毛は短く、大変に毛に艶のある犬です。
名はセント、ハルナルトと申します。スウイッツランドの山中には冬口になると、旅人が度々雪の為めに、難渋をし、降り積る雪の下になつて死すものが随分多勢ありますから、耶蘇教の教師が山中に小屋を建てゝ犬を二三疋飼つて居つて、雪あらしがあると直ぐ犬を助けに送ります。
すると犬は雪の中を潜り〃つて、鼻で人の居る所を嗅ぎ出して、凍へて死なんとして居る旅人を助けて小屋につれ帰ります。
この犬は今日まで五十人も人の生命を救つたのであります。

田村直臣「幼年教育 犬の博覧會」より 明治35年



台風、豪雨、土砂崩れ、津波や高潮、大地震。
大規模災害における行方不明者の救助活動は一刻を争います。
タイムリミットとされるのが、いわゆる「72時間の壁」。これを過ぎると、要救助者の生存率はガクンと下がります。
そのため、人力や機械のみならず持てる手段すべてを投じなければなりません。
鋭敏な嗅覚や聴力でガレキの下にいる被災者を探し出す「レスキュー犬」もそのひとつ。

外国の救助犬に関しては、冒頭のように我が国でも明治時代から詳しく報道されていました。
最も有名なのがこちら↓

セントバーナード

気付け用ブランデー入りの樽を携行し、スイスの雪山で迷った旅人を救ったセント・バーナードの伝説はともに有名です。
現在でも、災害現場で行方不明者を捜索する災害救助犬や、水難・山岳救助犬が使われていますが
捜索救助活動をおこなう犬は昔から存在しました。

多数の兵士が傷つく戦場でもそれは同じ。各国の軍隊では、救護活動に従事する犬達が運用されていました。

帝國ノ犬達-捜索

銃弾や砲弾が飛び交う戦場では、兵士たちが次々と斃れていきます。
負傷兵は、衛生兵による応急処置を受けて野戦病院へと後送されますが、中には戦闘の混乱で行方不明となる者も少なくありませんでした
広い戦場での傷兵捜索は並大抵の作業ではなく、救助側も危険に晒されます。
夜の闇や悪天候、更には負傷兵が敵から身を隠しているケースも想定しなければなりません。
敵の攻撃を避けながらローラー作戦で虱潰しに捜すなど到底不可能。
一刻を争う救護活動は、人が殺し合う戦場では遅々として進まないことが多かったのです。
結果として、助かる筈の多くの命が失われていきました。

帝國ノ犬達-衛生犬
負傷兵を発見し、証拠として軍帽を持ち帰るレスキュー犬

犬
衛生兵を誘導してきたレスキュー犬

帝國ノ犬達-衛生犬
後送される負傷兵

負傷兵の捜索に犬を使い始めたのがいつ頃だったのかはよく分りません。
昔は、兵士の連れていた軍用犬が偶然に負傷者を発見したという事例が殆んどだった様です。
専門に訓練された負傷兵捜索犬が登場するのは、19世紀末~20世紀初頭あたりから。

同じ捜索作業とは言え、警戒犬による敵兵の捜索と衛生犬による味方負傷兵の捜索は意味が全く違います。
衛生犬は、負傷兵に対してフレンドリーに接するよう訓練されていました。

帝國ノ犬達-衛生犬

帝國ノ犬達-捜索

帝國ノ犬達-捜索
西部戦線で撮影されたドイツ衛生犬チーム。

第1次世界大戦では、ドイツ軍も衛生犬を配備しました。大戦当初は僅かな頭数でしたが、開戦の年末には激増しています。
激しい戦いの中、彼等は多数の負傷兵を救いました。
負傷兵捜索犬は、敵味方の兵士をどうやって識別するのか?
それについて、タンネンベルク会戦で目撃された興味深い事例があります。

「犬のこの聖なる仕事も、負傷者自身の認識不足又は取扱ひ方に依つて阻害された事は大戦が我々に教へてくれた所である。
ロシア方面の戦闘に於て、負傷したロシア兵が、飯盒、水筒、戦帽を以つて犬を打ち、或は足で追ひ払ふと云ふ場面を、ある救護班が観察したが、その結果ある犬は、それ以後負傷したロシア兵には近づかず、又彼を決して忘れないと云ふ事が認められた。
これは、確かにその兵士が赤十字犬に對する認識が無かつた事に基づくもので、多分獨逸軍が襲撃の為め犬を使用したものと誤解したのでであらう。
以上の事實は、今時の戦争にも興味ある問題で、赤十字犬の目的を判然とする為め、赤十字章を附して他のものと区別する必要性を示唆するものである」
カール・ドッフ文 牧洋憲訳「戦争と赤十字犬」より 1940年

帝國ノ犬達-衛生

帝國ノ犬達-衛生犬

ドイツ軍の衛生犬は、それまでの負傷兵捜索犬よりも格段に進歩していました。
負傷兵の元へ包帯を運んだり、自軍陣地へ連れて帰るなどの訓練は一切行われません。
行動の支障になる重い医療キットは捨て去り、戦場を身軽に駆け回る捜索犬へと変身したのです。
負傷兵を迅速に探し出し、発見の証拠としてその所持品を持ち帰り、救護チームを傷兵の元へ誘導するのがドイツ衛生犬の役目でした。
捜索・発見・報告・誘導を犬が務め、救助は人間が行う。
この分担方式により、1頭の犬が1人の負傷兵に延々と関わるのではなく、1頭の犬が次々と負傷兵を探し出し、それを救護チームが回収して行くという効率のよい方法が確立されました。
やがて、ドイツ方式は各国衛生犬の標準となっていきます。勿論、日本軍もこれを採用しました。

帝國ノ犬達-捜索
第1次大戦におけるドイツ衛生犬の訓練。敵から身を隠す負傷兵の発見。


帝國ノ犬達-捜索
負傷兵の所持品を救護チームの元へ持ち帰ろうとするドイツ衛生犬

帝國ノ犬達-捜索
ヘルメットを持ち帰る衛生犬。適当なものが無ければ、何も持たずに戻ります。

帝國ノ犬達-捜索
傷兵の元へ衛生兵を誘導したドイツ衛生犬。以上はシュテファニッツ著「獨逸シェパード犬」より。

帝國ノ犬達-衛生犬
負傷兵捜索訓練中の衛生犬

帝國ノ犬達-衛生犬
証拠として、所持品を持ち帰る衛生犬

帝國ノ犬達-衛生犬
再び救護隊員を誘導して来た衛生犬。負傷兵役の人も大変です。


第1次世界大戦では、軍用衛生犬から別種の使役犬が誕生しています。
毒ガスなどの様々な新兵器の登場により、第1次大戦では多数の兵士が視力を失いました
戦場から戻ったこれら戦盲軍人たちの社会復帰の為、衛生犬の訓練ノウハウを応用した失明軍人誘導犬、いわゆる近代的盲導犬が実用化されます。
その主力となったのが、負傷兵捜索犬研究にあたっていたオルデンブルク衛生犬協会のシュターリンや獨逸シェパード犬協会のシュテファニッツ。
彼等は、衛生犬の誘導技術を応用して盲導犬を作出したのです。

帝國ノ犬達-衛生犬

このように、レスキュー犬は災害現場や戦場、そして福祉の世界で発展してきました。
外国の話はそうなのですが、我が国ではどうだったのでしょうか?
第二部では、日本のレスキュー犬史について取り上げます。

(その2へ続く)