-実際、人類の大半は愚かであることを考えると
多くの人間に支持される意見というものは
馬鹿げている可能性の方が高い-
バートランド・ラッセル
そのさまは藤子F不二雄氏の漫画「気楽に殺ろうよ」で、狂気の世界線に入り込んだ主人公のような気分だ。
そこにあるのは正義などではなくある種の熱狂と狂気性だけだ。明らかに罪に見合わない「報復」。
こういうものに対する民衆の怒りはそれそのものに対するものだけでなくルサンチマン、ストレス、過去の恨み等個々人が抱える日頃のやり場のない怒りも上乗せされる。そして矛先へのポータルが開くと対象目掛けて一気に開放する。
一度の過ち、一度チョンボしたからと言ってこれらを多くの人からまとめて一身に叩き込まれるのではたまったものではない。
現代人の負の感情を集中して背負うスケープゴートになってしまうわけだ。どう考えても見合った報復になるはずがない。人は過ちを犯すものである。
誰もがカメラを手にし、共有するためのネットワークも整ったことでいつの間にかこのような社会の放熱システム、スケープゴート供給システムは確立された。
この世界線の先には間違いなくジョージ・オーウェル著「1984」で描かれたディストピアが待っている。
監視社会は、ビッグ・ブラザーやイングソック体制下の思想警察による直接的なものではなく民衆同士が監視、報告、報復を同時に請け負うことで成されるのだ。超相互監視社会である。
「マトリックス」に登場する監視プログラム、エージェント達は「マトリックス内の誰にでも成り変われる」という性質を持っていたが見事に予言していた。
携帯電話にカメラが日本で初搭載されて四半世紀近くが経とうとしているが、確かにコストと維持費をかけてあらゆる所に監視カメラを設置する必要は無い。今や携帯は富裕層から貧困層までほとんどの人間が持っている。
つまりどこにでも入り込める頭脳を持ったエージェントの設置に成功したようなものだ。支配層は最初の一玉を打つだけでいい。あとは民衆が自発的に作り上げてくれる。
さらに言えばスマホこそ双方向通信デバイス、〈テレスクリーン〉かもしれない。誰もがスマホに映された情報に洗脳され、このような〈2分間ヘイト〉に怒り熱狂し、スマホを向けられたら行儀を正さねばならない。
つまりこれを逆手に使えばいくらでも世間の怒りを煽り民衆を操作出来る事になる。
例えばママチャリの件を皮切りに、今まで見過ごされていたような自転車の違反による些細なトラブルのニュース報道を増やし、世論を誘導すれば政府は温めていた道交法改正や規制等のカードを切りやすくなるだろう。テレビよりずっと効果的だ。
可能性の話をすれば、ディープフェイクを使いこれらの動画をでっち上げマッチポンプする事も可能ではないだろうか。
今はテクノロジーがあるのだから動画や写真はすでに「動かぬ証拠」「事実の現身」ではない。
いくらでも動かせるし作れるのだ。
そこに映っている人間は本当に戸籍上実在している誰かの顔なのだろうか?
「特定」されたとする個人情報は本物だろうか?
なんでも脊髄反射して叩くのではなく最も前提となる部分を疑い注視する必要があるのが、AIが現実的な問題として取り沙汰されるようになった今という時代である。叩くだけなら猿でも出来る。叩いた後に正当性や口実を考えるのは子供でも出来る。叩く前にまず考えるのが人間のいい大人である。
令和に切り替わって疫病、相次ぐ災害や戦争、いよいよ暗黒面の帳が降りてきた。
魔女狩りも中世から近世と呼ばれるまでのそうした時代の変換期に最も盛んに行われたようだが、目先の怒りにお熱を上げている場合じゃない。
そんなヒマがあるのなら映画「ミスト」を観たほうが良い。
あの軍人に対してスーパーに閉じ込められた客達がリンチしたのと本質的に同じことをしているのである。
狂気の狂気性はその中にいる人間にはまず気づけない。気づけない故に狂気の沙汰にまで事は至るのである。
そして人類史において最も残虐性の高い類の狂気の沙汰とはたいてい正義の名で成されているものだ。自身の狂気には気づけずとも、まずはそれに気づくべきである。
絵描きにとっては自身の絵のデッサンの狂いそのものより、その狂いに気づけないほど自身の感覚が狂ってしまってるかもしれない可能性の方が恐ろしいのだ。
「うわっ狂気的だ!」と気付ける類の狂気はまだかわいいもの。
ほんとに根深い狂気とは実はその時代においての灯台下暗し、つまり「常識」となったものの中にこそある。
例えば現代の電車の中や喫煙所の光景1つにしても、仮に60〜70年代の人が見たら異様な世界線の光景に見えるだろう。
皆が一様にスマホを凝視しているわけだから。
おそらく何かの宗教や洗脳に取り憑かれた人達の集まりに見えるのではないだろうか。
本当の狂気とは雲の中にいるのと同じだ。入ってるうちはその形にさえ気づけない。遠く離れてようやく全貌が見えてくる。
-今日の常識とは元々非常識な思いから始まっている-
これもまたバートランド・ラッセルの名言だ。
「今はこういう時代なのだから晒され叩かれるような事をする方が悪い。仕方ない。」
などという意見をたくさん見てきた。
このような思いが狂気さえやがて「常識」にしてしまう。