讀賣紙上の濱田氏(※「澤田」の誤植)は盲人に對しては理解があるかも知れないが、犬に對してもつと理解が慾しいのです。あゝした説を發表したり講演して歩く事は、本人が盲人指導の地位にあるだけ尚始末が惡いのです。

濱田氏の云はれる惡條件は絶對的なものでなく、人爲的に改善出來る事のみです。そしてその惡條件を改善したからと云つて、いさゝかも社會を害するとも思へないのです。現に東京第一陸軍病院では桝田准尉と平田軍曹とが、盲導犬を試みて、犬から得る幸福に歓喜の聲を擧げてゐるではありませんか。

私は折角生え出して來た盲導犬と云ふか弱い芽を、二葉の内に踏みにぢられる事を恐れるのです。現在の惡條件のみを見て、シヤツト・アウトしたり、その涙ぐましい研究を阻むが如き言説を爲す事は慎むべきではないでせうか。現在私が盲導犬を使用してゐる。ここではこゝから明治神宮までと神宮外苑までしか無いが、將來もつと〃コースを伸ばす考へです。犬の價格も、將來もつと〃適正されて來るでせう。


上之薗章「盲導犬の黎明(昭和14年)」より

 

帝國ノ犬達-ぼど
桝田准尉を誘導して階段を降りるボド(陸軍省医務局『戰盲勇士の誘導犬記より』)


№8【盲導犬無用論】

リタとボドの訓練が順調に進んでいたといっても、問題は山積していました。盲導犬事業に対する社会一般の援助と国家による保護、各種施設や交通機関への盲導犬立ち入り許可、狂犬病対策、訓練・調達手段の確立、交通取締規則の改正、盲導犬の障碍となる野犬の徹底駆除と放し飼いの禁止、飼育者のマナー向上(路上で闘犬を嗾けたり、犬を放し飼いする人が少なくありませんでした)、盲導犬に対する一般人への啓蒙活動等、盲導犬普及への取り組みは始まったばかりだったのです。
特に、放し飼いの横行は大変な障害となっていました。その事を記した文章が残されています。

 

早朝の神宮参拝を済まして、青山の方へ帰る途次、自分のずつと前にシエパードを連れた白絣を着の人を見て、可なり良いシエパードだと歩を早めて行くと、とつと横丁から飛出して來たらしいセツターまがひの大きな犬が盛んに、その人の犬に吠え出したものである。その人は犬諸共に立止つて身動きもしない。そのギヤング犬を持て餘してゐるのか、無關心でゐるのか見當も付かないので急いで近付く内に、ギヤング犬今にも飛付かんとする氣勢を見せると、向ふから來た左官風の二人連れの一人が、持つてゐた柄の長い鍬でギヤング犬の腰のあたりをうんと殴り付けたので、ギヤングと叫んで飛び上がりざま、横丁へ逃げ出したが、又思ひ出した様にギヤン、ギヤングと鳴き出した様だつた。
急ぎ足で近づいて見た自分は、『おや盲導犬?……』。
その曳き綱の具合から、直ぐそんな考へが浮んだが、事實さうらしかつた。
『××ですが、旦那御詣りですか。どうも野良犬が多くて御困りでせう』
『あゝ君か。どうも有難う。だがやり過ぎたやうだね。あの犬怪我しやしなかつたか』
云ふが早いか、その横丁から眼を嗔(いか)らした人が飛出してきて
『今家の犬がどうしたんですか』
と左官の顔を見乍ら、殴つたのは御前だらうと云はぬばかりの顔。
『俺が殴つたんでえ。あんなやくざ犬、おつ放して此の旦那困つてゐたぢやねえか』
『何つ!』
『何つ!て事があるけい。此の旦那名譽の傷痍軍人だぞ。あんな犬つないで置きやがれ』
既にあたりは七八人の人が取巻いてゐるので、件の叔父さんも云ふ事も無く、眞赤な顔をしてゐると、盲導犬を曳いた人は
『どうも済みません。手前が不自由で犬に連れられてゐるものですから……』
『いえ、どうも恐れ入ります。とんだ御迷惑かけました』
逃れる様に去り行く後姿を見乍ら小氣味よい様な、それでゐて或る種の感動を押へる事が出來なかつた。
『ぢや旦那御大事に……』
『あゝどうも有難う』

 

上之薗章『盲導犬の黎明(昭和14年)』より


現在は子供でも盲導犬の存在を知っていますし、犬を放し飼いする人も少ないですから、上記のようなトラブルは減っている筈です。ただし、「誘導中の盲導犬には触れないでください」などと盲導犬支援団体が呼び掛けている様に、盲導犬に対する理解は不充分なのかもしれません(頑張って働いている盲導犬を励ますつもりで撫でてしまう人も中にはいるのでしょう。しかし、見知らぬ者からベタベタ触られるのは仕事中の盲導犬にとって迷惑なのだとか)。
法律が整備された現代でもこうですから、暗中模索の中で盲導犬の運用を開始した当時の関係者は、想像できないほどの苦労を重ねたのでしょう。

 

世間では、盲導犬と云へばすぐ役に立つて外出でも出來るやうになる思つてゐるやうですが、街頭に出られる迄には並大抵ではありません。今のところ、犬を入れて、勇士と起居を共にさせ、親愛を計つてゐる程度なのです。精しいことは、軍の機密になつてゐて話せませんが、新聞に報道されてから、二人の人に毎日多數の手紙が來ます。勿論、激励や感謝の手紙です。これを見ても、一般の人達の盲導犬に對する信頼が分つて、ますます完成に努力しなければならないと思つてゐます(蟻川定俊『盲導犬實役に就く(昭和14年)』より

 

『こいつを連れて何處へでも行けると良いんだがなあ。せめて電車にでも乗れたら……』
ぶらつき好きなSまでがしんみりとした事を云ふ。
『それは熱望してゐる事ですが、日本の總ての方面の同情と援助とを得ねば實行は六ケしいでせう。先づ交通機關の總てに犬を連れ込めるやうにしなければ、折角の訓練も唯限られたコースにだけしか利用出來ないのです』
『そして犬を放飼ひにしない事も絶對に必要でせう』
自分は先の表参道での事件を思ひ出してかう云つて見た。
『それは切實に感ずる事ですが、私共の立場から、そんな事まで押し強く主張出來ないのです。實は道でうるさい犬に吠え付かれると、眼が見えぬ悲しさ、動く事も出來ず困却し切つてしまふのです』
『是はどうしても強く世間の同情に訴へねばならない話ですね』
『眼の開いた人だと、向ふに土佐犬が寝そべつて居るから此の横丁に避けやうと云ふ事も出來るが、我々盲人にはそれが出來ないので、餘計他の犬にぶつつかる機會が多いのです。日本人にしてもさうですが、日本の野良犬は特に喧嘩早いので困ります。
此の點からしても、盲導犬は外國ならいざ知らず、日本では牡犬は特に喧嘩を賣られ易いと思ふのです』

 

上之薗章『盲導犬の黎明』より

 

我國の生活様式に則應した誘導犬として實際用役に使用する爲めには、相當の時日と努力を要するであらう。且つ之等の四頭を基礎犬として、將來この作業分野を開拓して行く爲めには幾多荊棘の路を歩まねばならないであらう。

その先覚者の苦難は大きいであらうが我々は飽くまでこの目的を遂行するために努力せねばならない。斯くする事はシエパード犬愛好家の喜びであると共に社會的に課せられた重要使命である(蟻川定俊、昭和14年)

 

「相當の時日と努力を要するであらう」「幾多荊棘の路を歩まねばならないであらう」という蟻川さんの予測は、後日悪い形で的中してしまいます。

【盲導犬論争の始まり】

ボドとリタの親和訓練が開始された直後の8月20日、讀賣新聞夕刊に掲載された記事に関係者は愕然としました。
そこには、「日本に盲導犬は不要」との主張が展開されていたのです。更にショックだったのは、盲導犬不要を主張しているのが他ならぬ視覚障害者福祉の専門家という事でした。
本来、この事業を推進・報道すべき立場の彼らは、盲導犬普及の芽を潰しにかかったのです。

 

盲導犬・日本人には不適當 / 座敷に不向きな上經費が莫大にかゝる / むしろ妻帯が第一 
・澤田氏の發表
祖國に光明を捧げた失明勇士の手とも、足ともならうといふ盲導犬が果してわが勇士たちに適すかどうか…。薄幸な失明者更正教育観察のためアメリカ・ボストンのパーキンス盲學院で約一年間光明學を研究して去年末歸朝した東京盲學校教授澤田慶治氏(三九)は光明教育に注いだ眞摯な研究から、『盲導犬は現在のところわが國に絶對不適當です』とわが國情と生活状態を無視していたづらに鵜呑みする外國模倣の非を警告してゐる。

同氏は今厚生省、傷民保護院そのほか救盲諸團體の依嘱をうけて、尊い經驗と研究の成果につき講演や座談會などを行つてゐるが、その都度“盲導犬不適當”の點にも言及してをり、早くからわが國に入つてきた盲導犬やセント・ダンスタンス式盲人集團生活等の可否について獨自の研究を發表してセンセーシヨンを起こしてゐる。
澤田氏の意見によると、犬は日本座敷に不向だから失明者の常住座敷に付添ふのに不適當なうへ、訓練の至難と相俟つてその經費は莫大なものとなる。アメリカでは富福な財政を得て、この飼育費にあてられてゐるから經濟的にも成立してゐるが、根本的な經濟状態が違ふわが國では極めて困難である等々、盲導犬の不適當な點を指摘し、むしろ失明者は直ちによき半身を得よと妻帶を强調してゐる。
以下小石川の自邸で熱心に語る氏の盲導犬不適當論である。
『大きな犬を必要とする盲導犬は日本家屋に不向きなことは看過出來ません。また四、五歳位からでないと使ひものにならないので、その寿命も至つて短いのです。そのうへ高價な犬ですから、さうたやすく買ふことは出來ないでせう。勇士達には極力妻帶をすゝめてゐます。
盲導犬に代るもの、これこそ躍進日本が創り上げなければならないものだと思つています』

男尊女卑の時代ゆえ「配偶者を白杖がわりにしろ」という暴論も全国紙で報道できたのでしょう。

陸軍病院側に取材すらしない、あまりにも一方的なこの報道に対するJSV側の回答は下記のようなものでした。

 

戰盲の方々が如何にも御氣毒であるのと、陸軍軍醫局長から我が會長(※皇族出身の筑波藤麿JSV会長のこと)に盲導犬研究の御依頼があつたので、中々困難の多い事業とは思ひますが、實地研究に着手したのです。遣れる所迄ベストを盡してやつて見る積りです。それが戰盲勇士に對する私共のせめてもの感謝の表示であり、同時に局長閣下(陸軍省小泉医務局長)並に會長閣下に對する銃後國民としての、又會員としての業務であると考へて居ます(昭和14年)

 

事態の紛糾を避ける為か、沈黙を守る陸軍省およびJSVとは違い、舛田准尉・平田軍曹の両名は讀賣新聞記事に対して真っ向から反論します。

ボド2
障害物回避訓練中の桝田准尉とボド(『戰盲勇士の誘導犬記』より)

 

誘導犬ヲ持ツ事ハ、盲人ノ生活ヲヨリ明ルクスル。此ノ一言ニ盡キルノデアルガ
(中略)
以上ノ體驗ト將來ノ確信トヲ以テ、過日、東京盲學校澤田教諭ノ指摘サレタ誘導犬ノ缺點ナルモノニ對シ一言シテ見ヨウ。


・「わが国情と生活状態を無視していたづらに鵜呑みする外国模倣の非」に対しての反論

西洋の儘を踏襲する事無く、日本の建物様式及び食物に馴れる如く日本獨自の研究と習慣とを付ければ、不可能なる業に非ざるものと認む(舛田准尉)

 

氏は我が國に於て盲人が犬を使役する事は外國の模倣であるとした。恐らく自國の文化の向上の爲めには、其の國獨特のもののみではいけないであらう。短を省き、長は廣く海外に求めて各分野に於ける進歩、向上を圖らなければならない。諸外國に於て犬を盲人誘導に使役してヰる事は實役に大いに役立つからであつて、彼等は不利である事は絶對に行はない筈である(平田軍曹)

 

・「大きな犬を必要とする盲導犬は日本家屋に不向きなこと」に対しての反論

犬を座敷に上げ得る家庭には差程變化はなきも、然らざる家庭に於いては犬舎或は玄關に於て飼育し、誘導に如何なる結果を來すや大いに研究したきものなり。犬舎か或は一號室(※両氏の病室名)前の物置を利用して別居し研究すれば如何(舛田准尉)

 

外國に生まれた犬は幼い時から其國の生活様式に添つて育つて居るのであるから、我國に生れた犬は我ケ國の生活様式に合致する様訓練すれば何等不便を感じないのである。仮に夜間犬舎へ入れて置いても、誘導作業に支障を來す心配はない。要するに犬は教育次第で何うにでも仕上げられる事を知らねばならない(平田軍曹)


・「勇士達には極力妻帶をすゝめてゐます」に対しての反論

東京盲學校教諭澤田氏が盲導犬に言及し、盲導犬と配偶者を同一視したる様書きあるも、盲導犬が配偶者の代用になるものに非ざるは、言ふ事の愚を明かにしたるものなり。
(中略)
盲導犬は盲人を職場其の他に誘導するのみならず、其の飼育に處りて盲人の保健を保たしめ明朗なる氣持ちを起こさしる等其の副目的絶大なり(舛田准尉)

 

犬を配偶者の對象にする等笑止千萬と云はねばならない。人は配偶者を持つ可き事必然の事である。盲人で誘導犬を持つ事は外に於ける補助伴侶とする爲である。或人は犬を持たなくても、獨歩しても好からうと言ふかも知れない。又人に手を曳かれれば好いではないかと言ふであらう。然し恐らく盲人として獨立、自由、解放を希望せぬ者は絶無であらう。

仮に一人の盲人で杖を頼りに覺束ない足取りで不安氣に歩行する所へ誘導犬に導かれた盲人が颯爽と闊歩して行く所を第三者が見たならば、見た目丈でさへ格段の相違がある。況んや兩者盲人の心境の相違は正眼者の決して察する事の出來ない大なるものである。又、人に手を曳かれるとしたならば盲人一人一人の爲に餘計な人が一人無駄となる事がある。此の意味からすれば盲導犬は人的資源の補ひともなるのである(平田軍曹)

 

・「高価な犬ですから、さうたやすく買ふことは出来ない」に対しての反論

 

犬を購入するに多額の金を要する如く言ひあるも、日本に在るシエパード犬に此の種の訓練を行へば容易に手に入るゝ事亦可能なり(舛田准尉)

 

價格に就いてであるが、誘導犬は一々海外かに仰ぐから高價となるのであつて、内國産のシエパード犬を訓練し使役するなれば比較的安價である事は當事者が言明して居る所である。將來もつともつと廣く犬を實役に使用するならば、犬に對する一般の認識も深くなり、從つて増殖も計られ、勢ひ値段も安くなるであらう(平田軍曹)

 

・「四、五歳位からでないと使ひものにならない」に対しての反論

犬の使用し得る聲明を四歳より八歳迄と書ありしも、二歳より八歳乃至十歳迄は適應なりと聞く。ボドはニ歳にして既に盲導犬に訓練され余の使用する所なり(舛田准尉)

 

・「或ル盲人団体ガ、盲人ガ誘導犬ヲ持ツ事ハ盲人ノ地位ヲ犬ニ迄低下セシムルモノデアル」と発言した事に就いての反論

之は謬見も甚しい。神聖なる仕事を犬に與へたに過ぎないのである。先進國では誘導犬を公僕と呼んで居る。誘導犬シエパード從従順性に富み、主人への思ひ遣りが實に深く、忠僕の御手本とも言へる。
(中略)
もつともつと廣く大きく物を考へて貰い度ひものである(平田軍曹)

 

以上ヲ以テ澤田氏ノ指摘サレタ點ハ自ラ解消スルモノ思フ。要スルニ言葉ノ人デナク、實行ノ人デアレバ良イノダ。新分野ノ開拓スル時ハ批評モアラウ。批判モサレ様。眞ノ滿場一致ノ議決ハ恐ラクハ何處ニモ無イデアロウ(平田軍曹)

 

rita2
『戰盲勇士の誘導犬記』より、階段をのぼる平田軍曹とリタ。

 

兩氏が誘導犬と共に生活する様になつてからの心境の變化、そして犬に對する氣持ちの動き等は、その手記に依つて明かな如く、如何なる犬嫌ひも涙無しには讀めぬであらう。そしてこの事實が誘導犬反對論者への最も雄弁な抗議であらう(蟻川定俊)

 

彼らの叫びは、残念ながら盲導犬無用論者達の耳には届きませんでした。これ以降も各方面からの誹謗中傷は続きます。
陸軍、畜犬団体、福祉団体、マスコミの内部では、それぞれ盲導犬推進論と無用論が存在していましたから、それは仕方の無い事でした。関係者は、ここで不毛な論争に陥るより、盲導犬の能力を実証してみせる方が効果的であるとの賢明な判断を下します。
……黙ってばかりいるのも癪だったのか、何人かは反撃を試みていましたが。

 

誘導犬の仕事も漸くその緒に就いた。世上論を爲す者もあるが、この結果はやがて時が解決してくれるであらう事を信じて、一層各位の御支援を仰ぎたい。事の成否は度外視しても、日本に於ける最初の誘導犬同伴者である舛田、平田両失明勇士が、犬と共に生活する喜びを御理解下さつた事だけでも、希望と責務感が壮然と湧いて來る。何れ機會を得て両勇士の誘導犬に對する感想文なり、日誌なりを拝借して諸兄に御目にかける時もあらう。
8月29日 蟻川生

 

私は盲導犬に對しては僅かの書物の上の智識だけで、實際上の經驗は少しも持つてゐない。先年ゴルドン氏が來朝した時に、犬(※盲導犬オルティ號)を人と同じ車室に連れて汽車に乗りたいと云ふ申出があつたので、當時東京鐵道局運輸部長であつた私は、職務上一應犬を見る必要があつたので、同氏に乞ふて、オルテイの指導振りを見せて貰つたのが、今日までの私の唯一の機會である。
けれども、昨年八月廿日の讀賣新聞夕刊に掲載された東京盲唖學校教授澤田慶治氏の盲導犬反對論に對しては、可なりな侮蔑と忿懣とを感じて居た物である。今茲に澤田氏の所説を爆撃する餘白は持たないが、日本人の中には、他人の新らしい計畫に、殆んど何も知らないくせに、稍もすればケチを附けたがる惡い癖を持つた人がゐる。生活様式を始め色々の點で歐米と事情の異なつた我國に於ける盲導犬の實用化に幾多の困難が前途に横るであらう。けれども困難は決意と努力に依れば克服不可能のものばかりでもあるまい。

澤田氏所説の如く、適當な娘を持つ人は、護國の大任を果して不幸失明した勇士に、良い嫁を上げて下さい。犬界人の盲導犬研究は更にそれに加へて、犬を以て少しでも勇士の日常生活の不自由を除去したいと希ふ心の發露ならば、何處に排撃されるべき點があらうか。

 

吉川記(昭和14年)

 

あと、日本福祉界の名誉の為に書いておきますと、(当り前ですが)盲導犬事業については澤田教授とは反対の立場でした。陸軍・福祉界・畜犬界の間を取り持った原泰一氏のような人物がいたからこそ、盲導犬輸入は実現したのです。

 

我が協會が曩(さき)に盲導犬のことを提唱してから、最もその事に關心を有ち、我が國に於ても盲導犬を育成して、之を役立たせ度いと熱心に考へられたのは、當時の陸軍省醫務局長小泉中將と東京第一陸軍病院長三木中將とであつた。そして最近に軍當局の斡旋と日本シエパード犬協會の努力によつて、訓練された盲導犬が獨逸より輸入せられたのである。

恐らく之は不幸な失明に遭遇せる傷痍軍人に、その不自由を克服するに適當なるものがあれば、何物にても之を與へ度いと云ふ、軍當局の深い仁愛のあらはれの一つであると推せられる。盲導犬のことが問題に上るや、之に對して各方面より賛成の意見とそれを促進する希望が尠くなかつたと同時に、之に對する議論もまたあつた。
盲導犬は日本の家庭には不適當である、之を飼ふことは經濟的に困難である。之を家庭の一員として遇し、殊に常住臥主人の座右に侍せしむることは人間の地位を犬畜生に迄堕落せしむることで誠に怪しからぬことである等等であつた。
蓋し、それは獨逸盲導犬學校長リーゼ氏が失明軍人に失はれたる自由と獨立を回復せしむる念願を以て始めて盲導犬の事業を起したとき、周囲より頑強に且つ執拗に反對せられた事由と畧(ほぼ)同様である。然し乍ら、盲導犬は其の躾けによつて用便は必ず外部にて之をなして室内に於ては定められたるところ以外には決して之をしない。室内に這入るときは必ず足を拭いてあがる。食物は自分に與へられたものゝ以外は決して喰べぬ。そしてそれは一日一回に限られて居つて其の食糧の如きも必ず肉類を必要としない。若し主人の家族があれば、その殘物を以て裕々一匹の盲導犬を養ふことが出來る。従つて經濟的にさして高價なものではない。
盲導犬はその主人に對して忠實なる奴僕である。それは到底人間には見る事の出来ぬ程絶対的な忠實さであるのみならず、主人の危険に對しては、身を以て强く之を護る、勇敢なる騎士である。主人危險なりと知る場合は主命と雖も頑强に之を拒み又强く賢く主人を輔導するのである。

 

中央盲人福祉協会常務理事 原泰一(昭和14年)

 

現代日本でも盲導犬への批判は少なくありません。ご大層な議論の前に、現状へ至る試行錯誤や関係者の苦闘を調べては如何でしょうか。


(第九部へ続く)