第3期計画

大正11年2月、欧州駐在の山口大佐から「獨逸警察犬に関する所見」が届き、歩兵学校の研究にも拍車がかかりました。
3期に亘る基礎研究もこれにて完了、以後は軍用犬の配備に向けた歩兵学校の根回しが始まります。


帝國ノ犬達-歩兵学校

●歩兵学校アルバムより、大正11年に歩兵学校で撮影された恵須と恵智達です。
3月から追加購入された3頭を含め、歩兵学校のシェパードはこの時点で5頭となっていました。
それ迄テストされていたレヲ、タンク、ネリーのうち、牝1頭は病死。残る2頭は供託者へ返却されたと思われます。

軍用犬第三期研究報告

第三期計画目的
本期に於ては漸次2期の諸施設を拡張し、第2期に於て決定せられたる方針に基き、益々研究を進め、以て我国軍に於ける軍用犬の使用の根本を確定し、併せて犬種の改良及増殖の研究に任す。

第三期研究計画に基き、第二期の研究を継続す。
而して其重なる研究事項次の如し。
1.各種犬の能力の判定並に各種役務達成能力の鑑識。
2.既研究の結果に依る訓練方法並訓練回数の研究。
3.各種役務に応ずる犬の戦術的用法の研究。
4.保育衛生

第二、研究実施の概況
大正十年十二月より大正十一年十一月に至る間を研究第三期とし、前項研究目的に基き左の研究を実施したり。

一、各種犬の能力の判定並に各種役務達成能力の鑑識
研究初期以来飼養して、其の訓練を略々完了したる狼犬、秋田犬及樺太犬の能力並に各種役務達成能力の鑑識の既研究事項に基き、研究を継続して之が向上を計りしと共に、新役務達成能力の鑑識に努め、又新に左記犬を飼養訓練して、其能力並に之に課すべき役務並に軍用犬としての可否を判定する為の研究を実施せり。

左記
【狼犬】三頭
牡(六年九箇月)牡(六年十箇月)、牝(六年十一箇月、大正十一年三月より飼養。
【アイリシユテリヤ】一頭
牡(一歳) 大正十一年三月より飼養。
【エヤデルテリヤ】二頭
牡牝仔犬。大正十一年六月より飼養。

尚、前記より飼養せし秋田犬牡一頭は老齢にして研究を継続するを不適當と認め研究を断念せり。
且つ土佐犬、秋田犬、番羊犬等研究の目的を以つて蒐集に努めたるも、諸種の障碍に依り其目的を達する事能はざりしを遺憾とす。
右の如き状態にありしを以て、自然既研究事項の程度を深くしたるに止まるもの多く、新役務の研究として僅かに伝令犬に對して渡河連絡法、飛行機より投下する通信筒の捜索、市街地の連絡、夜間の伝令等に研究の歩を進めたると、輓曳、斥候、警戒勤務に一部の研究を実施したるに過ぎず。

ニ、既研究の結果に依る訓練方法並訓練回数の研究。
本研究は第二期研究に於て略々正鵠を得たるが如き状態なりしも、之を狼犬以外の犬種に對して直ちに適用し得るや否や疑問にして、特に自ら訓練中なるテリヤ種に依りて得たる研究の結果は、注目すべきものと信ず。

三、各種役務に応ずる犬の戦術的用法の研究。
伝令犬に對しては今や遺憾なき之が用法の研究期に入るべきものと思考し、伝令犬の戦術的用法に関しては最も留意し、各種演習に参加するは勿論、本年六月通信学生の實兵指揮演習に参加して研究し為に得る處多く、未だ之が用法の成案は得るに至らざるも、既に其緒を得たり。
以て之が成案も来年度を待つて完成し得るものと信ず。

四、保育衛生
保育衛生に関しては、経験を積むに伴ひて逐次向上し、管理法も明にするを得るに至りしと雖も、亦一方諸種の疾病等に遭遇し、之が犠牲となりし仔犬二頭、狼犬牝一頭に及び、其率は決して小なるものにあらず。

第三 研究の成績
一、各種犬の能力の判定
(1)狼犬(※シェパードのこと)
各種の能力卓越し、各種の役務就中伝令捜索及警戒に優秀なる能力を有し、軍用犬として好適のものと認む。
本犬の優越点は前年度報告の如しと雖も、特に怜悧にして服従心に富み、熱心任務を完ふせざれば止まざるの美点は益々之を明瞭に知るを得たり。
唯、本犬の不利とするは之が繁殖力の弱き点にして、本邦に於て産したるものは、良好なる成績を挙ぐるに拘らず、外国産の犬は内地に於て其繁殖力弱し(青島は成績良好なり)。
故に之を国軍に採用するの秋を顧慮すれば、之が繁殖には馬種改良の如き機関を必要とせん。
(2)テリヤ種犬
本種犬は更に「ブルテリヤ」「ボストンテリヤ」「アイリツシテリヤ」「エヤーデルテリヤ」「ホオツクステリヤ」等各種犬ありと雖も、斉しく自己の目的に向つては飽く迄努力するの美点を有す。
而して體躯は小なるも勁健、勇敢にして嗅覚甚だ鋭敏且つ主人に親しみ易き性大なり。
目下研究中に属し、判決を得るに至らざるも、軍用犬として好適なるものゝ如し。
(3)秋田犬
前年度研究に使用したる犬の外、良種を得るの機会なかりしを以て、輓曳の外研究を実施せず。
従つて之が軍用犬としての可否は更に優良種を俟つて判決を下さんとす。
但し、輓曳能力は良好なるものと認む。
(4)樺太犬 
輓曳犬として最適のものと認む。
但し、戦地、就中夏期に於ける使用は困難なり。
研究に供するに乏しき為、其他の能力は不明なり。
原産地に於て土人の唯一の伴侶として之に課しつゝある役務に鑑みる時は、之に他の役務を課して大に利用するに足る犬種にあらざるやを思はしむ。
故に之が判決は優良種を得て更に研究を実施したる後に於てするを適當と認む。

(1)伝令
(イ)優良なる犬は一○吉米(㎞)以内の距離に於ては各種の情況に応じ往復伝令を実施し得べく、其伝達速度は距離の長短、地形、天候に依りて多少差異あるも、通常学校付近の地形に於て、概ね昼間に於ては毎一吉米三分乃至五分、夜間に在りては毎一吉米二分乃至四分なり。
而して地形天候の困難なると距離の遠大なると或は伝令回数の多きに従ひ、益々伝令犬の優越を発揮す。
市街地に於ける伝令は、野外に比し誘惑多き為、其速度を減じ、一吉米四分乃至
但し戦場となりたる市街は兵馬の外通行なきを以て野外に比し一層確實迅速なる可し。
(ロ)渡河
伝令途上河川湖沼を横断するの必要婁々之あるべし。而して之が能力は静水にては稍々漣(さざなみ)ある時に於て約八百米の湖沼を約
(ハ)連絡路構成後、両者の交通を実施する事なくして幾時間を停止せしめ得るや。
犬種、地形、天候、連絡路の選定等に依りて差を生ずるものにして、確証を得る能はざるも、前年度の研究に比し約三十分を延長するを得、通常二時間を以て限度とするに至れり。
但し他種犬を以てする外国に於ける能力に比する時は其差未だ大なるものあり。
之亦演練によりて向上するは確實なるものゝ如し。
(2)捜索能力
(イ)通信筒の捜索
本項は目下研究中に属し、判決を得るに至らざるも、二百米半径の地形に落下せる通信筒は之を捜索拾得し得る能力を有するは確實なるものゝ如し。
従つて、飛行機と連絡して此の役務を課し得るものと信ず。
吾人は飛行機と聨合して戦闘するに方り、通信受領位置を目標として投下されたる通信筒も、之が落下の方向は認め得るも、之が捜索は容易の業にあらざるを経験す。
故に之が任務を犬に課する時は、比較的迅速確実に拾得し得て有利なる通信の時機を失し、或は通信筒の紛失を免れるを得べし。
而して視力に於て吾人に及ばざる事遠き犬は、専ら嗅覚に依りて任務を達成せざる可からず。
之が為、一度落下するや其方向を指示して犬を方向線上に飛躍せしめ、飛躍中嗅覚に依りて通信筒の位置を発見、拾得し帰らしむるを要す。
従つて之の能力は主として方向線上を正しく飛躍するの能力に関す。
未だ飛行機と実際的に連合して研究するの運びに至らざるも、準備訓練に於て方向線上に二百米の飛躍をなさしむるは困難にあらず。
而も通信筒は受領所を中心として二百米半径を基準として落下すべきを通常とするを以て、本役務を課し得るものと信ず。
(ロ)斥候の補助
未だ確証を得るに至らざるも、隠蔽地及夜間の斥候の補助として部隊の周囲約二百米に互る地域の捜索警戒の任務を遂行し得べく、而も訓練に依りて之が地域の半径は延伸するを得。
隠蔽地及夜間に於て之を斥候の補助として使用するに方りては、部隊或は斥候の前方或は之に並行して飛躍せしむるを要す。
故に之亦一に方向線上飛躍の能力に関す。
而して目下は飛躍二百米の能力を有す。
(3)歩哨の補助
夜間及陣地戦等に於て、歩哨の補助として並びに立哨せしむるものにして、夜間の警戒能力は概して前期報告の如く約七○米付近迄警戒し得るが如し。
陣地戦に於て歩哨を補助せしむるは、最前線の監視壕等に位置せしめ、敵陣地内に於ける微細なる音響或は瓦斯の臭等を聴き、又は嗅ぎて之を警戒するが如し。
而して陣地戦に於ける前述の如き任務は、優に達成し得るものと信ず。
(4)輓曳能力
輓曳能力に付きては、前期報告の如し。

三、訓練方法並訓練日数の研究
(1)訓練方法
概して前期報告の如し。
但し、次の二項を得たり。
(イ)課すべき役務に依り、又犬種、年齢或は智力に応じて、前期報告の基本訓練の某科目は之を省略し得るものなり。
但し、完全なる軍用犬たらしむる唯一の基礎は基本訓練の親切丁寧なるにある事、猶ほ軍馬に分解的の基本訓練の必須なるが如し。
(ロ)通信筒捜索の為、殊に方向線上飛躍の課目を演練するを要す。
而して本訓練の結果は直に斥候勤務に応用し得。
(2)訓練日数
(イ)前期の報告は、狼犬に對しては殆ど正確なるを信ずるに至れり。
而してテリヤ種等に對して直ちに之を適用するは困難なるが如し。
而してテリヤ種は同じ訓練研究中にして、本期報告に之れが判決を致す能はざるは遺憾とするも、狼犬に比し基本訓練に多くの時日を要するは確實なり。
(ロ)通信筒捜索を課する為には、約十五日を要す。

四、各種役務に応ずる犬の戦術的用法
第二期報告に変化を認めざるものは之を再びするの煩を避け、主として本期に於て得たる結果を列挙す。
Ⅰ伝令犬
(A)伝令犬は技術的通信を利用する能はざる時、或は其準備なき時、之を訓練筒として使用するを適當とす。
即ち行軍より戦闘への転移時機に於て、未だ技術的通信の設備せられざる時、銃砲の火網内に入り、電線の保繕視號通信等を許さざるに至りし時、或は全く通勤機関を有せざる部隊等に於て之を使用するが如し。
而して配属せらるる犬の頭数多きに従ひ、之を主通信として使用するを得。
(B)分進する部隊と主力との連絡。
(C)追撃に當り電話は撤収し、後追撃隊に追及する等、其間追撃部隊と本隊との連絡、特に隠蔽地の連絡には最も有利なり。
(D)掩護隊と本隊との連絡。
Ⅱ輓曳犬
前期の如く材料運搬に使用して其の確証を得たる外、尚之が使用法として通信機械の運搬を研究せり。
即ち駄馬に載せたる器械は戦場に於ては駄馬の行動を許さざる為、之を兵力にて運搬せざる可からず。
故に之を犬に曳かしめんとす。
而して一駄馬分の通信を積載運搬する事を得。
然れども、地形車輌巾約三尺の通過を許す事を条件とするを要す。



以上が日本軍用犬の黎明期に関する資料です。
この3年間でシェパードの能力が実証され、軍用犬研究を継続する為の方向性もはっきりしてきました。
軍用犬が実戦投入されるのは、これから10年後の昭和6年9月18日、満洲事変の夜。以降、多数の軍用犬が戦場へと送られます。
日本が東洋最大の軍犬運用国に成長したのは、この軍用犬研究期間があったからこそです。
逆に言えば、もし研究の着手時期やシェパードの来日がズレていたら、日本の軍用犬部隊は小規模なまま終ったかもしれません。
そうなれば、犠牲となった軍用犬の数もずっと少なかった筈。
歴史にifは禁物ですが。

さて。
軍用犬を知る人ならば、この項を読んで「何かが足りない」と思うかもしれません。
そう、当時の3大軍用犬種のひとつであるドーベルマンがいないのです。

てな訳で、次回の№6「ドーベルマン来日」に続きます(豫定)