山田「おい、小林、到頭帰つて來たぞ。見ろ……懐しい門司の港だ」
小林(呟くやうに)「門司か…… もう港にはいつてゐるのか……」
山田(気がついて)「あ、さうか…… 君は眼が見えないんだなア。見せてやりたいなア、この景色を……。どうだ、あの山の色は……」
小林(夢見るやうに)「あゝ……山…… 内地の山…… 今は、新緑の時分だねえ」
山田「さうだ。一面に眼の覚めるやうな若葉だ。その下で、屋根の瓦が光つてゐる……」
小林「さうか…… 瓦が光つてゐるか…… 天氣がいゝのだなア……」

(短い間)
小林上等兵は、手榴弾で眼をやられたのでした。
プラツトホームを走る下駄の音……
笑ひながら行く、女の話声……
窓を掠めては消える、踏切の電鈴……
かうして客車の内部で、ヂツと眼を閉ぢてゐても、平和に、変らない内地の音が、疼くやうに懐しく、心に響きます……
田中「どうしたんだ、小林。いやに鬱いでいるぢやないか」
小林(憂鬱に)「ウン……、俺は、馬鹿だつた……こんな身体でおめ〃と、帰つて來るんぢやなかつた……」
田中(快活に)「またそんなことを考へてるんか……元氣を出せつたら。なア、小林、……日本の陸軍病院といへば、軍陣醫學にかけては、世界一だぜ。自分らの傷は、もう癒つたも同然さ」
小林「さうか……でも、この汽車の震動だけは、少々、眼にこたへるなア……」
田中「それはいかんネ……少し横になつたらどうだ」
小林「有難う……なアに、大したことはないよ」
列車は、五月の薫風を截つて、一路東京へ……東京へ……


帝國ノ犬達-盲導犬

軍人援護會兵庫縣支部作 紙芝居『盲導犬』より 昭和19年

 

№7【盲導犬輸入計画】

 

三木中将からの依頼により、原専務理事は関係団体による意見交換の場を設ける事にしました。
昭和13年7月19日19時、戸山町の東京第一陸軍病院へ陸軍、福祉団体、畜犬団体関係者が招かれ、盲導犬座談会が開催されます。
この会合へ出席したのは、下記の面々でした。

中央盲人福祉協会(主催):原泰一専務理事、小山正野氏、大石孝氏
陸軍:東京第一陸軍病院長三木良英軍医中将、陸軍省恩賞課坂井武大佐、東京第一陸軍病院教官山縣静夫軍医少佐、軍医学校教官菊池武信大尉
東京盲学校:大河原欽吾教諭
帝国軍用犬協会:刈田尚志書記
日本シエパード犬協会:相馬安雄常務理事、蟻川定俊理事、十時建彦氏


まずは三木中将から参加者への挨拶と、会合の趣旨について説明がありました。

「實は先日原さんと失明患者のことについて色々話し合つたのであります。失明患者の教育に就きましては本院に於ても考へもし、又實際に行つても居りますが、個々の患者についてみますと、将校もあり兵もありといふ工合で身分も教養もちがひます。それでマツサージ、按摩の職業即ち盲學校の教育のみでは適切ではないのであります。どうしても個人々々に適した教育をし、相當な人は盲人であつても盲人でない人間に作り上げたいと思ひました。それには盲導犬をあてがつて、一人でも獨立した人間にするのも一つの方法ではないか、そして若し出來るならば病院にゐる時から盲導犬を與へる様な事にしたいと考へまして、盲導犬について研究をするお世話を原さんにお願ひしたのであります。さういふわけで、今日お集まりいたゞきました方々にお願ひして下さつた原さんの御厚意を深く感謝いたします。盲導犬についてはゴルドン君の來ました時一度見たゞけでありまして、犬の訓練はどうすればよいか、又その訓練をどういふ方面にお願ひしたらよいものかもわかりません。さういふ意味で皆様のお智慧を拝借して今後の御盡力をお願ひしたいと存じます。初めてお集まり願ふ方々に對しまして病院へ呼びつけた様な工合で誠に恐縮に存じます。實はどこか外でといふお話もありましたが、私共は勤務中の身でありますので、病院でお願ひしたいと御無理を願つたのであります」

続いて原氏より挨拶。

「只今院長閣下からお話いたゞきましたので、今日お集まりいたゞく様になりました次第は御承知いたゞいた事と存じます。私共盲人の仕事に関係して居りますものと致しましては、失明軍人を失望から救ひ出して、例へ眼を失ふとも尚生きる界があるといふ希望をもつて貰ふ様にしたいと考へておりました。病院に於かれましても、院長閣下の御熱心な御指導の下に、作業治療といふ進歩的なことを致されまして、患者の治療と同時に精神的更生をはかられ、私共も及ばずながらお手傳を致して参うたのであります。院長閣下に於かれまして、失明者を失明者としてでなく、普通の人間として作り上げたいとお考へになつてゐますことを前々からうかゞひまして、非常に愉快に存じておりました。そして院長閣下のお考へにお力添をして、銃後國民として出來るだけの事をして行きたいと考へてゐたのであります。今春ゴルドン君が日本に來ました時にも、ゴルドン君を病院へ案内しまして、院長閣下にも御覧いたゞいたり致しました関係もありまして、御相談をうけましたので、私の方から帝國軍用犬協會並に日本シエパード犬協會の方々にお願ひをして、日本で盲導犬事業をやつて行くにはどうすればよいかをお伺ひしたいといふわけでお繰合せいたゞいた次第であります。

ゴルドン君の参ります前にも、私共の方で獨逸其他の盲導犬の事業について調べましたり、雑誌に發表したりもして参りましたが、當時、犬を使ふことは日本の家族制度との調和がむづかしいといふやうなことや、犬の値段も相當なものである上に、飼育の費用も相當かゝるから、盲人はその負担に堪えられないだらうといふやうな御注意を二三の方方からうかゞひました。それにつきましてはこの盲導犬事業に對する理解が充分でないので、頭から無理だときめてかゝつてゐるところがある様に考へられます。尚一つの反對意見としましては、獨逸で初めてこの事業をやつた時に反對があつたのと同じ様なものがあります。それは人が犬と一緒に生活することは、人間の地位を犬と同じに下げることになるといふ意見であります。尚又、日本は貧乏でその上人間が多いから、犬に多くのお金をかけるよりも、人の方がよいといふやうな意見もあります。この点に就て獨逸の盲導犬學校長リーゼ氏が弁明して居るのによりますと、盲人の手引としていつも変らぬ忠實な手引となることは人にはむづかしい。お互に氣まづいことがあつたり、不愉快なことが起る場合がある。従つて手引をされる盲人の側からいつても、氣兼や遠慮がある。然るに犬は誠に忠實であつて、常に主人の命令を待機して主人を守つて居る。それ故之を使ふ盲人も氣兼ねなし、また安心して自分の一身を犬の守護に委ねることが出來る。犬によつてほんとうに不自由人から離れた生活をしてゐるといふ感じが得られると云ふことを書いてゐました。
私共から考へますと、この盲導犬事業が欧米の各國で行はれて居りまして、殊に獨逸の如きは、盲導犬として使役されてゐる犬の数が五千頭近くもあるのをみますと、我邦に於きましても必ずしも不可能ではないと思ふのでありますが、その点について帝國軍用犬協會並に日本シエパード犬協會の専門の方々のお考をお伺ひ致したいと存じます。今日のお話の結果が或は日本ではむづかしいといふことになるかもしれませんが、今日の研究が将來盲導犬事業の行はれる一つの段階となるかもしれないと思ふのであります」

 

これに対し、JSVの相馬理事からは下記のような意見が出されています。

「實はゴルドン君の参ります前から、今度の戰争で失明者が多いといふことを聞き、犬の研究が是非必要だらうと思ひまして研究を致しました。初めは我々の手で出來るだらうと簡単に考へて始めましたが、實際に研究してみますと、なか〃むづかしくてすぐに出來さうにもありませんので、獨逸のシエパード犬協會へ手紙を出しまして文献を頼んでやりました。ところが獨逸の協會では人の生命をあづかる犬を作る重要な仕事であるから、信用のある會があつかはねばならぬ、リーゼ氏へ云つてやつたからその方から回答があるだらうといふ返事が來ました。
そして間もなくリーゼ氏から手紙が参りまして、日本で盲導犬事業をやるのは團體でやるのか、或は國家がやるのか、團體でやるとしても國家的支援があれば結構であるが、単に團體でやることはよくない。欧洲の各國でもやつてゐるが、犬の團體でやつた場合には失敗してゐるのが多い。それに反して國家が失明軍人のためにやつたのは全部が成功してゐる。日本でも國家的支援があつてやるといふのなら、半年位自分が行つてもよいといふ意味の手紙が参りました。そして獨逸シエパード犬協會の會長からは、訓練した犬を一匹位持つてゐなければならぬと云つて來ましたので、私のところで買はうかと思ひましたが、輸入が出來ないのでそれも出來ませんでした。軍部の方でこの事業を必要だとお考へになれば、我々としては出來るだけのお手傳を致したいと存じます。然し我々民間のものだけではむづかしいと存じます。
軍用犬についてみましても、シエパードが軍用犬に適するといはれる様になつてから十數年になりますが、軍用犬は實際に役に立つところまではまだ行つて居りません。今度の戰争でも功罪相半ばで、あまり成績が上らないといふことを聞いております。その理由は軍部に本腰になつて犬を使ふ人がないからと思ひます。アマチユアでありますと、犬の基礎訓練を致しましても其後の訓練になりますと實際に戰の場合に使ふやうな訓練は、素人が機関銃や砲煙の中へ入つて行けないとかその他の事情のためにむづかしいのであります。
軍の方からこういふ訓練をこういふ風にやつて貰ひたいと云はれますと、その通りの犬を作ることは出來ます。また、精神力が無い、體力がないとおはれますと、蕃殖の方で希望の性質なり特徴はいつでも作り出せるのであります。
シエパード犬協會は實際は蕃殖協會でありまして、訓練といふ立場からは目標を授けられて居りません。軍で軍用犬なり盲導犬を必要だとお考へになれば、犬の好きな、そして犬の知識をもつて居り、語學の出來るといふ人を、一年でよいから一人獨逸へやつていたゞけるとよいと思ひます。素人ではかりに向ふへ行つても、國家の制度や施設を見せて貰ふことが出來ませんが國家から派遣された人ならさういふ便宜はいくらでも與へられると思ひます。そして日本の情勢に應じて、民間ではどこまでをどうすればよい、後は軍でどうするといふ方針が示されますと、我々民間で基礎訓練をしますにも有効にやつて行けると思ひます。十數年の歴史を有つ軍用犬の成績が上らないといふのは、つまり軍用犬のオーソリテイがないためでありまして、これは警察犬についても同じだと思ひます。最近警察犬のために相當の豫算が出されたといふやうな事が新聞に出てゐましたが、警察犬についは反對意見もある様でありますし、一度失敗して居りますから若し今度も失敗すると、警察犬は永久に駄目といふことになります。

犬は犬を好きでない人が考へられても動くものではないのであります。盲導犬についても今一、二頭を日本へ持つて來ても、後をどうするかといふ問題になりますと、どう訓練して行くかといふ方針や制度について知識もなければ力もないのであります。是非語學の出來る人を向ふへやつていたゞいて、向ふの事情を研究して、方針を定めて貰へば、後は我々でいくらでもやつて行けると思ひます」

以下、会議の遣り取りについて中央盲人福祉協会の「盲導犬座談会」から引用します。

 

 


帝國ノ犬達-病院
盲導犬輸入計画の中心となった、東京第一陸軍病院


「書いたものを見たり読んだりしたところでは、この仕事には犬を訓練するほかに、犬を使ふ盲人を訓練し、更に人と犬とを一緒に訓練するトレーナーを作ることが根本の様に思はれます。一番早くからこの仕事をやつてゐる獨逸以外では、いづれも獨逸又はスヰスから訓練者が來てやつてゐる様であります。相馬さんのお話のやうに日本でも誰か一人が向ふへ行つて、訓練者としての訓練を受けて帰つてくるか、または向ふから専門家を呼んで犬を訓練すると同時に訓練者を養成する必要がある様に思はれます」
相馬「然し、現在では人を向ふへやることも向ふから人を呼ぶこともむづかしい様ですね。獨逸でリーゼ氏が訓練をはじめた頃には、犬を仕上げる助手と犬とを連れて、失明軍人の病舎に寝起して、犬の好きな失明軍人に自ら接触してやつたといふことが出ておりますが、やはりその位の覚悟でやるやうな、そして犬の好きな人に訓練方法教へねばならぬと思ひます」
三木「患者に犬をやるとしても、犬を使ひこなす適當なものがあるかどうかといふことが第一の不安に考へてゐた點でありまして、第二の不安は訓練者が得られるかどうかといふことでありました。今いろ〃お話をうかゞひまして、現在の日本として、外國から専門の訓練者を呼ぶこともむづかしい。また人を派遣する事も簡単でないとしますと、今は盲導犬をやることが困難といふことになりますが、訓練者は必ずしも専門の外国人でなくても、日本人で日本式にやれるのぢやないかといふ気がしますがどんなものでせうか」
原「獨逸で始めました時には、軍用犬の訓練から工夫してやつたといふことですから、私共の素人考へでは日本でも日本の生活様式に合つた様にやれるのぢやないかといふ氣がします。かりに實際に盲導犬をやる場合のことゝして、日本の生活様式との調和はどうでせうか」
相馬「日本の家へ犬を入れる時は足を洗つてやればよいと思ひます。洗ふ習慣をつけますと、洗はないうちは決して上るものではありません。ゴルドン君が來ました時、試みに両親の家へ連れて行つて家中歩かせた上、食事や談話の間一緒にゐましたが、實に静かに待つてゐます。仏間だけは犬を入れないやうにと云ひますと、犬は云はれた様にちやんと外に待つてゐます。普通の犬には臭氣がありますが、ゴルドン君の犬はそれがなくて實にきれいであります。畳の上でも粗相をする様なことは絶體にありませんから、餘程犬の嫌な人の家でさへなければ不都合はないと思ひます。食事も一日一回きりですみます」
三木「食べ物は日本式にしないと永続性がありますまい」
原「犬を養ふのに金がかゝるから日本のやうな貧乏な國には不適當だといひますが、貧乏な獨逸で五千頭近くもゐるのですから貧乏は問題にならぬと思ひます。一體食事にはそんなに金のかゝるものでせうか」
相馬「金のかゝるのは初めの四ヶ月だけで、後はそんなにかゝるものではありません」
三木「主人より犬の方にうまいものを食べさせねばならぬ様では困りますから、食事は日本人の生活に適合する様にせねばなりませんね」
原「費用は一日にどの位なものですか」
相馬「一匹だけなら五人も家族があれば、家族の残飯で結構間に合ひます。一週にニ回位生肉をやります。今胚芽米が問題になつてゐますが、私は犬を飼ふために、昔から胚芽米を食べて居ります」
原「犬の値段はどの位ですか」
相馬「アメリカでは盲人は百五十弗で犬を買ふことが出來る様です。然し實際はもつとかゝるのですが、金持が金を出して盲人の便宜を圖つてゐる譯です。獨逸では國家で試験して、その成績に合格した盲人にはたゞで犬を呉れて國家が費用を拂つてゐます」
三木「陸軍では目の見えない人には義眼をやり、手足の悪い人には義手義足をやつて、こわれたら一生之を補足してやつてゐるのですから、犬によつて便宜が得られるといふのなら、それと同じ様に例へ金がかゝるとしても犬を得られるやうにしてやるのが當然だと思ひます」
相馬「金の方が出來ても軍部の方で本腰にやられるなら兎に角、團體に任せることになりますとくはれてしまひます。つまり成績が上がらないうちに資金がなくなるといふ結果になります。軍用犬の方にしましても、訓練者はあつても非常に薄給なために、そのことにかゝり切つて居られないといふ状態であります。相當の手當を出して生活を保證して、打ち込んで犬の訓練をやれるやうにする必要があります。また相當の人がやる様にならぬと駄目だと思ひます。何でも、軍の方では犬にかゝつてゐると出世がおそいと聞きました」
坂井「軍の方では転任があるから一人が長くやつて居られないといふ事情もあります」
大河原「盲導犬にはシエパード以外はいけませんか」
相馬「外の種類もやつてゐますが、盲導犬としては或程度體が大きくなければならぬので、シエパードが第一とされてゐます」
大河原「犬には戸籍がありますか」
相馬「あります。それで註文通りの性質の犬をいくらでも拵へることが出來ます。そして最初の豫備訓練は我々の手で出來ます」
原「それ以上は専門の訓練者がやるわけですね。盲導犬として役に立つのは生後二年位からだと聞いてゐますが、それ位の犬で日本ではどれ位ですか」
相馬「大體三十圓から百圓位です」
三木「人を向ふ(ドイツ)へやつてそれから犬を訓練するといふことになるとなか〃ですね」
坂井「大へんいゝことではありますが、折角犬を貰つても夫々家へ帰つて二、三年で野犬にしてしまふやうでも困りますね。満洲事變の時にも足の不自由なものにリヤーカーをやりましたが、終には子供のおもちやになつてしまつた様な例がありました」
相馬「然し犬によつて不自由を克服出來たら犬が尊くなるでせう」
原「人間だと自分の思ふ通りにはなか〃して呉ない。自分の妻子でもさうですから、まして他人にはいろ〃氣兼がありますが、犬は忠實ですから重宝でせう」
相馬「ゴルドン君が來た時、上野の山へ上つて貰つて、それを十六ミリに撮りました。その時丁度日本の盲人が子供に手を引かれて來ましたが、ゴルドン君の方は犬を連てさつそうとしてゐるのに反して、日本の盲人は實に遅々としてゐました。いゝ對象だと思ひました」
原「陸軍省の及川大佐が獨逸でジーメンスへ行かれた時に、仕事をしてゐる盲の主人の側で静かに待つてゐた犬が、お昼のサイレンがなるや否やさつと立ち上つて、食堂へ案内して行くのを見て感心したと云つておられました」
坂井「宮城道雄さんが物を落としたやうな時、自分では見當がつかない。人もなか〃拾つて呉れないので、いら〃するといつてゐたことがあります。さういふ場合忠實な犬があると便利は便利でせうね」
相馬「ゴルドン君も人だと氣兼があるといつてゐました。犬は用のない時は休んでゐますが、いざ用という場合は、オルテイと呼ぶと、たつた一声でちやんとやつて來ます」
大河原「犬を紐でつないで引かせてゐるのがありますが、あの程度ではどうでせうか」
相馬「盲導犬は主人の一命を任せられてゐるのですから、その程度ではあぶなくていけません」
原「また主人のいひなりになる様な犬ではいけないのですね。つまり智的にすぐれてゐることが必要なわけですね」
相馬「ゴルドン君の犬を見て感心したことは、僅かなことですが、何かあると自分が障碍物の方へ廻つて、主人を安全な側につれて行きます」
原「現在日本で盲導犬をやるには犬の輸入が非常に困難でせうか」
坂井「軍用といふのだつたら輸入はできるでせう」
相馬「軍の證明さへあれば出來ると思ひます」
三木「然し軍では直接戰争に必要なものといふ考へだから或はむづかしいかもしれません」
原「軍病院で使はれるといふことなら、アメリカでも獨逸でも役立せて呉れるのではないでせうか。ゴルドン君が來ました時にも、向ふの校長のユスタス夫人が出來るだけの援助をしたいと呉々も云つてゐたと申しておりました」
三木「今の間に合はぬといふことになると、傷兵保護院あたりでやつて貰はねばならぬと思ひますが、今後の戰争といふ様な事を考へますと
是非やらねばならぬと思ひます。今晩直ちに成案を得ることは困難だと考へてゐましたが、お話をうかゞつて非常に努力がいるといふことがわかりました。何事でも新しく事を創めやうとする時には、困難があるのが當然でありますから、あせらず失敗せず、これで抛つてしまわずに研究して實行に移して行きたいと思ひます」
原「私もむづかしいからといつて見極めをつけてしまはずに、出來るだけの御盡力をお願ひいたしたいと思ひます」
三木「坂井さん、今晩のことは私の思ひつきです。醫務局長(※小泉親彦軍医中将)にはお話がしてあります。御同意でありましたからあなたにも御盡力をお願ひしたいと思ひます。皆様についても今後いろ〃とお骨折を願はねばならぬと思ひますが、どうかよろしくお願ひいたします」

日本盲導犬養成の根本方針について意見が交わされ、会合は22時に閉会となりますが、出席者は大きな手応えを感じていました。

「既に實現されるべき筈だつたものが未だ實現の機会に到達してゐなかつたのである。この機會が盲導犬運動の導火線となつて何等かの形に於て我が國盲導犬界に結實されば幸である。我々S犬愛好者は凡ゆる智識を傾倒して聖なるこの運動の助力者となり、盲導犬適種の養成に努力を捧げたいものである(JSV蟻川理事)」

この会合を境に、日本の盲導犬に関する理論的・机上的研究は、実用化へ向けて大きく前進する事となります。
オルティ号の来日は、(大袈裟に言えば)関係者にとって黒船来航に等しい衝撃を与え、激化していく戦争が“開国”を後押ししました。
犬の輸入を急ぐ陸軍省と、受け入れ態勢の整備が先決とする畜犬団体の間で意見の相違はありましたが、日本社会に盲導犬を普及させる絶好の機会が訪れたのです。

 

【座談会の後日談】

 

座談会の後、盲誘犬事業については陸軍とJSVを中心に進めて行く事となりました。また、国内には盲導犬訓練ノウハウが存在しない為、JSVは盲導犬先進国ドイツに選抜・訓練を依頼しています。
ゴードンさんの言葉に従い、アメリカのシーインング・アイに協力を仰ぐという選択肢もありました。しかし、3年後の対米開戦を考えるとそれを選ばずに正解だったのかもしれません。
「敵国の犬を陸軍が使うとは何事か!」なんて言い出す輩が必ず出てきたでしょうから。

ここで不可解なのが帝国軍用犬協会の対応です。通常であれば、陸軍としては親密な関係にあったKVに盲導犬事業を任せる筈ですよね。
しかし、小泉・三木軍医中将がドイツ側との交渉窓口に選んだのは、国際畜犬団体であるJSVでした。

 

KVに事業を担当する意志や能力が無かった訳ではありません。ドイツからの軍用犬輸入交渉経験もありますし、盲導犬についても予てから熱心に研究していました。前述のとおり、3月には坂本副会長もオルティ号の能力を自らの目で確かめています。
しかし、陸軍省では「国粋的体質のKVより、ドイツSVと特別契約関係にあるJSVの方が適任である」と判断したのでしょう。まあ、日頃からドイツSVを「日本人から金を巻き上げる守銭奴」、JSVを「ドイツ盲拝の非国民」と批判していた以上、KVが外されたのは自業自得とも言えます。

宿敵JSVに敗れた事が余程口惜しかったのか、KV内部では今迄の盛り上がりが嘘のように盲導犬の話題が途絶えてしまいました。
陸軍病院での盲導犬座談会に関するKVの発表は、たったこれだけ。

「中央盲人福祉協會では、盲導犬の實現性に関して七月十九日午後七時より陸軍第一病院に於て使役犬関係者を招いて協議したが、協会よりは刈田書記が出席した。尚ほ陸軍病院からは院長三木中将、陸軍省恩賞課よりは酒井中佐が臨席した(昭和13年)」

座談会の感想も、新事業参入への意気込みも一切ナシ。関係無いですけれど、坂井大佐の名前と階級も間違えています。
この挫折を乗り越え、KVが独自に研究を続けていれば、日本の盲導犬史は別の展開を見せたかもしれません。資金・設備・人材・登録犬を有するKVならば可能だった筈ですが、残念ながらそうはなりませんでした。
KVとJSVの抗争は、こんなところにも影響を及ぼしていたのですね。

7月19日の会合から暫く後、三木中将と山縣少佐から、JSVに対して戦盲軍人誘導犬に関する正式な研究着手依頼が通達されました。協力を承諾したJSVでは、国内初の試みという事もあって慎重に計画を進めたかった様です。

色々と準備を重ねながら半年が経過した頃、状況が一向に進捗しない(ように見える)事に痺れを切らした陸軍が介入を始めます。昭和14年末、陸軍省医務局長小泉親彦中将から「盲導犬輸入研究命令書」がJSVに渡されました。
要は“さっさと盲導犬を輸入しろ!”という督促状ですね。

 

慌てたJSVは、急遽ドイツ側との交渉に入ります。当時のドイツは使役犬の国外輸出を禁じていたのですが、粘り強い交渉の結果、ポツダム盲導犬学校の協力を得られる事となりました。

この辺の事情について、相馬黒光・安雄さん母子はこのような解説をされています。

「私に犬を愛することを教えてくれたのは安雄で、安雄はセパードの研究ではとうにアマチユアの域を脱していた。そしてこういう時局になると、早くから関心を持つていた盲導犬が實際に必要になつて、いよいよ研究を急いでいました。
というのは、事變以來戰傷で失明した兵隊さんが相當にある。新聞にはあまり發表されないけれど、そういう盲目になつた人達がこの先どうやつて生きて行くかということであつた。マツサージなどの稽古をして職業を得てやつて行くことは出來るとしても、手引きなしには歩かれないということが、どれ程自信を妨げるか知れない。それでドイツの盲導犬について調べると共に、これを買入れるに就いては時局下、軍の協力によるほかない。幸いに私の従兄の多田氏を通じて軍に希望を入れることが出來た。そして五頭の盲導犬の輸入が實現した。一體アメリカなどでは、政府がドイツから訓練した犬を買つて、盲人達に安く賣つてくれるのだそうで、日本もそうならなければいけないのだが、ドイツはもうその時分盲導犬を國外に出さなくなつていた。そういうわけで特に軍部の橋渡しを必要とした次第なのです(相馬黒光著「滴水録」より)」

「獨乙から本邦に輸入された、輸出禁止の盲導犬を、而かも四頭迄都合して呉れたのは、全くリーゼ少佐の友邦日本に對する特別の好意と、戰盲勇士に對する深い同情の結果であつた(相馬安雄)」

JSVからの働きかけにより(4頭なのか5頭なのかは不明ですが)、ポツダム盲導犬学校では戦盲軍人誘導犬の選抜と訓練を開始します。
日本に盲導犬を普及させる為にはいつまでもドイツに頼る訳にいかず、自国のみで訓練運用を行える体制造りが必要でした。ただ、後発国であった我が国には盲導犬の訓練マニュアルすら皆無の状態。前年に行われたゴードン氏の講演でも、訓練法については言及されていません(彼がオルティ号を訓練した訳ではないので、当然ではありますが)。この時点に於て、自力で運用ノウハウを開発する事は不可能でした。
そこで、相馬JSV理事がドイツSVのSchaeller氏に訓練教本の提供を要請した処、下記のような回答があったといいます

「アマチュア訓練士が、訓練書や単なる見聞を基礎に自己勝手に行ふ盲人誘導犬の訓練はこの運動の健全な発達を促進するよりも、寧ろ反對の結果を招來する(蟻川定俊『盲人誘導犬(Fuhrhund)の渡來に際して』より)」

結局、ドイツ側からは満足な訓練ノウハウの提供を受けられませんでした。その為、最初は選抜・訓練を受けた盲導犬をドイツから購入し、後から日本独自の訓練法を開発しようとした様です。
これと並行し、陸軍やJSVは日本での盲導犬受け入れ準備も進めていました。昭和13年8月頃、ヨーロッパの傷兵保護施策の視察から帰国した帝国傷病保護院の蒲中将が、海外盲導犬の運用状況を報告。
昭和14年1月6日、盲導犬購入者の一人であるJSV理事浅田甚右衛門氏が、東京第一陸軍病院で療養中の戦盲軍人達を自宅へ招待します。

「その日、中村軍醫中尉に引率された○○○名(検閲による伏字)は或は松葉杖に、或は戰友の肩に輝く武勲をその姿に物語りながら
浅田氏邸の裏庭へ設けられた会場へと到着した。Bodo.Horand.Buch.Zavel.の名犬軍もこの珍客に敬意を表して、一勢に『吠え』の敬禮、勇士も思はぬ歓迎に大喜び、浅田家一同の至れり尽くせりの慰問の數々に勇士一同大いに満足、午後三時散會した(『浅田理事の美學』より)」

これは、来るべき東京第一陸軍病院への盲導犬配備に備え、シェパードという犬について少しでも知って貰おうという試みだった様です。
盲導犬は勿論ですが、軍用犬にすら触れた事の無い軍人は数多くいました。法律や社会制度の整備は無理としても、やれるだけの事はやっておきたかったのでしょう。

日本側の受け入れ準備が進む中、盲導犬達はドイツで訓練を続けていました。

 

(第六部へ続く)