二月號の巻頭頭で、軍犬買上げの必要を述べた。僚誌「ドツグ」の三月號巻頭言には、更にその必要が強調されていた。

かく論ぜざるを得ないのは、軍犬報國のために飼つた犬が、本當にお役に立つであらうかとの不安、疑問が、犬界の一部に漸次増大しつゝあるのを観取したからである。

軍犬資源の充實が未だ一年にも達しない今日、早くもかゝる疑惑に閉されて、二の足を踏むやうでは大問題である。一刻も早く不安を一掃しなければならぬ。

しかし一般犬界人がかゝる不安を懐くに至つたのも無理がない。昨春以來一向軍犬買上げの實がないし、それの斡旋役であるべき、帝犬協會邊りも鳴りを鎮めてゐる。

 

 

全く帝犬會報であり唯一の會員の通信機関である「軍用犬」を見ても、尠くも三月號までには、この間の消息は百何十頁かの會報中に一行も見出せなかつた。會員諸氏の不安がるのも尤もな次第である。

ところが軍部は決して軍用犬に無関心ではないのである。それどころか陸軍では今年度豫算に、数萬圓と云ふ相當大きい額の軍犬買上げの豫算を計上して、大蔵省に要求したのであるが、新規要求一蹴の大鉈にあつて、明るみへ出ず仕舞ひになつたのである。

即ち實現はしなかつたけれども、軍部には軍犬買上げの意志は十分にあるのである。たゞ豫算が取れなかつたために、やりたくともやれないのである。

 

 

諸君意を安んぜよと云ひたいが、單に意を安んずる許りでなく、更に一歩を進めて、大蔵省で出さなかつた豫算を、犬界人で作らうではないかと云つた、積極的運動にまで押進められないものであらうか。

今日飛行機が何十臺か國民の手で作られた。それから思へば軍犬買上げ豫算など知れたものである。

軍部の軍犬補充を民間で援助する方法に二つある。それは直接軍犬を寄附する方法と、買上げ資金を集めて買上げる方法とである。

 

 

軍犬の寄附も勿論奨励したいが、後者の方により重きを置きたい。何故かとなれば、軍犬の寄附は生活の餘力あるものに限るし、犬界そのものに直接何等影響がない。

ところが後者は一般から軍犬を買上げるのであるから、飼育者のはげみになる。よきものさへ作れば、それこそ國家のお役に立つと云ふ観念が、どれ丈け軍犬飼育者にとつて力強いか知れない。訓練等にも自ら油がのる。

軍部にとつても單なる寄附であればたとへ犬に多少の不満があつても黙つて受納しなければならないが、買上げになれば多數の候補犬の中から最優秀なものが、自由に選擇されるから、軍用犬として實際に使役する場合にも、好成績があげられる譯である。

 

 

ところで買上げ資金を募集するとなると、直接金銭を取扱ふのであるから、個人や私的團體よりも立派な背景のある帝國軍用犬協會が最も適任である。いや帝犬にとつてこれ程相應しい事業はないと思ふ。今こそあの堂々たる陣容の威力を發揮し、顧問、参與、理事を總動員して、この軍部の要求する軍犬買上げの實現に努められたらどんなものであらう。

それは軍犬報國の生證拠であり、又今日の犬界の不安を一掃して、真に一石二鳥の利益がある。

切に人肌ぬがれることを希望する。

 

白木正光「陸軍に買上げの意志あり」より

 

この年あたりから小学校の教材にもなり、大いに宣伝された軍用犬。しかし、所詮は軍馬のオマケみたいな存在でした。

その配備には十数年もの準備期間と、各方面への折衝と、調達予算成立までの紆余曲折があったのです。

うまく調達できたところで上官や部隊内での理解が得られず、マトモな運用すら困難なケースも少なくなかったとか。

軍犬武勇伝を讃える前に、そのような日本軍の実情を知っていただきたいなあ。とか思うわけです。