デニスケンネルへ行きました。僕と軍犬班の班長と副官と。
僕はデニスケンネルに長いことあこがれていましたが、行つて驚いたことは、恐しくブルヂユア精神のみち〃したことだつた。
僕はよい犬が何十頭ゐたところであんな飼ひ方をよしとしない。程貽澤君も上海では有名なスポーツ愛好家ときいていたが、何故犬にトレニングさせないのか?
市街のまん中に設備の限りをつくした温室的な犬舎。わけのわからない管理者のわけのわからぬ犬の招待。
僕は近代名犬の父母となる犬の肥肉を嘆じてかへつた。

 

黄瀛『Y・H雑談(昭和8年)』より


帝國ノ犬達-黄瀛
日中軍用犬部隊について意見交換する帝国軍用犬協会の坂本健吉陸軍少将と南京特種通信隊の黄瀛隊長(明治屋にて、昭和11年)

昭和11年、黄氏は部下の軍犬隊附少校李家駒氏と共に来日。この頃既に、日中間の対立は深刻なものとなっていました。

 

少しおくれて、中国陸軍の軍服を着た少し小柄で丸顔の黄さんが入ってきた。当時中国陸軍の高官だった黄さんは、伝書鳩の掛りであるといっていたが、既に中国との間に風雲急を告げていた日本陸軍は、中国将官の参観に難色を示した。
『その交渉のためにおくれてしまったよ』(佐藤竜一著「黄瀛 その詩と数奇な生涯」より)

 

この来日において、黄瀛は日本陸軍歩兵学校軍犬育成所や帝国軍用犬協会関係者との意見交換会に参加しました。日中軍用犬関係者によるやり取りが記録されていますので、下記に引用します(中国警察犬史の証言としても貴重です)。

日時 昭和11年10月22日夜
場所 銀座明治製菓賣店
参加者 黄瀛中華民國陸軍特種通信隊隊長、李家駒軍犬隊附少校、坂本健吉陸軍少将、田島氏、中根栄氏、大橋守雄氏、服部氏、平澤氏、松方氏、高野氏、三重野信大尉、柚木崎中尉(両名とも歩校軍犬育成所所属)、阿部氏、刈田書記。

中根「ちよつと御挨拶申します。黄大人はNSC(※日本シェパード倶楽部)の時代からNSCのメムバーでありまして、其の頃から御名前を能く承つて居つたのでありますが、それは僅に書面でニ、三度往復を致したやうな次第で、親しく御目に掛る機會を得なかつたのであります。
黄大人は今は南京の陸軍通信兵學校特種通信隊々長を御努めなつて居ります、現役の中華民國の将校であります。
それから御隣りに御居でになりまする御方は黄大人の部下の方でありまして、中華民國陸軍通信學校特種通信隊附の陸軍通信兵少校李家駒大人でありますが、李大人にも私今回初めて御目に掛つたのであります。
黄大人は、噂に御聴き申した所に依ると、日本の女性を御母堂に御持ちになりまして、さうして四川の重慶で御生れになつたのでありまして、青島の日本の小學校を御卒業になりまして、さうして東京に御出になつたのであります。
文化學院に御學びになりまして、さうして日本の士官學校に御入學になり、士官學校を極めて優秀な御成績で御卒業になつて、さうして中華民國将校として勤務せられて居るので、何應欽将軍の甥に當るさうですから、詰り何應欽将軍を伯父様として居られます(※実妹の寧馨が何将軍の甥である紹周氏と婚約)。
扨て此の月の十日頃でありますか、黄大人から手紙を戴きまして、自分は今、日本の軍事見學の爲に将校を連れて東京に來て居る。一度會ひたいとの事。さうして私の社(電通)を訪ねられて、初めて黄大人に御目に掛つたのであります。さう云ふやうな譯で、御目に掛ることはなかつたのでありますが、古い知己であります。
殊に特種通信隊と云ふものは軍用犬と軍用鳩を専門に御取扱ひになつて居る所であります。旁々支那の尊敬すべきメムバーを一度會員有志と共に御歓待したならばと思ひまして、今夕此の座談會を催した譯であります。非常に簡単な設備でありまして誠に失禮でありまするが、併し黄大人は先程申しましたやうに日本の風俗習慣等は非常に能く慣れておいでになりまするから、私共の深厚なる敬意だけは十分に御汲取り下さるだけの御心持があるものと信じて居ります。
本夕副会長坂本少将閣下も特に黄大人に敬意を表する爲に御出席下さることになつて居りまして、もう御出掛けになつたやうでありますから、間もなく御出になると思ひますが、どうか本夕は軍用犬に附いてのみ、外のことは一切私共の関係する所でないのでありますから
軍用に附いてのみ、中華民國に於ける軍用犬の状態を承はりたいと存じます。
殊に李家駒大人は青島にお居でになりまして、長い間警察犬を御取扱ひになつた御方であります。依つて、黄先生を煩はして李家駒大人から色々の御教授を受けましたならば非常に私共に益することが多いと思ふのであります」
黄「今夕は皆様から私共の爲に御集りを戴きまして、光榮とする所であります」
中根「黄大人、どの位あなたの隊に犬を御持ちですか」
黄「五十何匹、それが良いのも悪いのも混ぜて五十何匹です。将來は何萬頭かに殖やすと云ふ計畫(※)もございますが、まだ……」(※中根さんは「多過ぎではないか?」と疑問を呈しています)
中根「上海のデニスチエンはすつかりいけないですか」
黄「すつかりいけないんです。一昨年頃ですか、夏でしたが犬の病氣ですつかり……」
大橋「甚だ失禮な質問を致しますが、あなた方の御國にも丁度日本の國の様な軍用犬協會のやうな團體がございますか」
黄「まだございません。先程、僕が來る途中で上海の方々に相當御合ひしまして、其の時其の話がございまして、上海に可なり大きい養成所をやつて見たいと云ふことで大分それには有力な人が入つて居るらしいので今度帰つてからまア其の方々に話してやらうと思つて居ります」
大橋「ではまだ團體のやうなものは一つもございませんか」
黄「小さい團體ならございます」
大橋「さうしますと、血統書の發行は個人だけで以て、公認されたものはございませんか」
黄「公認されたものはありませんね。併し、中華民國には獨逸のS・V(※獨逸シェパード犬協會)に入つて居る人が相當多いらしいので、僕の知つて居る人でも三十何人か居るでせう」
服部「御國では軍用犬は三犬種、エアデール、ドーベルマン、シエパードですか」
黄「軍用犬と云ふ名称がありませんから、シエパードは牧用犬とか、それから狼犬、監視犬とか言つて居ります」
中根「それで矢張りあなた方の學校で訓練されて、演習等にはそれを使つて居らつしやいますか」
黄「其處まで行つてないんです。兎に角それを訓練しまして、各地方から來た軍司令官とか師團長なんかに犬でも斯う云ふことが出來ると云ふことを見せる位です。まだそれまでに行つてないんです」
中根「それで訓練の程度はまアどの位の程度まで行つて居りますか」
黄「訓練の程度は僕の所は通信隊ですから、通信の出來るまでゞすね、基本訓練……」
中根「李先生は青島に居らしたんですから、訓練の方は手に入つたもんでせう」
黄「そんなことはないと云ふんです。李さんが何か話をするさうですから通譯します」
李(黄氏通訳)「自分は惜しいかな日本語が出來ないので、今顔を見ながらにして話の出來ないのは如何にも残念であります。私は元來軍用犬に附いては非常に深い信念と理想を以て是までやつて來ましたが、矢張り色々な関係上からして犬に對しては幾多の疑問を持つて居るもので、今度こちらに参りましたから色々又其の御指教を仰ぎたいと思ひます。今夜は軍用犬協會の幹部の方々や、歩兵學校の将校の方々が出てお居でになりますから、色々御教示を仰ぎたいと思ひます。
今夜茲に御臨席下さいました方々は皆日本の軍用犬の権威者ばかりで、其の中に自分が入つて居ることは非常に光榮とする所で感謝いたします」
三重野「私から一つ李さんの御紹介を致します。只今中根さんから黄さんの黄さんのことに附いて色々御話がございました。朝の九時頃から午後の五時頃まで軍犬と云ふものに関して色々お互に御話をしたのですが、其の時に支那語を私が解しません爲に、お互いに支那語で李さんと研究することが出來ないのは甚だ残念に思ひましたが、黄さんを通じて私共の學校(※陸軍歩兵学校軍犬育成所)の施設とか管理、訓練其の他に附いて黄さんを通じて御質疑がありました点を能く考へて見まして、成程流石は青島で永年警察犬をやつて居られる方の質問は唯の質問と違つて有り触れたことでなしに真髄に触れたことの質問があると云ふことを感じまして、私が支那語を解して居ればもつと今度こちらの方から色々と今迄の深い體験を御尋ねしたいと云ふ氣がしましたが、残念ながら問はれるだけに終りまして、こちらから御尋ねすると云ふ機會もありませんし、何しろ日本語で御尋ねするのはどうもしつくり合ひませんので、あちらの方の訓練界のことはさつぱり御尋ねしない内に時間がなくなりましたが、我々は日本の國内の軍犬はどう云ふ様な状態になつて居るか、どう云ふ風な方針でやつて居いでになるかと云ふことを十分御聴きしたいと思つて居ります。
丁度軍用犬と云ふものは、どうも獨逸とか英國とか欧米に先んじられまして、日本は非常に立ち遅れたやうな形になつて居ります。日本がと云ふより東洋が立ち遅れたと云ふ感がありますが、我々軍犬の事業に携はつて居るものは、民國の此の方面に携はつて居られる方と提携しまして、東洋の軍犬は欧米の軍犬に絶對に劣りはしないと云ふ確信を得て、欧米に負けない所の軍犬界を作り上げたいと念願して居る次第でございます」
中根「黄先生、上海の工部局では犬を使つて居るんですか」
黄「工部局では個人としてはございますが、團體としてはないですな」
中根「工部局は警察犬として實際に使つてないんですか」
黄「實際に使つてないらしいですが、僕もそれは能く尋ねませんが、持つて居るのは警部級の人が個人で持つて居るらしいんです」
中根「さうして實際に使用して居りませんか」
黄「そこまで僕は見て居りませんが……」
中根「南京の警察は如何ですか」
黄「ありましたが、併し経費の関係で削られたのです」
中根「青島はどうですか」
黄「何十匹か持つて居ります。實際に巡察とか巡邏、さう云ふ方向に使つて居ります」
中根「李先生から青島の警察犬の模様を聴かして下さい」
李「青島の公安局の警察犬は、中華民國の十六年の春に獨逸から三頭の軍用犬を買つて來てそれから始まつたものです。民國十七年に丁度其の三頭が十何匹かに殖えたのですが、其の民國十七年の下半期に又獨逸から四頭の軍犬、警察犬を買つて來て、前に買ひました三頭と、それから此の十七年の下半期に買つた四頭と合計七頭を基本の犬にして、其の七頭犬は皆獨逸でも相當な経歴を持つた犬です。
其の管理の方法は二つに分かれて居りまして、一つは蕃殖で、一つは訓練と分れて居るが、度々強盗とかさう云ふ事件に中々役立つたと云ふのです。此の間色々な障害が度々起りまして、私は訓練の方を担任しまして、それも警察犬は訓練には中々むづかしいので一生懸命やつたのです。
民國二十年の時に自分が苦心して一頭の犬を捜索から追撃までの科目を教へましたが、森林とか普通の土の道の臭跡の捜索よりもアスフアルトとかそう云ふ道の捜索が中々むづかしい。其の結果獨逸のSVに手紙を出して聴いたのですが、其の返事も、矢張りこの件に関しては自分達も研究中だと云ふことで、其の問題は今日に至るまで解決して居ないのです。
民國二十三年には青島の港で他所から阿片の密輸入等がございまして、公安局なんかで非常に困つて、まさか一人宛刑事を出す訳にも行かないし、其の警察犬に三箇月の期間を費して密輸入の防止の訓練の科目を施してやらせたところが成功しました。此の阿片の密輸入の検挙は第一日目から三日間でしたが、二十何人を検挙をしました。さうして其の結果は小いものでも、例へば一グラムかニグラムの阿片でもちやんと犬は間違ひなくみんな検挙しまして、大変成績が良かつたのです。
それから阿片の検挙に犬が發達しまして、其の方面は警察犬の訓練は大分発達して來て居ります。青島の公安局で犬を飼い始めてから、波止場、停車場等に之を配置してから、さう云ふ禁止品を売る店が百分の九十までなくなりました。
青島の公安局では、今警察犬が五、六十頭居る筈ですが、さうして其の使用の途は各分置所、日本の交番ですが、其處に犬をニ、三頭配置しまして、夜の警戒から巡察、夜の不時の召集なんかには其の犬を使つて居るのです」
三重野「獨逸から輸入犬を買つたと云ふのは何年頃になりますか」
李「九年前です」
大橋「黄さん、御伺ひしたいのですが、今の警察犬ですね、警察犬の経費ですね、経費とか其の團體の組織と云ふやうなものは総て官営でございますか」
黄「官営です」
田島「兎に角、阿片の密輸入とか何とかさう云ふことを警察犬で取締つて一角の効果を挙げたら大したもんですね」
三重野「今の阿片の密輸入防止を真似たと云ふ譯ですか、朝鮮の鴨緑江の安東県の向側ですね、そこに貴志少佐と云ふのが、満洲國の税関に入りまして、相當に矢張り犬を持つて居るらしいんですが、満洲が寒くなりまして鴨緑江が凍りますね、さうすると朝鮮の方からどん〃密輸入をして來るのを捉へて居る。矢張り青島の真似らしいんですが」
中根「黄さん、南京のあなたの隊にはデニスチエンの所に居つた良い犬が居りませう。どうです、一匹養成所へ呉れませんか」
黄「デニスチエンの犬とはまだ交配しません。大分年を取つて居りますから」
中根「良いのがあつたら一つこちらの協會に種牡を寄付して呉れませんか。こちらの方でも相當な犬が居りますから、一つ良いのを差上げて交換するやうにしたいと思ふんです」
黄「併しデニスチエンは凋落をしてしまつて(※翌年の第二次上海事変で、デニスチェン・ケンネルは閉鎖状態となります)、犬を誰かに売ると云ふんです。之を方々に分配すると惜しいので、『どうだ國家へ寄贈しないか』と言つて國家に寄附させました。六匹を買つた値が七萬円位のものでせうね。ハラスを買つた値段は米國の三千弗ぐらい、それをそつくり僕の方へ受取りまして、それで蒋介石氏から勲章を貰つてやりました」
大橋「ハラスは種牡として使つて居りますか」
黄「兎に角老體ですから、獨逸の獣醫の顧問がこんな犬は殺して了へと云ふんです(笑聲)」
中根「黄さん、御國の陸軍で軍用犬の重要性と云ふことは国軍として認めて居るのですか」
黄「欧羅巴の方へ偉い人が軍事視察に行つて見て居りますから追々……。さうして其の前までは一匹か二匹、青島の犬を個人で買つて居つたのです。まだ認めると云ふまでは行きません」
中根「さうするとまだ創建時代ですな」
服部「ドーベルマンは一頭も居りませんか」
黄「やつて見たいと思ひますが、兎に角手に入らないんです」
服部「こちらから差上げませうか。エアデールでも差上げませう」
黄「兎に角黄先生、こちらの方でも相當の犬を作りつゝある譯です。あなた方の方でもこつちに御出になつた御土産に一つ良い犬を下さい」
黄「さうですね。デニスチエンの所のハラスの子供が一匹ひよつとすると残つて居るかも知れません」
中根「あなた方の隊で是から生んだので宜しいです。それから四年後にオリムピツク大會が東京で開かれますね。是は當然御國から選手が出る訳ですが、それで其の時に、私だけのまア考へですけれども、軍用犬協會として片方にさう云ふスポーツの空氣が非常に濃厚であるのに軍用犬協會としてまアぼんやりして居ることは物寂しいので、そこで軍用犬協會でも其のオリムピツク熱に應じて何か一つの企てをしなくてはならんと思ふんですね。それで四年後になれば御國でも軍用犬は相當に進歩するでせう。どうですか一つ其の時に對抗試合ですね、オリムピツク、極東オリムピツク大會のやうにお國から……」
三重野「それは私等も考へて居りましたが、軍用犬の方は欧米に立ち遅れましたが、日本でやれば日本は負けはしませんよ(笑聲)」
柚木崎「負けても各國の良い所を吸収するんですな」
田島「それでお互に協議して科目を決めて訓練をやるのだ。さうするとこつちの氣の付かない所を向ふでもやるかも知れないし、それを拝見し、こつちの良いと云ふ所を向ふから見たらあるだろう」
黄「今度参りました時、私共の交通兵監、さう云ふ人が日本に行つたら軍用犬協會の方々に創立時代の苦心談を聞いて來いと申されました」
中根「民間の方はまアニ、三年前までは本當に幼稚でしたが、近頃非常に進歩したですね。此の間雨降りでありまして御出になることになつて居りましたが、御止めになりました習志野原の訓練等も、捜索は實に立派にやつてのけたですな。一番困難な課程のやうに思つて居つたのが易々とやつてのけましたね。それで日本に最初に出來たのがあなた方御存知のやうにNSCでございますが、最初十七、八人のメムバーで、さうして一年位経つて七十人位になつたのですね。さうして二年、三年の内に三百人位になりました。で、其の時に此の帝國軍用犬協會と云ふものが出來て、さうして今軍用犬協會の、其處に居らつしやる坂本閣下の御骨折で二つの團體が合併になつた譯です。
で今丁度軍用犬協會は創立してから四年です。來週五周年ですが、今四千七百人程會員があります。さうしてまア相當事業をやつて居りますが、最初にまアやつた時には展覧會と云つても唯體型の展覧會だけで、中々訓練と云ふことに行かなかつたんですね。それから訓練をしてもヂヤンプであるとか攻撃、襲撃の訓練、其の位のことで、まア迚もむづかしい捜索とか云ふやうなことは陸軍の歩兵學校の軍用犬が來て模範を示して呉れる位で、民間では出來なかつたんですが、今日ではさう云ふやうに段々進歩して來たのです。日本でも訓練熱の盛んになつたのは一両年ですね」
黄「犬はどうなんですか。獨逸から持つて来て、既に日本のシエパードになつたのが多いでせう。寒温に負けないで、日本の氣候に適應した犬が……」
中根「獨逸から持つて来た犬と云ふのは段々幅が利かなくなつたですね。確に最初はまア輸入犬と云ふので相當にデニスチエンのやうに高価な値を払つて買つたやうな犬もあつて、非常に威張つて居りましたが、最近では内地産を重んずると云ふ傾向もあるのでありますが、さうでなくても内地で相當に良い犬が出來るのですね。それで昔程、獨逸から輸入をしたのだと云ふことを威張れなくなつて來たのです。それから今あなたの仰有るやうに段々日本化してきました。それは明かでございますね」
黄「其のことに付いてですが、僕達も軍用犬の資源に付いて獨逸から直接持つて來るよりも、日本経由で苦労しないでやらうかと考へて居りますが」
中根「それは日本から御取りになつた方が宜いでせう。飼育、管理両面から言つても今はもう決して劣らないと思ひますね。寧ろ我々は獨逸に教へたいと思つて居ることも實際あるんです(笑聲)」
三重野「今は獨逸のシエパードと云はないで、東洋のシエパードとして一つの型を作ると云ふことが必要だと思ふんですね」
黄「それから僕等の所に相當な獣醫さんが居なくて困つて居ります。今日も獣醫學校の教官の方と話して参りましたが、犬が病氣になりますと、偖て管理をして居る人が悪いか獣醫が悪いかと云ふことになりますが、それは勿論管理の責任を持つて居る人も相當責任がございますが、偖て病氣になつて見ると云ふと、獣醫さんの方の仕事が大變です。僕等取締の方なんで大分困る……」
柚木崎「永年経験のある獣醫でないと役に立ちませんが、それには日本の方が一歩先を越して居るのですから日本から獣醫を招聘すると宜いと思ひます」
坂本「御世話しますよ」
田島「獣醫は日本は大分発達したのでせう」
黄「鳩の方は日本から教官が來て居りましたが……」
中根「李先生、訓練で一番むづかしい科目はどう云ふものでせうか」
李「一番むづかしいのは犬に責任観念を持たせること、それから犬の個性を矯正すること、此の二つが、一番むづかしいと思ひます」
田島「今の訓練の根本に對する観念を李先生に伺ふと實に立派なものですね。さう云ふ根本観念を以て訓練をして居る人は實際日本人にも余りありませんよ。本當に大したことだ、大いに敬服しますね」
柚木崎「日本で警察犬は使用して居りませんが、私は京城に居つたのですが」
田島「最近警察犬に附いて此処に居る大橋君、高野君が熱心に骨を折つて居りまして、自分の管内の戸塚警察に大いに働き掛けまして、署長を動かして、それで警察犬を置くことにさしたのです」
柚木崎「東京辺りはアスフアルトとか、兎にかく嗅覚方面が困難の関係上、警察犬は餘程使い途を制限されると思ひますね」
松方「李先生に伺ひたいが、先程アスフアルトの上に残した臭線と云ふものは非常に困難である問題ですね。それは矢張り李先生の體験としてはアスフアルトの上に残した臭線は犬は絶對駄目だと御考へですか」
李「それは冬は大丈夫。冬は寒いし大氣は澄んで居りますから、其の臭気線は消えないが、それが夏になると太陽が照るし、アスフアルトの下から蒸發する匂ひと人間の通る臭気線が交錯しまして、犬の鼻が駄目になると云ふのです。又十字路の臭氣線のことは非常にむづかしい。例へば十字路は人通りが多いと断たれると云ふのです」
三重野「中々深く研究して居られますね。私等の言つて居ることゝ同じです」
中根「で李大人の御経験に依ると、先づ民國の軍用犬に對する基本訓練ですね、どんな種類のものを基本訓練として居りますか」
黄「軍用犬ですか、警察犬ですか」
中根「まア両方共、どの位の所をやつて居られるか」
李「それは軍用犬の方がやさしい。警察犬の方がむづかしいので、只今軍用犬は通信傳令犬を主として、大抵四キロ位の所を出來ると云ふ譯で、今軍用犬の訓練に関して一番考へて居る問題は、シエパードを訓練して胆の小さい犬は訓練も容易だ。併し訓練してから偖て實地に使はうとしても使へない。之が一番困る。大胆な犬は訓練は胆の小さい犬と比べるとむづかしいけれども、仕上げて使ふ分になると胆の小さい犬から見るとずつと成績が挙がる。又訓練の時に個性やら色々なことを知らないで、仕上げる間際になつて犬の個性なんか知つたのでは遅い。もう一つの問題は、訓練と云ふよりも矢張り平常の管理に注意しなくちやならない。平常の管理が宜いと影響を訓練の方に及ぼして良い結果になる。今度東京に参りまして、方々を拝見して、其の管理の宜いのに非常に驚きました」
柚木崎「警察犬を研究された刷り物はありませんか」
黄「今ないさうです」
服部「黄さん、お國の特殊な犬で軍用犬に適するやうな犬はまだ見付かりませんか」
黄「それは話として聴きますが、何でも貴州と湖南省の國境の犬は大分良いと云ふのです。どんなものか判らないのですが、兎に角外國の宣教師なんかゞ言つて居ります。使つて非常に忠實で、相當智能的に發達して居ると云ふのですが、まだ僕は見て居ないんですから確なことを言へませんが、其の宣教師の話ではさうです」
松方「それから先程のアスフアルトの道路の臭氣線の話ですが、あれは冬は比較的困難でないと云ふ御話は足跡を付けてどの位の時間の御経験でせう」
李「普通學理的に云へば、二十四時間持つと云ふのです。矢張り色々環境の関係やら天候の関係とか、さう云ふことが関係しまして十六時間位でせう」
三重野「黄大人から御話がありました創設當時の苦心談を話して呉れと云ふことでありましたが、軍隊の方から一言申し上げたいと思ひます。歩兵學校の軍用犬育成所が成立しまして一番苦心したのは、如何にして陸軍に軍犬の價値と云ふものを認めさせるかと云ふことに一番苦心いたしました。それで具體的の手段として先づ陸軍の中枢、中堅になつて居られる幹部の御方、それから支配階級の幹部の方に軍犬を認識させなければ迚も軍犬と云ふものは發達するものでない。
それに先づ全力を注ぎまして、立派な優秀な犬を作り上げるまでには誰にも見せず、出來上がつてから完全なものを軍隊の演習にどん〃入れまして、其處に中堅の人に來て貰つて見て貰つて、成程軍犬と云ふものは價値があると云ふ事を認識して貰ひ、それから中堅、上層階級の人、それから一般に軍犬の價値を認識して貰ふやうに努めました。御國の特殊通信隊の方でもまだ創設後日が経つてないと云ふやうに御聴きして居りますが、先づ御國の陸軍の支配階級の人、中堅の階級の人に十分犬の價値と云ふものを認識して貰へるやうに、立派な犬を訓練されまして、それを御覧に入れる事と、もう一つ、犬と云ふものは飼育管理が難しいものではない。贅澤な御馳走を食べるものでもない。野性的に、放り離して置いてもぐん〃育つて行くものであると云ふ観念を與へたらいゝです。御参考に申上げて置きます」
大橋「最後にもう一言御聴きしたいのですが、只今の總ての訓練用語は皆あなたの御國の言葉でやつてお居でになるのですか」
黄「用語は李さんが來る前に自分が方々の本を見て、用語は支那語でやつて居ります。色々なのを各人に考へさして命令書と云ふものを作らしてやらして居ります。それからもう一つの用語は、言葉ぢやなくて、中華民國のアイウエオみたいなもの、それでやつて居ます」
中根「遠方に御帰りになる方もございませうし、丁度九時でありますから、是で座談會を終りたいと思ひます」

 



日中軍用犬関係者の交流は、これが最後となりました。
翌年8月、第二次上海事変が勃発。日本陸海軍と中国軍は、再び上海にて激突しました。
激しい市街戦の中、「中国兵と行動を共にするシェパードを目撃した」との報告もありましたが、実際に中国側が軍用犬チームを投入したかは不明です。

(後編に続く)