6月18日(月)7時58分に大阪で震度6弱の地震が発生した。

振り返ってみればラッシュアワーの都市部が初めて経験した大規模地震ということになる。

阪神大震災のときは自宅で就寝中だったが、今回は電車で兵庫県から大阪府に突入したところ。ほぼトップスピードで快走してたように思う。
なので、まったく揺れを感じることがなく、震度4で登校中の子供が「立ってられないくらい揺れた」と後で言ってたほどの地震の実感が湧かない。

携帯電話のけたたましい緊急地震速報の大合唱とともに電車が停止した。
と同時にすべての人がスマホで情報収集をはじめたのではなかろうか。
最大震度6弱という情報はたぶん放送されることはなかったように思うけど、まるで大前提のような雰囲気となっていた。

吊革につかまれていたが、身動きすると周りの人にあたってしまう。じっと立ったまま、復旧の見込みは立っていませんという数十分に一度の放送を聞きながら、目の前は道路だから外に出られたらいいなと思う。運良く高架からはずれた場所だった。
でもそうした人は近くではひとりしかいなかった。

ドアをあけて線路に降り柵を乗り越えることはたいていの人にはできそうだった。
しかしそんな人がほぼいないのは、車両がぎゅうぎゅう詰めではないことと、エアコンがきいていることでがまんができるから。
もしくは私みたいにたまたまスカートにパンプスだと言う人もいるだろう。
でも、本当の理由は違うと思った。

ここで降りても、それからどうしたらよいかわからないから。
電車に復旧してもらうしかないから。

それを祈りつつ、でももう限界だと思われた11時15分ごろ、私は電車の外に出られた。
一番後ろの車両2箇所に座席シートでスロープが作られていた。

後ろのほうの車両に乗っていたからよかったものの、たぶん全員の避難が終わるにはあと何十分もかかっただろう。

私の車両は元気な大人の年代の人しかいないようで、特に何も問題もなく静かにじっと待ち続けることができた。
これもラッシュアワーならではの特徴だろうか。
こどもやお年寄り、外国人観光客などが多ければどんなに気の毒なことになってるのだろうと思う。

ということで乗車してから数えると4時間近くじっと立っていた私は電車を降りてほっとしたものの本当に困ったと思った。
とぼとぼと線路を歩き、近くの踏切から道路に出る。
右に行くか、左に行くか。

停止してすぐ自分の居場所をマップで確認しておいたものの、なんとも中途半端なところに止まっていた。
電車が動かなければどうにもならないこともわかっている。

すでに出勤しなくてよいという段取りにはなっていたけど、私はまだ会社に行きたいという思いを持っていた。
(どうやら震度6弱くらいならすぐ復旧するように無意識に思っていたようだ)
しかし、このまま歩いて震源地に突っ込んでいくのは無謀といえば無謀、邪魔といえば邪魔である。

左に行けば大阪方面、次の駅まで10数分、でもその駅は小さい。
右に行けば、前の駅まで30分以上、その駅の規模は少し大きいけど、ここも各停しか止まらない。
どちらにしてもぜんぜん知らない駅。

運命の分かれ道だが、たぶん、前の駅がもう少し大きい駅なら頑張ってそちらにしたと思うが、結局近い方の駅に向かってみることにした。
とぼとぼ歩きながら、出勤してる会社の人とも相談してやはり会社に行くことは考えずどうやって自宅に帰るかを考えることとした。

それにしても孤独だ。
これだけ大勢いると励まし合ったりいたわり合ったりということがかえってないわけだ。不思議な静けさ。

やがて駅の近くに来ると、駅前に馴染みの系列のスーパーがあることがわかった。
喜んで行ってみると営業してない!
しばらくショックで固まる。
こんなときにこそ開いていて欲しかった、と思ってしまった私は相当ボケていた。

そして、その向かいのコンビニが営業していたので心底ほっとした。
そう、結局スーパーはスタッフが出社できてないわけだ。当たり前すぎた。

コンビニに入ってトイレを借りて、飲み物(お茶じゃなくてCCレモンにした)とパンを買う。
ラッキーなことにイートインの席が空いたので5時間ぶりくらいに腰掛けた。
電車の中では持っていた飴を2、3口に入れることができたが、さすがにのどが渇きお腹が減っていた。
少し食べて人心地ついて、いつまでもここにいるわけにはいかないので駅に様子を見に行くことにした。

やはり電車の復旧の目処は立っていなかった。
このころにはメッセージやメールのやり取りをしてる人たちの大半はタクシーに乗れと言っていた。
どんなに並んでもタクシー乗り場があるならいいが、この駅には案の定タクシー乗り場はなかった。
というか、そんな豪勢なことはできればしたくなかった。

本当は、この駅で止まったままになっている電車の中でおとしく座って待っているのが一番いいような気がする。(結果的にもそれが正解だった)

しかし、いざタクシーとか、誰かに車で来てもらうような事態になるとしたら、できるだけ家に近づいておいたほうがよい。
そこで、やはり来た道を戻って前の駅に行くことにした。40分はかかりそうだ。
薄曇りの天候で半袖、日傘ならなんとかなる。

そしてかなり駅に近づいた頃、
バス停があることに気づいた。
そこにいい具合に屋根とベンチがあり老婦人がふたり待っているところだった。
そこでどこ行きのバスか聞くと、目的の駅行きとさらにその先の駅行きがあるという。先の駅は割と大きい駅なのでそれに乗れたらラッキーだ。

しかしバスの本数が多くない上に案の定、相当遅れていて全く来ない。
その間、この近辺にお住まいの老婦人たちから家のテレビが落ちていたとか、ガスが止まってるとか、梅田から歩いてきた人もいたとか、死者が3名などと話してくれた。

私はスマホのバッテリーが切れかけていて情報収集能力が著しく落ちていたので話が新鮮だった。思った以上に被害は甚大なようだった。(揺れを感じていないから本当に実感がない自分)

さてその後は結局次の駅でバスを乗り換え、その先の駅まで2時間かけて到着。
そこでちょうど徐々に電車の運行再開。
つまり元いた駅でじっとしてても一緒だったということ。

乗り換え駅からの電車の運行再開を電車の中で待ち続け、3時間後に帰宅することができた。
地震発生から10時間あまり経過してた。
家を出てから地震発生までは30分ほどだったのだけど。
3時間は缶詰だったので帰るのに7時間かかってしまったということか。
ちなみに全行程を歩いて帰ったら4時間余りだったようだ。
ちょっと厳しいかな。スニーカーとリュックなら歩いてただろうけどね。

さてさてこの長い10時間。スマホのバッテリーが切れたというのに退屈はしなかった。
たまたま数日前に訳あって買い求めた電子辞書で最初は英語を聞いていたのだが、電池が心配になり、ふと著作権切れの小説が山ほど入ってることに気づいたのだ。
で、吉川英治の「宮本武蔵」を読むことに。実は、至福のひとときでした。

ワロハ~♪

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