイ〃言つて大騒をするのである。
一二寸格子戸を開けて一應中を覗いて見てからガラ〃ツ、御免下さいと言ふのは一人前の検診員で、いきなりガラ〃ツ、ワンとやられるのは新米のうち。
もし喰ひつかれて帰つても、同僚は笑ひこそすれほめてはくれない。とかく咬傷犬の多いのもかうした飼ふべからざる處で飼ひ、置くべからざる處に置くからである。
愛宕署管内であつたと思ふ。
「先刻報告の犬は満洲で支那人を三人も喰ひ殺したといふ曰く付きのものですから気をつけて下さい」と、親切にも衛生係から追加電話で注意してくれたことがあつた。
行つて見るとなるほどシエパード種のすごく猛烈な奴で、若し鎖でも切れたならどんなことになるか分らない。こんなのにぶツかると吾々も命懸けの仕事である。實際この犬に咬まれた娘さんは随分永く入院してゐたさうだ。
(中略)
「ホンの一寸歯が當つただけで血が出たわけでもなんでもないのに、警察へ届けるなんてあの方も随分大袈裟ぢやありませんか」などと、見當違ひの抗議を申込む奥様もゐる。
創の大小が發病に関係する事は勿論であるが、若し創が小さいからとて決して安心はできない。
「真性の場合はむしろ出血した方が安全ですよ」と説明しても、分る人は至つて尠ない。不服はどこ迄も不服である。
又「足を踏まれたり、尾を踏まれゝばどんな犬だつて喰ひつきまさア。それを一月も繋いで置けなんてそんなベラボウな話がありますかいツ」と喰つてかゝる職人もある。
誠に御もつとものことで、そればかりでなく世の中には、咬みついて貰ひたい連中も随分ウヨ〃して居るのだから、犬に言はせれば正當防衛の場合も多からうし、或は忠實に自己の職責を果して大いにほめて貰ひたいときもあるだろう。
併し狂犬病の流行時には、たとへ足を踏み尾を踏んで咬まれても、決して油断はできないのだ」
警視廳獣医課 竹内貞一『狂犬病検診餘談』より 昭和21年

戦後期の狂犬病に対する皮膚感覚はどうだったのか。母に尋ねてみたのですが、「私も生れたばっかりだから覚えてるわけない」との回答でした。ただ、子供の頃に観せられた狂犬病予防の啓発映画については覚えていて、それも恐怖心をあおるトラウマ物の内容だったとか何とか。
戦後世代に刷り込まれた狂犬病への恐怖は相當なものだったのでしょう。かつて私の妹が近所の犬に噛まれた時など、母の方がパニック状態となっていました。
脚に歯形をつけて号泣する妹と「救急車呼んで!狂犬病になる!」と慌てふためく母をなだめようと、「日本には狂犬病が存在しないから、消毒しとけばいいんだよー」と解説して差上げたところ、ローキックをくらった在りし日の歌(未だに「あの時のお前は冷血動物かと思った」などと非難されております)。

そう、日本は狂犬病撲滅に成功したのです。

【狂犬病撲滅へ】

戦後の混乱期には行政の対応も後手に回り、狂犬病が勢力を盛り返しつつありました。
全国各地の衛生当局は、総力を挙げた封じ込め作戦で対抗。法律の整備と飼育啓蒙活動、ワクチン投与の徹底、野犬駆除などに取り組みました。

「狂犬病予防法に基づき下記の如く犬のけい留命令が出ましたので御協力頂きたく移報申上げます。

東京都告示第1338號
狂犬病予防法(昭和25年法律方247號)第10條及び第15條の規定に基き、次のとおり犬のけい留を命じ、又は都外への移出若しくは都内への移入を禁止する。但し、けい留に関し、綱をつけてひき、運動する場合は、移出入に関し移出入の日から30日以内3月以内の予防注射施行済證明書のある場合はこの限りでない。

東京都知事 安井誠一郎


期間 
昭和29年1月1日 から 
昭和29年12月31日 まで
區域 
東京都一圓(島しょを除く)
衛公獣発第783號
昭和28年12月25日
日本シェパード犬登録協会長 筑波藤麿 殿

東京都衛生局長

飼犬のけい留命令について(通知)
狂犬病の発生は、各位の絶大なるご協力にもかかわらず、本年に入り急激に増加し、すでに124頭の多数の狂犬と191人もの被害者を出している状況であり、都内には未だ多数の未注射の犬が放浪し、狂犬病をますますまん延させる原因となつています。このために都では狂犬病予防上最も重要な對策の一つである、飼犬の移出入の禁止及びけい留を實施して来ましたが、本年末をもつてそのけい留命令の告示が満了するので、引き続き別紙のように一年間延期したので、一層のご協力をお願いいたします。なお、各都道府縣並びに伊豆七島全部への犬の移出入には、移出入の日から20日以前3ヶ月以内の狂犬病予防注射済證明書のあるものに限り取扱われるよう指示ねがいます」
日本シェパード犬登録協会(JSA) 本部報告より 昭和28年

帝國ノ犬達-狂犬病
戦後には狂犬病対策も強化されていきます。昭和20年代。

そして昭和31年の発生を最後に、日本における狂犬病の報告は途絶えます。以降、海外旅行で感染した例を除き、狂犬病は発生していません。

明治時代から90年近くも苦闘を続けた結果、日本は狂犬病根絶に成功した稀有な国の一つとなりました。犬への敵視も、これによって激減しました。
島国という地理的条件を備えながら、それだけの年月と多額のお金を費やさなくてはいけないほど、狂犬病は恐ろしい伝染病だったのです。
夥しい犠牲を払って、我が国は狂犬病清浄国となりました。

その喜びがどれほどのものだったか、当時の記録をどうぞ。

「マラヤとパキスタンからこられた方が回教徒なので、食事には豚肉は一切厳禁で、会場で食べるひる食には、ハムを使わないサンドウィッチを用意するなど、設営関係の厚生省の人々は大へんな神経の使いようでした。このセミナーで、犬について議論されたことですが、犬のレプトスピラ、サルモネラ、腫瘍、ジステンパー・ウィルスなどについては、あまり専門的になりますので、狂犬病とヒダチドージス(包虫症)の二つにしぼって紹介することにしましょう。
まず狂犬病についてですが、何よりも嬉しかったことは、私ども日本の代表が「日本は大正の終り頃には毎年三〇〇〇頭もの犬が狂犬病にかゝり二〇〇人以上もの人が狂犬病のために死ぬといった悲惨な経験をした。狂犬病はその後次第に減少し、終戦後にはまた相当数の発生を見たが、しかし今日では日本には狂犬病の発生はなくなった。すなわち人の狂犬病は昭和二十九年を最後とし、また犬の狂犬病は昭和三十一年を最後としてその後の発生を見ない」と誇らかに報告が出来たことでした。
実は私が公衆衛生院にくる前には、厚生省で狂犬病予防の仕事をやっており、あの終戦後の狂犬病の多い時で、ずいぶん苦労をした経験がありますので、あゝこれで日本もやっと文明国の仲間入りが出来るようになったかと、感慨ひとしおのものがありました。
このように日本からあのいやな狂犬病をなくすことが出来たのも、犬をお飼いの方々が本当に正しい愛情をもって犬を飼い、狂犬病予防に協力して下さったたまものと感謝の念を禁じ得ません」
徳富剛二郎『WHO・FAO獣医公衆衛生セミナーに出席して』より 昭和34年

しかし、この事実をもって「未来永劫、絶対安全圏となった」などと判断してよいのかどうか。相手はウィルスなので、いつ・どのように再侵入するかはわからないのです。

明治元年から狂犬病根絶に至る90年間だけでも、多くの人命が失われました。
狂犬病対策として、たくさんの犬が殺処分されました。
狂犬病感染を判断するため、実験台にされた動物も膨大な数にのぼります(当時は殺処分した犬の脳を乳化し、ウサギなどに注射して感染の有無を判断していました)。
ですから、これだけの犠牲を払ったうえで狂犬病を抑え込んだ日本は、「プーチンさんの猫がカワイソウ」とかいう小学生みたいな理由でソレを放棄する訳にはいかないのです。
それは先人が積み重ねた努力への裏切り行為であり、病の犠牲となった人々や犬達の死を無駄にすることなのですから。

犬

狂犬病発生国から輸入される犬猫は例外なく検疫を受けなくてはなりません。
現在と同じく、戦前から「ヨーロッパの動物愛護を見倣え」と主張する日本人は多かったので、狂犬病対策でも我が国は清浄国であったイギリスを見倣ってきました。

そういえば、今回のロシア猫騒動とよく似た事例が戦前のイギリスでも記録されています。
それは、ある米国人女性が盲導犬と共に英国を訪問した際「規定の検疫期間を経なければ盲導犬を入国させない」とイギリス農業省が突っ撥ねたのが発端でした。

21世紀の日本人と同様、イギリスの大衆は「盲導犬がカワイソウ」「人道上、盲導犬を入国させるべきだ」等と杓子定規なお役所仕事を一斉に批判。
しかし、意外にも当局の判断を支持したのが英国の愛犬家達でした。

イギリスが狂犬病撲滅に成功したのは、1921年のこと。同じ島国でありながら、狂犬病対策に四苦八苦していた日本とはえらい違いですね。
しかし、そのイギリスでも外国から密輸される犬によって度々狂犬病が侵入、大騒ぎになっています。
例えば、インド帰りの英国女性が「検疫が面倒」と愛犬のペキニーズを密輸入したところ、その犬が狂犬病を発症。ただちに仏国パスツール研究所からの防疫技術支援、感染疑いのある犬の殺処分、犬と接触した児童たちのフランスへの移送などと多額の費用を投じて封じ込め作戦を行った等、苦い経験を重ねていたのです。
その為、イギリス当局は海外から入国する全ての犬に対して神経を尖らせていました。狂犬病が海を越えて侵入すれば、犠牲になるのは英国の犬達です。
イギリスの愛犬家は、それをよく理解していました。

今回、日本の当局がとった対応もイギリスの例と同じ。
勘違いして貰っては困りますが、優先されるべきはロシアの猫の都合ではなく我が国のペット達の安全です。全ての原因は検疫期間を満たさない猫を送ってしまったロシア側のミスであり、日本側は批判される筋合いなど1ミリもありません。
我が国は、これからも狂犬病を水際で防ぐしかないのです。

とはいっても、日本の検疫体制が万全なのかは甚だ疑問。輸入され続ける膨大な数のペットをすべてチェックできているのか。実際に、狂犬病に感染したハムスターが輸入されてしまったケースもありますし。
……そういえば以前、来航するロシア貨物船に乗っている犬の日本上陸が問題になってましたよね。将来の安全は誰にも保証できないのです。

現代の技術を以てしても、一旦広まった家畜伝染病を根絶するのが如何に困難か。
先年発生した口蹄疫大流行を思い出してください。

何処からか日本へ侵入した口蹄疫の拡大を阻止するには、国・行政・獣医師・消防・警察・農協・自衛隊を動員して、24時間態勢で大規模な交通規制や消毒作業をおこない、地域の牛や豚を総て殺処分する以外方法がなかったのです。
感染が各地へ飛び火する中、ウィルスの拡散をおそれた人々はイベントや集団行動を自粛し、幹線道路上では全車両に消毒剤が浴びせられ、農家や企業の出入り口は消石灰で真っ白になり、九州全土への感染拡大に怯えました。

現地でその過程を見ていた私は、家畜伝染病に対する人心の脆さをイヤというほど実感しました。
21世紀の日本で「酢を空中散布してはどうか」などと根拠不明の消毒法に走り、果ては神仏にすがる人々。対岸の火事を眺めてはこれ幸いと政権批判の道具に利用するネット民。
同じ地域で起きた新燃岳噴火を「口蹄疫で犠牲となった家畜の報いだ」とノタマッた選良もいましたね。火山活動に家畜伝染病が作用しているとは、その斬新すぎる発想に唖然としたものです。

口蹄疫
感染が終息しても、その傷跡はずっと残ります。

日本の狂犬病対策は「現時点の安定を維持する」ためのもの。その後方支援としての予防注射や不要犬殺処分も、将来は機能不全に陥る地域が現れるでしょう。
インフラを維持できなくなった自治体から人々は去り、更なる税収不足で狂犬病対策に回せる財源や人手の確保も難しくなります。
そのようなエリアで飼育放棄されたペットが野犬群を形成するようになれば、再び狂犬病の侵入を許してしまう日が来るかもしれません。

仮定の話ですが、「その日」が来た場合は狂犬病予防法第三章に則った緊急処置がとられる筈です。
防疫措置自体よりも、恐ろしいのがデマや噂話によるパニックや風評被害。
死の伝染病に対する心理パニックは、現代の学者が語る狂犬病論から決定的に欠落している視点でもあります。
いくら国や行政が指導したところで、見えないウィルスへの恐怖から生じる過剰反応を防ぐことはできません。「知る権利」と称して治療施設へ押し掛け、発症者のプライバシーすら嗅ぎまわるマスコミ。
それに煽られた一般大衆は、ネット上であることないこと噂を垂れ流し、犯人捜しとバッシングがスタートするのです。
戦前には、周囲の白眼視と賠償に耐えかね、狂犬病を出した飼い主が夜逃げした事例もありました。

「ネット情報によると、感染の原因はあの家らしいぞ」
「世間に迷惑をかけといて、よくのうのうと暮らしていられるな。出て行けばいいのに」
「あの地域は他の犬にも感染してるんじゃないか?感染源となるペットは全て殺処分しろ!」
「犬を散歩させている奴がいるぞ。感染を広めているのはあいつらだ」
「この非常事態にペットを飼う奴は非国民」
「うちの犬は保健所の指導どおり殺処分したのに、あなたは何故飼い続けているのか?」

国内で狂犬病感染があった場合、このような感情論は必ず噴出します。戦時中には、国や行政やマスコミや一般大衆が犬への敵意を剥き出しにしたでしょう?
「無駄飯を食む犬は全て殺処分しろ!」
「この時局下にペットを飼う奴は非国民」
「うちの犬は警察の指導どおり毛皮供出したのに、あなたは何故飼い続けているのか?」

あの時代の再現ですよ。善良な大衆が「犬を殺せ!」と叫び始めるのです。

「公的機関の対応」「マスコミの啓蒙」「市民の良識」などを信じてはいけません。
行政の防疫措置は後手に回り、マスコミは社会不安を煽って視聴率を稼ぎ、疑心暗鬼に陥った大衆は暴走するのです。
「世間の空気」に流されやすいのが日本人の悪癖。毛皮目的でペットを殺戮した戦時中から、何も進歩していないんですよ。

家畜伝染病に対し、国や自治体が如何に無力か。先年の口蹄疫では、主要道路に多数の消毒ポイントを設け、遺骸の埋設用地も尽きた挙句に自衛隊の基地まで掘り返し、24時間厖大な労力と費用を投入しての封じ込め作戦も焼け石に水でした。
初期対応の遅れ、司令塔や調整役の不在による組織間の連携失敗、責任転嫁に明け暮れる政治家や役人。それを見た民心に広まる不安、デマ、誹謗中傷。
「たかが家畜感染症」で物流や交通網が停滞し、ひとつの県が経済的にも物理的にも身動きできなくなった事実。未だ侵入ルートすら判明していない原因究明の難しさ。

家畜感染症の最悪のケースとして、人間が2010年の口蹄疫騒動のことは記憶にとどめておきましょう。あの無能無策が、狂犬病で再現されないことを祈ります。
現時点の安定を一日でも長く維持するため、愛犬には狂犬病予防注射を受けさせてくださいね。

昔も今も、サボッている人がいるみたいですから。

犬

狂犬病ハ夫レ斯ノ如シ。吾人ハ之ニ對シテ何等ノ施スベキ術ナク、今日ノ醫學ハ之ヲ治スベキノ道ヲ知ラズ。
故ニ一タビ狂犬病ヲ發スレバ、醫ハ手ヲ拱シテ患者ノ苦痛ヲ傍観シ徒ラニ其死ヲ待ツノミ。寧ロ麻酔剤ヲ投ジテ安ラカニ瞑セシムルノ仁ナルヲ想ハシメントス。

田中丸治平『狂犬病説』より 大正6年

これが書かれてから100年近くが経ちます。
しかし、21世紀の医療技術を以てしても、いまだ狂犬病は「死の病」なのです。