然らば如何なるものを優良犬と認め、如何なるものを駄犬と認むるかだ。之に付ては私は第一に種類の純不純に標準を置き度い。能力も第二の標準であるが、去勢に直面しては考慮を有する。

犬の能力には先天性能力と後天性能力とあるが、人爲的に練習訓練して始めて先天性能力が發揮する。又先天性能力によつて後天性能力が堂に入るのであるから、相當長期間經たなければ直に以て能力總體に對する評價は困難である。

殊に去勢は後天性能力の充分露はれざる生後一年以内に行はれるのが最も好いとしてあるからである。

 

私は何故種類の純粹に第一標準を置くかと云ふに、種類の純粹なるものに於て先天性能力を多分に享有するものと認め度い。何故ならば、數百年も數千年も前から先人が吾々人類が好む所必要なる用途に向つて改良に改良を加へて其目的に最も適應する如く能力なり體格なり性質なりを確實に子孫に遺傳する素質を享有せしめた犬だからである。

是等の點に付ては相當議論のある所であらう。

夫れは何れ他日に讓り、爰では漫然と優良犬と謂ふて置く。優良犬を殘して駄犬を淘汰し様と云ふのである。

 

斯の如く駄犬を淘汰することに依り、他の純粹種の血液の清淨を保持せしむると同時に、犬の經濟的價値を向上し、吾人の犬に對する嗜好心と動物愛を唆り、吾々人類の生活の好伴侶として彌々價値を認めしめ、人類犬族相互の相寄り相扶け合ふ關係を益々密接ならしむる所以であつて、犬族自體より云ふも自己の價値を人類が増して呉れる事は大なる幸福と云はんければならぬ。

即ち人類の犬族に對する動物愛護精神の眞髄であると思ふ。

 

生殖能力を失はしむる方法としては去勢、卵巣割去、輸卵管結索等種々のものがあるが、何れの方法が宜しいかは物と場合による事で、最も諸君の懸念さるゝ點は去勢の能力性質に及ぼす影響であらう。

是は又此の方面の専門家があつて研究して居るが、生殖腺を摘出しないで手術を行はれば犬の本能も滿足せしめ、而かも受胎をしないと云ふ最も良い方法である相である。此の方法を牝にも牡にも應用すれば宜しいのであるが、いろ〃の點からして直に實行し難いとならば、先以て牝のみ適用して見度い。

此方法は牡犬の去勢に比し遥に有効な方法であると思ふ。

 

警視廳獸醫課・柴内保次「狂犬病豫防と犬の飼養」より

此秋に當りて眼を轉じて國内の犬の増殖を視よ。吾東京府下に於て畜犬が四萬七千頭も居るが、内牝犬が少くも二萬を降らない。

此二萬頭の牝犬にして繁殖能力を有するもの一萬五千頭と假定すれば、一個年間に生産する仔犬は十五萬頭に達する。

十五萬頭の内半數の七萬五千頭は死亡し、二萬五千頭は畜犬となり、殘り五萬頭は所謂捨犬、無主犬となつて極めて悲慘なる生活を送るものである。

斯の如く一個年間に畜犬から五萬頭の野犬が生れるのである。之を一道三府四十一縣で幾何の野犬が生ずるか、蓋し思半ばに過ぐるものがあらう。

而かも之は畜犬からのみ産れる野犬數である。野犬より産れる野犬は此外である。

如何に尠く見積つても全國に殖へる野犬數は百萬頭を降らないと確信す。

俗に野犬は一人前の飯を喰うと云ふが、此の百萬頭の野犬の食糧は恰も一年間に増殖する日本の新國民の糧食に比敵するではないか。

此の意味からしても野犬の掃蕩は日本現下に於ける國家的大問題の解決の一端であると云ふに憚らない。

 

尤も野犬は野犬で相當の役にも立たう。私も野犬は全然經濟的無價値のものでない、或は他の利用厚生の方面(※皮革資源や実験動物の意味です)から見て相當有益である點は認めて居る。

然し乍ら夫れと是れとは自ら問題の性質が異り、相殺するには餘り隔け離れて居る。

野犬の掃蕩は何んでも無い様に考へられるが、實際は仲々難しいものである。

斯かる實際問題は單に机上の空論では不可幾多の苦い經驗を度重ねて始めて効果ある確實性を帶びたる方法が案出せらるゝのであつて、私共も常に此方面の研究を怠らぬ積りで居る。

先づ最も有効で而かも根本的なりと考へるのが犬の去勢又は卵巣摘出其他蕃殖不能に終らしめる方法である。之は是非とも強制的に一般的に實行せんければならない。

之を實行するに當つては、目的は駄犬の淘汰にあるを以て駄犬に之を適用し、優良犬は其儘繁殖用犬とし保存する。

 

警視廳獸醫課・柴内保次「狂犬病豫防と犬の飼養」より

皇道派の重鎮・荒木貞夫陸軍大将は、アサヒグラフの表紙に犬と戯れる写真が掲載されたり、春日大社に鹿追犬を寄贈したり、俳優犬シトー・フォン・ニシガハラを愛育したり、日本犬保存会に「和犬はやめてシエパードを飼おう」と神経を逆なでするような寄稿をしたりと、犬の世界にも関わっていました。

陸軍大臣時代の彼は、軍用犬の大量配備へ向けた「軍犬報国運動」に着手。日本シエパード倶楽部(NSC)を調達窓口にしようとするも抵抗されたため、帝国軍用犬協会(KV)の設立を支援します。さらにNSCとKVの合併を強要、戦後シェパード界にまで及ぶ対立を生んでしまいました。

ただし、積極的に歩み寄ってきたのはNSC側。陸軍という「シェパードの大手就職先」を確保するため、無邪気にも軍部を利用しようとしたのです。

 

帝國ノ犬達-シトー
「東日主催小國民大會々場にて講演された荒木文相が、同じく當日訓練實演の爲め上継訓練士に連れられて來た愛犬シトー號とバツタリ入口で對面した所(昭和14年)」

 

前から打合せてゐましたが、六月二十一日の晝過ぎのこと。陸軍省の田村少佐から電話がありました。

陸軍大臣が明日正午頃接見の御都合が出來るとのことでした。

用件は去三月の展覧會に授與されました陸軍大臣賞の御禮を申上げたり、來年の會まで官邸に大臣賞を御預り願つたりすることと、も一つは三上畫伯の軍犬圖を獻納することでした。

 

三上知治の軍用犬シュン號図

 

明日の時間が定まつたので、早速關係方面に電話をかけて萬端の準備をして終つた所へ、久邇宮家の田島御用掛から電話で、エド・フォン・コーベ號を連れて明日午前十一時頃参殿せよとの王殿下(※日本シエパード倶楽部名譽会員だった久邇宮朝融王)の御下命を傳えられました。

すぐに御引受けせなければならなかつたが、大臣と正午の約束があるので一寸困惑しました。

 

伊藤藤一氏の愛犬エド・フォン・コーベ


殿下に午後御外出の御豫定を御待ち願ふのは畏多いし、大臣は多忙を通り越して居られる方でありますし、それに先約といふわけでしたが、矢張り大臣に時間を變更して貰ふのがよいと獨り極めにして田村少佐に電話をかけたところ、大臣も午後二時頃で宜しいと言はれたとのことで、誠に時間の事が好都合に解決しました。

 

そこで大急ぎで仕度をしてメンバー田島庄太郎氏を同伴しまして御殿に伺候しました。メンバー田島氏は寫眞にかけては技術家もはだしで逃げるといはるゝほど堪能で、まことに妙技神に入るといつたアマチユアでありますから、其事が宮様のお耳に達して居りましたので、宮様の御許を得て御愛犬を撮させて戴くことになつてゐたのでありました。

 

一面に毛氈を敷きつめたやうな青庭でエド號の拙ない訓練など御臺覧に供してから、御愛犬バルドー號などを拝見させて頂き、種々御下問に奉答して正午退出いたしました。田島氏は一人居殘られて色々のポーズの寫眞を撮られましたそうであります。

私のエド號も王殿下にお供してゐるところを撮影させて戴く光榮を擔ひました。

 

久邇宮朝融王

久邇宮朝融王とバルド・フォン・コーベ

 

歸途陸軍省に待ち合せて居られた築山大尉、三上畫伯、南理事などと相携へて陸軍大臣をその官邸に訪れたのであります。陸軍省からは特に山田中佐、田村少佐が激務の寸暇を割かれまして御案内下さいました。

大臣は議會が閉會になりましたものゝまだなか〃忙しそうに見えられましたけれど、三上畫伯の軍犬圖や北村西望先生作のトロフヰーなどを鑑賞されました。南理事と私から大臣賞の御禮を申上げ、三上畫伯の御挨拶があつた後、築山大尉から軍用犬の保護奬勵につき一段の御援助を願ひたき旨を申上げました。

大臣は終始機嫌良く應答して下さいましたので、御忙しい中と知りながら、私のエド號を見て下さいと御願いたしまして中庭に待つてゐたのを官邸の表玄關に呼び入れました。

そこでシエパードに關する概略をお話いたしまして、一寸した訓練など御覧に入れました。大臣も大層興がてら居りましたから、是非シエパードフアンになられるやう御願して置きました。

近い將來にこの有力なるフアンを引入れることが出來ましたら、鬼に金棒だと思ひます。

餘り長く御邪魔するのも如何かと一同御暇を申上げて退出いたしましたのが午後三時過でありました。

 

日本シエパード倶楽部・伊藤藤一「六月のある一日」より
 

 

日本犬保存運動がはじまった昭和3年以降も、一般の認識は「日本犬といえば秋田犬か土佐闘犬」レベルでした。

なので、狂犬病対策を理由とする駄犬駆逐論は、まだ認知度が低かった地犬たちも対象としていたワケです。実際、野犬狩りや畜犬税取締りが実施されるたび地域の和犬たちが根こそぎ殺処分され、壊滅的な状況へ陥っていました。

都市部の闘犬だった秋田犬を除き、天然記念物指定された北海道犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬、越の犬、柴犬だけが生き延び、越の犬を除く生き残りが現代へ血脈をつなぎました。

 

駄犬駆除論が中央省庁の施策として、全国規模で実施されてしまったのが戦時中の畜犬献納運動。商工省の皮革統制と農林省の戦時食糧難対策が内務省・厚生省の狂犬病対策と統合され、戦時下のペットは皮革資源として殺戮されました。

それとは別に、今回は戦前の警視庁が唱えていた駄犬駆逐論を紹介します。犬を排斥する理由として掲げられたのは「狂犬病対策」「食糧確保問題」で、これは10年後の戦時体制下で八王子警察署長がぶち上げた畜犬撲滅論と同じ内容。まだ平和だった戦前の時点で、この手の主張が存在していたことに驚かされました。

 

 

私は三年前の春から狂犬病豫防と云ふ立場から愛犬家諸君の御諒解を得度いと存じまして、中央畜犬協會主催の畜犬品評會には毎度狂犬病豫防に關する統計やら宣傳ビラやらを配布して、其趣旨の徹底に努力して居る者であります。

毎號狂犬病豫防・畜犬取締方針に付ての御批判やら御忠告やらを多々頂きまして、寔に職務上好材料として埤益する所が多く、感謝に堪へません次第で御座います。

私も誠心誠意職務に忠實に從事する者でありまして、愛犬家諸君とは立場を異にする關係上、所謂意見の相異の點もありませうが、愛犬擁護精神の根本に至つては決して異なつて居らない積りで御座います。

所信の一端を述ぶるに當つて貴重なる本誌の餘白を割愛して頂いた華藏界氏(※畜犬共進会主宰者の華蔵界能智)の御好意に對し感謝の意を表します。

私個人の狂犬病豫防に對する意見の要領を申上げますならば、先づ第一に犬の絶對數を減らせよ。第二に純粹種を普及せよ。第三に放漫なる飼育を改めよと言ふのである。

 

一、犬の絶對數を減ぜよ

凡そ世界に人類が存在しないならば、人類を惱ます所の傳染病なるものが無い筈である。人類が存在すればこそ傳染病も發生するのであります。人が多ければ疾病も多く、人が少なければ疾病も少い。

唯人類の生活程度、文化程度の相違其他の要約の異なるに從つて量的差異を生ずることは申す迄もない事であるが、概括的に謂へば人類の數と傳染病患者とは正比例をなすものである。

犬族に於ても然りで、犬が少くなれば從つて狂犬病も少くなる。此原則に基いて、吾々は大に犬を減らせよと高唱する次第である。

 

然し乍ら、私は犬と謂ふ犬を無差別に之を減らせと主張するのではない。専ら不用犬を撲滅せよと云ふのであつて、畜犬(※ペット)は畜犬として飽くまで保護する趣旨である。此處で云ふ不用犬とは所謂野犬、又は畜主に於て飼養の意志のない仔犬其他の廢犬等を意味するのであります。

就中野犬に至りては一定の所有者なき故、飼養管理に關する注意方法を講ずることなく狂犬病の傳播に最も危險性を帶びるものであるから、狂犬病發生は畜犬より野犬に遥に多數發生する。又被害者の數も畜犬よりも野犬による方が非常に多いのであります。

從つて不用犬撲滅は獨り狂犬病豫防の見地から必要であるのみならず、大きく國家的社會的の見地から不用犬撲滅問題を觀るなれば、極めて渺たる如くで實は渺たる問題ではない。吾國情に照らして、決して等閑に附すべき問題でない。

此狭隘なる島國に於て七千萬の人口があつて、年々五百萬人宛も増殖して、當分は爲政者に於て解決の名案なき限り、今後幾年か此状態で進むか解らぬ。

人口・糧食問題は實に吾日本の癌である。大問題である自國生産の糧食に窮乏を告げ、國土豊ならず支出多端の折柄、毎年五、六百萬石以上の輸入米を仰いで居る事態ではないか。

 

警視廳獸醫課・柴内保次「狂犬病豫防と犬の飼養」より

會報に、毎號質問欄を設けられる事になつたことを知つて、僕は飛立つ様に喜んだ。

恐らく此れに依りて、教へらるゝ僕等素人達の埤益する處は甚大であるからである。

それは幾多の、畜類雜誌に此の欄を設けらるゝ處に依りて、此れを明に證明せられてゐるからである。

 

然るに、愈々その質疑應答が開始せられたのを讀みて、僕は少なからず落膽した。

それは餘りに恐しい、難しい事のみが書き連らねられてあるからであつた。

僕はあれば、素人を指導すべき質疑應答欄であるとは思へない。無論、有害だとも申し上げない。

只研究欄とでも改名したら何うかと思つたのである。

そして、もそつと、柔かな、小さな問題を易々と解し得られるゝ様、眞に初心者をリードすべきものたることを希望する者である。

 

最近、僕を訪問せられた遠來の一メンバーがあつた。その對話中に、僕は「此度はつまらない事をやつて、大失敗をしました……。ハア、それでたつた一頭より出産致しませんでした」と申し上げると、客人は「それでは、も一度交配させられるとよかつたのですね。私のは、三度も五度も交配して貰ひました」と申されたのを聞いて、僕は矢張り東京にもこんな馬鹿げた事を思つてゐる人があるのかと、痛嘆に堪えないものがあつた。

 

又、僕の犬友で、Hといいふドクトルがある。H君のビツチに私の愛犬を交配したことがある。

軈て、出産してからの話であつた。

H君曰く「此犬と此犬は貴方の仔で、これとこれは近所の何某のが、かゝつたのであると思ふ。これとこれは、何者の仔であるか解りません。何しろ、歸宅してからもよく色々の事があつたからね」との御話であつた。

 

僕はこれを聞いて、犬は最初の一回の交配に依りて百發百中妊娠するものであるが、萬一を恐れて二回交配する事を普通としてゐるのである。それ以上交配せしめる事は不必要でもあり、且その後に他犬と交配するも、それは用をなさぬものであることを説明しやうとしたが、何分、相手がドクトルでもあるし、又、機を見て話すこととして、其儘辭する事にした。

此れと同様に、此の遠來の客人の面目を保持する爲、此の説明を遠慮する事にした。

 

此れは、一例を擧げて見ただけであるが、多數メンバー諸君中には、此種の程度の疑惑と誤解は多數あるべきものと確信する者である。

幸ひ斯の如き、有益なる質問を一日も早く、利用せられん事を切望してやまないものである。

 

鳥木生「思ひ出づるまゝ」より

荒俣宏氏が終活で蔵書を手放した、というニュースに暗然となる今日この頃。あれほどのビブリオマニアであっても、結局そうなるのか。しかも半分は廃棄処分になったといいますし。

俺はどうしたらいいんだろう。

新刊は電子書籍で我慢するとして、紙の本は断捨離しなければ。と思って先ずは漫画が詰まった段ボールを開けたら『神聖モテモテ王国』の単行本が出てきて、ひとしきり笑った後にながらく行方不明になっていた『ひきだしにテラリウム』や『必殺山本るりこ』を発見。久し振りに再会した本を手放すなどとても無理ですから、一冊も捨てられないまま夜が明けました。

 

犬の資料なんか、個人的に貴重ではあっても他人にはゴミ同然に過ぎません。このブログで有象無象の記録を投稿し続けるのは「せめてネット上に放流しておけば、実物が失われてもデジタルのかたちで残るかも」という期待というか手詰まりの打開策というか。

しかし歴史の分野にもAI生成画像が大量に出回り、それも通用しなくなりつつあります。フェイク画像の素材になる危険もありますし、精巧すぎて真贋が判定できない。

かねてから軍艦や競走馬や刀剣の調査をする人は大変だろうなと思っていたのですが、いよいよ他人事ではなくなってきました。

最近は突如としてアクセス数が跳ね上がり、なにごとだ、炎上かサイバー攻撃か?と慌てて確認したら、何かのクローラーが底引き網でごっそり浚っていった跡だったり。

こんな過疎ブログ相手にそういうのは止めてほしい。

 

つまりはなるようにしかならないのです。

2025年1月には「15年間放置してきた日本シエパード史を今年こそ完成させるのだ」と意気込んでいたような記憶があるのですが、一年間を費やしてまだ日本シエパード倶樂部の時代(昭和3~8年)をウロウロしています。5年間しか存在しなかった団体の調査に何でこんなに時間がかかるのか。

このあと日本シエパード犬研究会、青島シェパードドッグ倶楽部、帝国軍用犬協会、日本シエパード犬協会、滿洲軍用犬協会、日本ケンネルクラブ、北海道シェパード犬協会の膨大な記録を整理して入力して投稿して、ゴールの昭和20年代に到達するのはいつの日か。

最初に感じたのは、顔の長い事であつた。尾もリングではなかつた。

胴體や四肢も自然的によく釣合つて見えた。

全體から云へば、もはや仔犬ではなく、成犬そのものゝ形を短縮したやうな仔犬であつた。

 

F氏は「これこそ全くシエパードの形をしてゐますね」と申して居られた。僕はシエパードの仔犬を見て、如何にF氏が素人であらうとも、「これではまったくシエパードの形をしてゐますね」とは、少しく滑稽に感ぜられて吹き出したくなつた。

素人の僕が御世話したのではなく、多年、専門の研究を續けて居られるN氏から送られたのに、そんな間違があらう筈はない筈である。

然し、僕は一寸考へ直して見た。

F氏が左様申されたのは、彼犬は全く仔犬にして、成犬の形をしてゐたからであらう。

 

これから數日を經て、N氏からの通信に先立ちM氏からの通信に依つて、此犬はM氏から送られたもので、母犬はM氏の御愛育中のもので、父犬はモボ・カウント號である事が解りました。

僕は、さすがにモボの仔であると肯定する處があつた。モボF氏にモボの仔を買はしむる事が、偶然にも幸ひであつた。

蓋し、そのモボの仔にも、問題の蹴爪があつた(※審査基準上、狼爪をどう扱うかは当時から問題化していました)。

 

鳥木生「思ひ出づるまゝ」より

「東京から発信される日本犬界史」がどうにもこうにも腑に落ちないのは、地方犬界や外地犬界や満州国犬界を平然と切り捨てる視野の狭さなのであって、決してワレワレ田舎者の僻み根性が理由ではないのであります。

永田町の国会図書館で調べたものは、ただの単なる「東京エリアの犬界史」に過ぎません。

戦前からペット界の情報発信は東京と大阪が中心で(関東大震災で国際港横濱もろとも関東犬界が壊滅した後、国際港神戸を有する関西犬界が台頭)、地方の声が届くのは猟犬界のみでした。昭和3年に日本シェパード倶楽部と日本犬保存会が発足した事で、地方在住の愛犬家たちが情報発信手段を得ることとなります。

そこに記された地方の実情や愛犬家の活動は、日本犬界史が地方犬界史の集成であることを再確認するうえでも貴重な記録なのです。

今回は、地方犬界から東京犬界へ向けた複雑な心情についての記録を。

 

 

日比谷公園で、人形と犬のパレードがあるといふ日の事であつた。今朝の模様では日比谷のパレードは、確に開催されるだらうとは朝食を食つてゐての僕達家族での評であつた。

然し、東京の催し物を、天候を見定めた上、その日に北越の地から出掛けやうとするには、飛行機でなくては到底不可能である。

 

僕は、今から十五、六年前に、飛行機に同乗して見た事がある。それから一昔以上もたつてゐる今日、日本に旅客空路の開かれたものが、僅に一路あるのみである。

思へば、日本の飛行界の不振には、慨嘆に堪えないものがある。

それを御承知の幹部連が、招待券を封じてこの催しの報導をして見えるのは、皮肉である。

然し、報導に接した僕は愉快であつた。

 

此の日の前夜、N氏から犬を送つたといふ恐しい長い文の電報が這入つた。餘りよく解りすぎるので、その犬を是非見に行かねばならぬ責任を、より以上に感動せしめられた。

何れ日比谷のパレードにも行けず、幸ひ日曜日であるし、子供と二人で仔犬を見に出掛ける事にした。

正午過ぎF氏の門を叩くと、横合の塀の中から、當のF氏が、今朝着いたばかりの仔犬を連れて「やあ!」と挨拶して出て見えたので、僕は挨拶そこ〃にして、まづ犬を拝見する事にした。

鳥木生「思ひ出づるまゝ」より

生年月日 不明

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣→香川縣

飼主 三木基安氏→加藤氏

 

日本シェパード倶楽部(NSC)の登録犬です。

 

昭和6年

 

三木氏のグラフ號は、今回高松市加藤氏へ讓られたとのこと。又同氏は最近獨逸より牝一頭輸入せられた由です(日本シェパード倶楽部・昭和7年)

 

生年月日 昭和4年1月9日ドイツ生れ
犬種 シェパード
性別 牡
地域 兵庫縣
飼主 森本元造氏→曾根武四郎氏

日本シェパード倶楽部登録犬。昭和6年に神戸の森本元造氏が輸入した、ケーテ・フォン・デニーケンネルスと交配されています。
http://ameblo.jp/wa500/entry-11895235250.html

犬
昭和8年の広告より

 

森本氏は今度エドツクス號を同地近藤久五郎氏に讓られ、新たに獨逸よりホルカー・フオン・ベルン號を輸入せられました。ホルカー號はウツヅの仔の内、特に秀でたものの一つだと、ドクトル・フンクの折紙がついて居ります(日本シェパード倶楽部・昭和7年)