【第二回・九一式馬用防毒面について】

初回は馬用ガスマスクの歴史について解説しましたが、今回は日本軍の馬用ガスマスクについて取上げます。
馬の場合、犬と違って鼻だけで呼吸します。だから、毒ガスから呼吸器を護るには鼻先だけを蔽うマスクでも充分でした。

馬
米軍の化学戦防護教範(1940年)より、軍馬の呼吸方法

馬
MⅡガスマスクを装着したアメリカの軍馬

【日本陸軍九一式馬用防毒面】

帝國ノ犬達-horse gasmask

帝國ノ犬達-horse gasmask

帝國ノ犬達-horse gasmask
日本軍の九一式馬匹防毒面(「九六式」としてある資料もありますが、ここでは上記の呼称を使います)。

一、馬防護の必要に就て 
陸軍歩兵学校『馬防護の参考(昭和13年)』より

一、馬匹の補充は易からず
馬は活動の兵器にして之を愛護せざるべからざるに、動もすれば滿洲事變後馬は至る所に於て補充しえるを以て敢て之が補充を憂ふるを要せずとなすものあるも、之唯半面の觀察のみ。
試みに一度國を擧げて戰ふ時焉んと如斯容易なるを得んや。
言ふは易くして行ふは難し宜なり、數十萬頭の馬匹を徴發するに方りては其の集成は決して易からざるは明にして、既に當局に於ては之が調査及諸般の準備に遺漏あらざるべきも、吾人亦思を敍上の状況に致して馬匹愛護就中之が防護に於ても又決して油斷しあるべからざるなり。
ニ、馬の防護は絶對に必要なり
馬は後述する如く必ずしも抗毒力大ならず。加ふるに恢復も又速ならざるものあるは既に過去の事實に徴するも明なる所なり。
然るに動もすれば馬は人より抗毒力に於て勝れるが如く考ふるもの多きは誤なり。
宜しく其の實情を研究して其防護を完全ならしめ、以て所謂兵馬協力萬難を排して勝利に向つて邁進せざるべからず。
之聊か馬の防護を講ずる所以なり。

ニ、防毒面(乙)取扱 
九一式馬匹防毒面取扱法
一、防毒面(乙)は化學兵器に對し軍馬の呼吸器官を防護するものとす。
ニ、本防毒面は覆面の大きさに依り之を大小ニ種に分つ。大は概ね蹄鐡五號以上、小は蹄鐡四號以下の馬に適合するものにして、其の全備重量は約一瓩三○○とする。

(原文ママ)、構造及機能
防毒面(乙)は覆面吊革及属品(袋)より成り、覆面織布層に呼吸剤を浸潤せしめ使用するものとす。
覆面と氣密革に依り馬の上顎部に密着し鼻腔を被包するものにして、吸氣に際し含毒空氣の織布層に吸収せられ其呼吸剤に毒物を完全に吸収濾過するものとす。
1.吸収剤を調製するには一式馬用吸収剤甲(氣温摂氏零下約七度を下る地方に於て使用すべき覆面に對しては同乙を併用す)を桶類又は水嚢に入れたる清水三立を加へ、棒片等に依り混合攪拌して殆んど無色透明なる液を作るものとす。
2.吸収剤として次の配合のものを用ふ。
十個分配合量
ウロトロビン  九○○瓦
炭酸加里   一五○瓦
水       三○○瓦
一個の覆面に對し上記溶液の約三百瓦を吸収せしむ。
尚、冬季に於ける凍結を豫防する爲、厳寒時に於ては之に若干の食塩等を混合する如く研究しあり。
3.防毒面に吸収剤を浸潤せしむるには先其革具類殊に氣密革に充分塗油したる後一ケづつ氣密革を上にし約十分間之を吸収。中に浸潤す。
而して織布層全體に浸潤せしめたる後取出し、過剰の溶液を手にて搾り季節天候に應じ適當に乾かし袋に納むるものとす(細部は使用上の注意六七参照)。

四、使用法
1.防毒面(乙)は通常之を馬具に装着して携行するものとする。然れ共、場合に依り最寄車輌に積載して運搬することを得。
乗馬に在りては通常左鞍嚢の直前に於て鞍に装着するを要す。
2.防毒面(乙)の携行に方り、携行姿勢若くは待機姿勢何れを採るべきや又装脱等は總て防毒面(甲)の使用法に從ふものにして防毒面(甲)の處置終りたる直後に於て特に命令に依ることなく之を行ふを通則とす。
(註)ガス襲來の場合ある場合は携帯袋より吊革のみを取り出し、之を馬匹に装着し待機姿勢となす。
3.待機姿勢にあるとき防毒面(乙)を装着するには通常次の順序に依るものとす。
イ.行進間に在りては停止し乗馬者は下馬す。
ロ.吊革の端末部を勒額革より脱し垂下す。
ハ.袋より覆面を出し其内部に一手を挿入して之を擴大す。
ニ.馬の左(右)側より之に近寄り、之に左(右)手を以て覆面を保持し、右(左)手の食物と中指とを右(左)口角内に挿入して口を開き、口板を口中に在しむる如く覆面を除き之に上顎部に深く嵌装し、鉤を吊革の方形鐶に鉤す。
ホ.兩手を以て馬の兩口角に近く締紐を握り、之を何時に外方に緊張して氣密革を十分緊締したる後、紐止により緊定す。
防毒面(乙)を脱するには概ね装着と反對順序に依るものとす。

五、使用上の注意
1.防護面の携行に方りては、常に迅速且容易に取出し得る如く考慮するを要す。特に車輌に積載運搬する場合に於て然りとす。
2.本防毒面の装着は迅速且確實なること極めて肝要なり。依て人馬共に熟練馴致しあるを要す。
(註)馴致の方法としては、未だ理想案なきも馬房等には防毒面を吊し、常に之に馴らしめ又時々袋より出し馬に視せしむる等を可とせん。
3.吊革各部の寸法は、其の馬に適合する如く豫め之を調整し置くを要す。
4.本防毒面装着間馬の運動は成る可く緩除ならしむるを可とす。然れ共情況に依り若干の速歩又は駈歩をなすことを得(速度に於ては最大限度二十分とす)。此の場に於ては克く馬の状態に注意するを要す。
5.本防毒面装着間は馬をして覆面を土地若くは股等に擦りつけて之を脱落又は毀損せしめざる如く注意するを要す。
6.吸収剤浸潤後覆面の乾燥程度の液の滴ることなからしむるを以て適度とす。
7.覆面の適度に乾燥せる場合は、之に清水を注ぎ潤したる後、適度に乾燥するを可とす。此の際、吸収剤を流出せしめざる如く注意するを要す。
8.本防毒面は最初一回吸収剤を浸潤せしむるときは事後概ね二十回瓦斯雰囲氣中に於て使用し得るものとす。故に使用回數以上に亘りたるもの瓦斯濃度極めて大なりし場合及豪雨其他に依り吸収剤流出せざるか又は其疑ある場合にありては、更に吸収剤を浸潤せしむるを要す。
9.本防毒面は傳染病考慮し各馬専用のものを配合するを本則とす。若之を他の馬に流用する場合には適宜消毒するを要す。

三、防毒脚絆
脚絆の締革の締方は、一番下を最も強く、中間を稍強く、歩行に関係する部分は緩締む。脚絆装着後は歩行に支障を來すを以て装着せば歩行を行ひ馴しむるを要す。
※防毒脚絆については後述します。

全体

horse gasmask

horse gasmask

horse gasmask
九一式ガスマスクの気密革部分。内部には整形用のパッドが縫い付けられています。

ガスマスク下
馬の歯が当たる口板部分は、厚手の革で補強されています。

ガスマスク口



連結金具
 
正面

horse gasmask

連結部分
こちらは連結用の金具。頭絡の鼻革に固定するためのもの。

化学兵器を受けた際に防毒具が無いと、軍馬は深刻なダメージを受けます。陸軍獣医学校では、実際に化学剤を投与しての治療方法も研究していました。

馬
通常の鼻カテーテル式酸素吸入法

馬
鼻カテーテルおよび呼気からの高濃度酸素再吸収を目的とした、有賀式蒸気吸入器袋併用テスト

馬
酸素発生剤入りのゴム嚢から吸気するマスク方式

馬
高濃度酸素希釈用の外気混入孔

上記は陸軍獣医学校における、酸素吸入による軍馬の回復實験。
酸素欠乏の状態を得るため、わざわざ馬をホスゲン中毒にしています。ホスゲン投与後25時間で重篤な状態に陥ったのを見計らい、各種酸素供給法がテストされました(昭和16年)

補足資料:外国の馬用ガスマスクについて

【アメリカ軍M4馬用ガスマスク】

馬
こちらはMⅡガスマスク。

帝國ノ犬達-馬用ガスマスク

帝國ノ犬達-馬用ガスマスク

アメリカ軍のM4馬用ガスマスク。排気弁を備えた黒いマスク部分を馬の鼻先へ被せ、吸気はホース先端に直結した2つの浄化フィルターを通して行う方式。
構造は複雑ですが、軽量かつ浄化能力の高いマスクです。

馬用ガスマスク

馬用ガスマスク
外見と違ってマスク内部はシンプル。吸気ホースと排気弁の穴が開いているだけです。

馬用ガスマスク


馬用ガスマスク

馬用ガスマスク
これが排気弁。馬の吐息はここを通して外部へ排出され、汚染された外気が侵入する前に弁が閉鎖されます。

馬用ガスマスク
右側吸収缶キャリアー・馬用ガスマスク

馬用ガスマスク

馬用ガスマスク

馬用ガスマスク
浄化フィルターを収納するケース。中身は無し。ホースに直結してからハーネスで首の両側にぶら下げます。
汚染された外気はここで浄化され、ホースを通してマスクへと吸い込まれていきます。

【ドイツ軍M38馬用ガスマスク】

帝國ノ犬達-馬用ガスマスク

帝國ノ犬達-馬用ガスマスク
浄化フィルターを内蔵したドイツ軍のM1938馬用ガスマスク。重さといい大きさといい、小ぶりのスイカくらいあります。
馬への負担も大きかったことでしょう。

馬用ガスマスク
正面の排気弁。

馬用ガスマスク
両側面の浄化フィルター。

馬用ガスマスク

馬用ガスマスク


馬用ガスマスク

次回は、マスクと併用する防毒覆(下の写真)を紹介。
防毒脚絆については追って投稿していきます。

帝國ノ犬達-馬用防毒具
写真では小さく見えるのですが、実際のサイズは馬と一緒。机によじ登って全体を撮影しました。