警視庁にては七月廿六日、庁令第十號を以て、闘犬、闘牛及闘鶏の禁止命令を公布した。
其条文は「闘犬、闘鶏、闘牛を為したる者又は之を為すの目的を以て集合したる者は拘留又は科料に處す。
前条の厚意を教唆又は幇助したるものおは前条に照し之を罰す」と云ふのであるが、右に就き、丸山保安部長の意見は「闘犬は他府縣では高知縣で盛に行はれて居るが、其他では黙認して居る所はあるけれども公然には許されてなかつた為め、公然會合の出来る東京に闘犬或は闘犬業者が集つて来た。
夫で近来非常に旺盛になり、目下の處向島の旭、小石川區指谷町に中央、下谷區三の輪町にケンネル、新宿に山手の四倶楽部があり、旭倶楽部の如きは毎日曜に興行して七百人乃至千人の人を集め、中央倶楽部の如きも益々隆盛になつて行く様子だから、此残忍極まる興行が余り盛んにならぬ中に禁止する様にしたのである。
此闘犬には少くとも四つの弊害がある。
第一は特に婦女子児童に對し知らず〃の中に残忍性を浸み込ませる。
第二は之は大なる動物虐待で、犬自身は左程感じないかも知れぬが、咽喉を噛み合て生臭い血潮の流れるのを見て楽しむとは實に残酷の極である。
第三は、競馬の如く其勝敗を博奕の具に供し一種の賭博が行はれるから、二重の罪悪となる。
もし一つは闘犬所有者が互に勝敗に就いて競ふ如き風教上の問題が惹起さるやうになる。
或る者は、犬種の改良の為めなどと云ふが、之は表面上の理由に過ぎぬので、決して犬の性質や種類のどの點をも改良されるものではない。
愛玩犬、番犬、猟犬等は獰悪になるだけであつて決して犬種の改良される事はない。
斯の如く弊多く利益なき闘犬が、之迄には種々研究し或は中学生、婦人、児童等に就て其の感想を聞いた後、警視庁令として公布した次第である」
云々。

大正3年