家系図作成7つのポイント

家系図作成7つのポイント

家系図(苗字?家紋?武士?農家?)について発信します。

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『家系図作成!7つのポイント』
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1、家系図って?
2、150~200年「戸籍調査」って?
3、400~1000年「戸籍以上の調査」って?
4、業者に頼むといくらかかる?
5、自分でつくる?業者に頼む?
6、筆耕~家系図を筆で書く
7、表装~巻物や掛軸に
おまけ 家系図って必要?

 

【第2回】 和歌山県に由来「鈴木さん」・・・なぜ東日本に広まったのか 

 

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきたいと思います。今回取り上げるのは、日本で二番目に多い「鈴木」さんです。

 

 

 熊野神社の信仰に由来する「鈴木さん」

 

「鈴木」と聞いて思い浮かべるのは、鈴木一郎(イチロー)、鈴木道雄(スズキの創業者)、鈴木善幸(第70代内閣総理大臣)、鈴木亜久里(元F1レーサー)、鈴木福(俳優)……。人それぞれ、思い出す著名人はいろいろといるでしょう。

日本で二番目に多い苗字ではないかといわれる鈴木姓。紀伊国(和歌山県)から発祥した系統で、和歌山県新宮市で神主だった穂積氏の一族が鈴木姓を名乗ったことが始まりとなります。

穂積氏から分家した家が鈴木という苗字を名乗ったのは、和歌山県の方言で「稲穂を積み上げる(穂積)」ことを「すすき」ということにちなみ、これに神様が天から降り下るときに目印とする木(これをより代(しろ)といいます)と神がその木に宿ったときに鳴る鈴の文字を当てて、鈴木という苗字を創作しました。

後に鈴木氏は本拠地を現在の和歌山県海南市に移し、同地の藤白神社の神主となるのです。その一族から源平合戦(治承の内乱、1180~85)のころ源義経の家臣となった鈴木三郎重家が現れ、重家の末裔は東北から関東・東海地方にかけて広がったとなったのです。

東海から関東・東北に広がった鈴木一族はなまって「すずき」と発音しますが、和歌山県や三重県の旧家の鈴木家では現在も濁らずに「すすき」といっていますね。

 

 

 

 鈴木姓の分布の鍵を握る「鈴木重家の末裔」

 

このように、紀伊の国に由来する鈴木姓は、現在、どのように分布しているのでしょうか。これから見てみましょう。

 

 

都道府県別「鈴木」の分布
出所:2019年 NTT電話帳調べ

 

 

 

都道府県別「鈴木」の分布図
青の色が濃いほど、佐藤姓が多い(出所:筆者作成)

 

 

鈴木姓は、全体的に東日本に多く、西日本に少ないのが特徴です。関東地方では特に多く、関東7県(茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)中、群馬県(6位)を除く6県で1位です。ちなみに、群馬県で一位の苗字は高橋さんです。余談ですが全国第3位の高橋さんですが、47都道府県で1位を獲得しているのは群馬県と愛媛県だけとなってます(2009年電話帳調べ)。

47都道府県の内8県で一位の苗字となっている鈴木さん。関東6県以外の2県は静岡県と愛知県です。この分布には、きちんとした理由があるのです。

和歌山から発祥した鈴木姓の一族から源平合戦(治承の内乱(1180~85)のころ源義経の家臣となった鈴木三郎重家(鈴木重家)が現れました。重家の末裔は東北から関東・東海地方にかけて広がったため、今でも関東・東北に鈴木姓が多いとなっています。

余談ですが、現在では日本一多い苗字は佐藤姓と知れ渡っていますが、以前は長い間、鈴木姓が1位と認識されていたんです。これは、苗字調査が首都圏に偏っていたためといわれています。

では、静岡県と愛知県に鈴木姓が広まったのは、なぜなのでしょうか。これも重家の一族である鈴木重善が、三河国加茂郡矢並郷(愛知県豊田市矢並町)に移り住み、熊野信仰を広めたことで鈴木姓が広まってきました。

 

 

◆名字調査の具体例 ②『鈴木』を辿る

日本の代表的な苗字辞典『姓氏家系大辞典』(太田亮著、角川書店)の鈴木の項目を見てみましょう。

まず冒頭に「天下の大姓にして、族類の多き事、他に其の比を見ず」とあります。そして「その発祥地はほとんど熊野」「熊野信が朝野の崇敬を集め」「随従して各地に移り、勢力を振ひしに」という記述が続いているのです。

「朝野」のように疑問に感じた言葉は、インターネットで検索してみましょう。すると、読みは「チョウヤ」、意味は「朝廷と民間」あるいは「世間」ということがわかります。ここから「熊野神社が全国に信仰を広めていく過程で鈴木姓が増えていった」と解釈できるのです。

次に、鈴木姓の項目を見ていくと、75項目もあります。佐藤姓の58項目をしのぎました。1の項目には「穂積姓 紀州熊野の豪族なり」と、あります。

「豪族」という言葉も知っているようで、よくわからないので検索してみると、「一般的には、地方に居住し権勢を有する一族」「ただし時代とともに概念が変わり、江戸時代以降では豪農・豪商が豪族に代わる言葉となる」とありました。

では次に「穂積姓」について見ていきましょう。これはホヅミの項を見ます。「太古以来の大族」「物部氏と同族」「大和国山邊郡穂積邑より起こる」と記されています。「物部氏」というのは、歴史の勉強で出てきたのを覚えているとおもいます。「大和国」は奈良、「穂積邑」の「邑」は「村」のこととなります。

穂積姓の項目を読み進めると17項目がたっています。14項目目に「紀伊の穂積氏」という記述があります。鈴木姓の関係からすると、探していたのはこの記述ですね。しかしその冒頭に「スズキ、ウキ、ウドノ、エノモト、クマノ等の條(条)を見よ」とあります。これは大変ですね。細かくは後で調べるとして、一旦、鈴木姓のページに戻りたいと思います。

改めて穂積姓のところを読んでいくと、「榎本の氏を賜り」「宇井薫(丸子氏)、鈴木薫の名は」という記述が続いています。鈴木姓は榎本や宇井、丸子という苗字ともかかわるようですね。

さらに読み進めていくと、「三男基行は…これによりて穂積の氏を賜る。」「鈴木氏は此の基行の後裔なりと云ふ。」とあります。まず「基行」なる人物が「穂積」を名乗った(賜った)ことがわかりましたよね。では、だれが鈴木を名乗り始めたのでしょうか。「基行」をキーワードに読み進めてみましょう。

その先には、「今亀井の系図等によれば」という記述があり、家系図が載っています。その中には、次のような記述があります。「宇摩志麻遅命-(この間24代中略)-基行」。「基行」の先祖は宇摩志麻遅命。検索してみると、読みは(うましまぢのみこと)、『古事記』『日本書紀』に記載の人物。穂積を名乗り始めた基行の家系は気が遠くなるくらい昔の神話の時代の話にまでさかのぼれるようですね。

ちなみに「今亀井の系図等によれば」の「今亀井」は三文字の名字に見えてしまいますが、この場合の「今」は「ここで」というような意味です。つまり、この系図に付き詳しく知るには『姓氏家系大辞典』やインターネットなどで「亀井」で検索する必要がでてきます。

さらに「基行」をキーワードに読み進めると「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」と出てきます、ここでかかれている「鈴木基行」の鈴木は後付けで書かれたと判断し、「鈴木判官真勝」なる人物で初めて「ホヅミ」を、同じ意味の「スズキ(ススキ)」に読み替えて鈴木姓が登場したようなのです。

『姓氏家系大辞典』は、現在の苗字研究の礎となっています。立命館大学教授の太田亮氏が資料の収集に40年、執筆に6年以上かけたといわれる本になります。

一般の方が、この本で苗字調査を進めるには、骨が折れることが多くあるのです。また、たとえば「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」などは現在の系図研究では、「二十余世(20世代ほど)を経て」ではなく「基行の子の良氏(よしうじ)が鈴木判官を名乗った」という説が定説になっております。

『姓氏家系大辞典』は、戦前の研究書ですので説が古くなり、インターネットで掲載されているものや近年の苗字辞典とと一致しないこともあります。

このように『姓氏家系大辞典』には系図の基礎知識がないと理解できない箇所が多々あるかもしれません。が、その様な場合は、他にも簡単に書いてある近年の名字辞典もあるので、そちらと見比べて理解を深めるのがいいとおもわれます。

苗字について調べていくと、色々な疑問が生じます。たとえば鈴木姓の分布を見ていたら、きっと下記のような考えが浮かんでくるのではないでしょうか。

疑問1)なぜ鈴木姓は、沿岸部に多く広まっているのか?

疑問2)なぜ鈴木姓は、発祥した和歌山県(1291件で14位)より、関東や北海道のほうが圧倒的に多いのだろう?

このような疑問も、少し専門的な本を読むと答えが出てきます。

A1)熊野神家が水軍を持っていたため水路も活用し全国に広がった。そのために沿岸部に特に多く広がった。

A2)鈴木姓は熊野神社の分社とともに広まっている。熊野詣が困難な地方にこそ分社が必要だったため。

日本が名字を愛し、大切にしてきた歴史を感じられることは、名字調査の醍醐味なのです。名字の事を考える時、名字研究の歴史と、研究結果として残してくれた先人の労力に敬意を払わずにはいられませんよね。

 

 


 

 

【第1回】日本で一番多い「佐藤さん」は、なぜ東北に多いのか? 

 

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができるんです。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきます。今回取り上げるのは、日本で一番多い「佐藤」さんです。

 

 

 武家の藤原氏にルーツをもつ「佐藤姓」

 

昨今、家系図への人気が高まって来ているんです。その発端になったのが、相続が発生した富裕層なのです。家族が亡くなり相続が発生したときに、戸籍を取りよせることがあります。そのなかで「自分の祖先」に興味をもち、戸籍調査を行い、その結果を家系図として残す……。そのような流れが生まれたのだと考えられているのです。

祖先を知ることは、相続トラブル防止にもなるので、相続が発生する可能性の高い富裕層の間で、家系図づくりが広まったのだと思われています。

その流れは、今や広く知られるようになってきました。そして日本人なら誰もが持っている「名字」に興味をいただき、「この名字はどこから生まれたの?」と、問合せをうけることも多くなってきました。そこで、みなさんの「名字」の起源をご紹介していきたいと思います。

今回は、全国で200万人以上、日本で一番多いといわれている「佐藤」に焦点を置きましょう。

全国の佐藤家は第38代天智天皇の重臣、藤原鎌足(614~669)の流れをくむ武家・藤原氏の子孫といわれ、藤原公清が京の御所の左側の門を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)に任じられたことを記念して、左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を組み合わせて「左藤」と名乗り、後に人名なのでにんべんを加えて佐藤に改めたといわれています。

佐藤公清の嫡流(本家の家筋)は東北でおおいに栄え、なかでも福島県からは源平合戦(治承の内乱。1180-1185)のころ、源義経に仕えて忠勤を励んだ佐藤継信・忠信兄弟が出ました。東北に住む佐藤氏で源氏車の家紋を使っている家は、この兄弟の子孫か、その一族の末裔といわれているんです。

このような佐藤姓は、現在全国にどのように分布しているのでしょうか。まず電話帳から、探ってみましょう。
 

 

都道府県別「佐藤」の分布
出所:2019年 NTT電話帳調べ

 

 

都道府県別「佐藤」の分布図
青の色が濃いほど、佐藤姓が多い(出所:筆者作成)

 

 

やはり今も佐藤姓は東北に多くなっています。東北6県のうち、青森県を除く5県で1位の名字なのです。

 

 

 全国で62位の「工藤」は、なぜ青森では一位なのか?

 

ここでちょっと佐藤姓から離れ、「ある県に」「なぜ」その名字が多いのかという、名字分布について見てみましょうか。同じ東北でも、青森県で第1位の名字は「工藤」。ちなみに全国では第62位となっています。

青森県の工藤氏は、藤原不比等の嫡男、武智麻呂が興した藤原南家の流れをくみます。藤原南家は平安時代の初期には仲麻呂らが権力を得て、朝廷の中枢に君臨しましたが、陰謀などによって権力の座から追われ、武士化への道を歩む者が出ました。それが藤原為憲(ためのり)です。

為憲は天慶3年(940)関東で反乱を起こした平将門を討伐して、おおいに武名を高めました。その恩賞として木工助(もくのすけ)に任官されます。木工助とは宮内省の宮廷造営職の次官です。為憲はこれを名誉とし、木工助の「工」と藤原の「藤」を組み合わせて工藤と名乗りました。これが工藤氏の始まりとなります。

工藤為憲は伊豆国(静岡県伊豆半島)を本拠地とし、一族からは伊東・伊藤・入江・曽我・二階堂氏などが分立し、駿河国(静岡県)に移った一族は駿河工藤、奥州(東北)へ下向した系統は奥州工藤と称し、それぞれ大いに栄えました。奥州工藤氏からは江戸時代(1603-1867)、弘前藩(青森県弘前市)津軽氏の家臣となった家も多々出ました。そのため青森県では最も多い名字となっています。

では佐藤姓に戻りましょう。佐藤姓のルーツ藤原氏は東北から栃木県にかけて本拠地としていました。そのため西日本にはさほど佐藤姓は多くありません。そのなかで特異なのが大分県。ここでは9291件で第1位です。

これは鎌倉時代、幕府の御家人(家臣)となった佐藤氏が、豊後(大分県)に領地を与えられ、地頭(領主)として下向したことに由来し、その子孫が繁栄したためと考えられています。

また前述の通り、佐藤姓の家紋でよく使われているのが「源氏車」。「源氏物語絵巻」によく登場する貴族の乗り物である牛車の車輪にちなんだものですが、佐藤家の場合は源義経(牛若丸)の家来だったことを忘れないよう、「源氏車」という名称の家紋を愛用しているともいわれています。

 

 

佐藤姓の家紋で広く使われている「源氏車」

 

 

◆名字調査の具体例 ①『姓氏家系大辞典』を使って

名字調査はどのようにして行うのか。その一例として、日本の代表的な名字辞典『姓氏家系大辞典』(太田亮著、角川書店)を使う方法を見てみましょう。『姓氏家系大辞典』は、大きめの図書館であればたいてい置いてあります。
『姓氏家系大辞典』は系譜学を提唱した立命館大学教授・太田亮(あきら)(1884-1956)が一生を捧げて完成させた労作で、名字・家系研究の根本資料とされています。第一巻の巻頭に神代御系図・皇室御系図を掲げ、次いで約5万種類の姓氏の解説を旧かなづかいの五十音で収録しています。

では佐藤姓を探っていきましょう。サトウ(佐藤)の冒頭には「藤原秀郷の後胤・公清より~」という記述があります。「『後胤』ってなんだ?」と疑問に思ったら、インターネットで検索してみましょう。読みは「こういん」、意味は子孫ですね。後裔(こうえい)という言い方もするようです。

また、佐藤の項目には実に58もの佐藤姓のルーツが記載されています。備後の佐藤氏、安芸の佐藤氏、土佐の佐藤氏、薩摩の佐藤氏……と説明がされています。さすが日本で一番多い佐藤姓ですね。

もう少し深く調べたい場合、たとえばあなたが広島県の人であれば、44項目の「備後の佐藤氏」を読んでみてください。そこには「桑田氏の家士に佐藤氏あり」という記述があります。検索してみると「備後」は広島県の東半分、「家士」とは家臣のことだとわかります。備後の桑田氏とは誰でしょうか?  さっそく桑田の項目を見てみましょう。

『姓氏家系大辞典』は旧漢字・旧かなづかいで記されています。「クワタ」は「クハタ」で記されています。そこには「桑田クハタ 丹波国桑田郡は和名抄に久波太と註す」とあります。「丹波国(たんばのくに)」は京都。「和名抄」は和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)の略で平安中期の漢和辞典のことです。「註す」は「ちゅうす」と読み、「書き記す」の意味です。

続いて、目的の「備後(広島県)の桑田氏」を探しましょう。桑田姓の4の項目に記述があります。「大友氏流備前国の豪族にして福山志料に(省略)又、備後の古城記に(省略)家士に桑田、(以下省略)」。広島県の佐藤氏が仕えた桑田氏はこの人だったみたいですよ。

さらに「大友氏って誰?」と疑問を抱いたら同書の大友氏の項目を参照し、「福山志料って何?」と思ったら検索して……と、『姓氏家系大辞典』があれば、名字調査は永遠に続けていくことができます。深い知識がないと行き詰ることもあるかもしれませんが、少しずつ進めていきましょうね。

 

 

 

「家系図」作成する前に知っておきたい7つのポイント

 

 

高級品の巻物に…富裕層は「家系図」をどのように書くのか? 

 

 

自分を取り巻く親類縁者との関係が明確になることから、相続について考える富裕層を中心に「家系図」への注目が高まっています。きっかけがなければ難しい作業であるかもしれませんが、やり方次第では、江戸時代の先祖まで遡ることも可能なのです。本記事では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、子孫まで長く伝えることのできる家系図作成のポイントを紹介致します。

 

 家系図を書くには「テクニック」がいる

 

みなさんのイメージの通り、家系図は筆+墨で書くのが一般的ですが、正直これがかなり難しいのです。「家系調査は自分でしたけど、筆耕は頼みたい」という依頼はかなり多く、また筆耕を頼む業者を探すのも、結構と大変なのです。なぜなら書家であっても家系図を書くとなると難しいからです。「家系図、書けますか?」と聞いても、断られることも多々あります。

 

 それでも「自分で書いてみたい!」という人もいると思いますので、ポイントを説明していきましょう。まず、筆耕の大きな流れですが、基本的にどのように書くかは自由ですが、筆者の場合は「1.記載範囲を決める」「2.下書き見本の作成」「3.毛筆で筆耕」「4.桐箱への名入れ」の順番です。1つずつ、見ていきましょう。

 

 

1.記載範囲を決める

記載範囲には2種類あり、1つは「人物の記載範囲」、もう一つは「人物の情報の記載範囲」になります。前者は基本的に、直系とその兄弟姉妹を書くとバランスがいい家系図ができます。

 

「人物の情報の記載範囲」は、基本的には人物の下か横に生年没年を記載するにとどめるのがいいでしょう。生年没年を入れると、先祖がどの時代に生きたのかがわかり、見た目にも非常に美しくなります。また、その他に判明していれば戒名。特段記載したい情報があれば1~3行程度の注釈を入れるのもいい方法でしょうね。

 

家系図を書く時のポイント 

 


2.下書き見本の作成

ここで重要なのは、バランスになります。上下左右の余白、人物や生年没年・タイトル(○○家系図)の文字の大きさ、人物の間隔……。この時点で仕上がりの美しさが決まります。特に二系統を筆耕する場合は、バランスが大変難しいのです。それぞれの家系図の記載人数の多さ、系線の複雑さに応じて、バランスよく仕上げなければなりません。実はこの下書き作業が最も難しい作業になるのです。

 

下記上段の写真は、筆者が最初に書いた家系図です。人物間のバランスは良いのですが、余白や文字が大きすぎ、全体的に間延びした感じですね。その下は、何十枚と依頼をこなした上での現在の家系図になります。感覚的なものですが、先の作品に比べるとグッと引き締まっていますね。

 

筆者が最初に書いた家系図

 

筆者が何枚か書いてコツをつかんで書いた家系図

 

 

3.毛筆で筆耕

下書きに沿って文字と系線を入れていきます。これは本当に恐ろしい作業です。一文字間違っただけで全てが台無しになるわけですから。ゆっくり確実に神経をすり減らしながら行いますが、あまり時間をかけてもいけません。時間を置くと、墨の水分が蒸発してしまい、書き始めよりも段々濃くなっていってしまうのです。

 

時間のかかる作業なのですが、なるべくなら一日で、短時間で終わらせてしまいたいところですね。それは天候によって墨のチリ具合が替わってしまうため、同じ条件で書き上げるのがベストだからなのです。

 

保存についても最大限気をつけなければなりません。筆耕作業をする場所と保存場所を変えるなどして、少しでも湿気のないところを選び保存します。余計な水分を吸うのを防ぐためです。

 

また、まっすぐな線を書くのは筆では恐ろしく難しく、竹べらなどを使っても途中で掠れて長い線は書けません。筆者の場合、色々と試行錯誤していくうちに、現在では大変美しい系線が書けるようになりました。付き合いのある書道店の店主など、書道の心得のある人に見てもらうと、「これマジック(のペン)じゃないよね? どのようにして書いたの?」とびっくりされます(実際にどのように書くかは企業秘密です)。書道家の人にそう言われるとかなり嬉しいですね。

 

 

直線で書くのが難しい、家系図の「系線」

 

他に筆耕で欠かせないのが紙ですが、中国製の画仙紙がおすすめです。家系図=和紙をイメージする方が多いと思いますが、実は中国製の画仙紙の方が和紙よりも滲みが少なく、小さな文字を書く家系図に向いています。中国製の画仙紙のなかでも、高品質で滲みが少なく薄手のものを選ぶと良いでしょう。

 

 

4.桐箱への名入れ

最後に、桐箱に「○○家 家系図」と筆耕します。筆耕に関する作業はどれもすべて間違えが許されない恐ろしい作業なのですが、なかでもこれが一番恐ろしいですね。

 

そのまま筆耕すると木目の溝に墨が滲んでしまうので、表面を薄くやすりをかけてから筆耕します。それでも少しは木目への滲みは出てしまいます。これは木に墨で書く以上避けられないので、ここは納得するようにしてくださいね。

 

 

桐箱に書いて筆耕は終了

 

 

 「表装」は職人の手作りか、安価な機械か

 

家系図づくり、いよいよ最後の工程である表装(=書画を巻物や軸に仕立てること)です。表装には大きく分けて、本表装と機械表装の2つがあります。簡単に言うと、本表装は「昔ながらの、職人(表具師)の手による手作りでの表装」、機械表装は「のりを使わない最新の技術を使った機械での表装」です。

 

どちらがいいのかという話ですが、それは色々な意見があります。機械表装を行っている表装店の店主は、

 

 「うちは庶民のための掛軸(巻物)店なんだよ。見た目には変わらないし、充分に品質は良いから、わざわざ本表装にしてお金をかけなくても、手ごろな価格で楽しんでもらいたい。うちも本表装はできるよ。でも今はね、機械表装の技術が大変進歩して、昔よりも気軽に掛軸が楽しめるようになっているんだよ」

 

また本表装をしてくれる表具屋の店主は、
 

「相場を知らない人は、ウチの掛軸の値段を聞いてびっくりするんだ。最低でも5~6万円から、材料によっては100万円を超えるからね。そういう時はデパートに行けば1万~2万円で掛軸が売っているとすすめるんだよ。安いからといって、恥ずかしいことじゃないからね。

 

ただうちには、ずっと昔から家に伝わる掛軸を仕立て直しに来る人がいっぱいいる。そういうものには先祖の魂が宿っている。そういう風に、代々伝えていくものを本当に大事にしたい人もたくさんいるんだ。本当にいいものがほしかったらうちに頼みなさい。機械表装が悪いってわけじゃないよ。ただ、機械表装と本表装はまったく別のものだからね」

 

つまり、どちらでもいいということですね。ではどちらが機械表装で、どちらが本表装でしょうか?

 

 

本表装と機械表装の比較

 

上が本表装で、下が機械表装です。実物を見てもほとんど違いはありません。実物の折り目をよーく見ると、本表装は少し手造り感があります。しかし見た目にはほとんど差がなく、むしろ機械表装のほうがきれいに見えるかもしれませんね。

 

 

本表装(左)と機械表装(右)の比較

 

 

筆者の個人的な感想ですが、本表装には機械表装にはないぬくもりがあるように思います。また重さや手触りに関しては、本表装のほうが柔らかく軽いのです。表装は見た目の美しさももちろん大事ですが、長期にわたって保存することも重要な役割になります。柔らかで軽い方が、痛みにくく長期保存に適します。

では細かく見ていきましょう。

まず「裂地」について。代表的な素材に絹と綿がありますが、絹の方が高価で柔らかく、表装には向いています。巻物にする場合、固めの裂地だと開いたり巻いたりしているうちに負担がかかり少しずつはがれてきてしまう場合があるかと思います。柔らかな裂地でないと巻いたときに痛みやすいんです。
 

全体的な品質は、本表装の場合は表具師がすべてを考慮し材質を選んでいるので、仕上がりに一切の心配がありません。表具師も、品質に妥協がありません。それを裏付ける話として、たとえば本紙の裏に補強やシワを伸ばすために薄い紙や布を貼る「裏打ち」という作業を行いますが、この裏打ちの紙は、仕入れてから1年間は使用しないで保存します。なぜなら、紙を仕入れた地域とは気候が違うからなのです。ほんの少しの水分量の違いで張りが変わるため、気候に馴染むまでは使わないのです。

 

 

本紙の裏に薄い紙や布を貼る「裏打ち」

 

また本来は巻物か掛軸かによって軸先は変わります。掛軸の場合は軸と軸先が同じで構わないのですが、巻物の場合は軸先が細くなります。機械表装の場合は、巻物・掛軸問わず同じ作成方法、工程で作成されているため、同じ軸先になります。これは掛軸のほうが圧倒的に流通量は多く、掛軸を想定して材質、作成方法で巻物も作られる、という事情があるようですね。

 価格は、本表装は最低でも5万円以上で、あとは材質によって上限はありません。機械表装は安ければ1万円台からあります。しかし筆者の感覚としては、あまり安すぎるものは避けたほうがよく、できれば5万~10万円くらいのものを選んだほうが、保存のことを考えると無難だとおもわれます。

 

 

家系図にどこまでこだわるかは人それぞれ

 

 

最後に本表装と機械表装には、「仕立て直しができるかどうか」という大きな違いがあります。仕立て直しとは、自分の子孫、子、孫、ひ孫、玄孫……と代が進んでいったときに、家系図を書き足すことです。

 

本表装であれば本紙に新たな紙を継ぎ足していけますが、機械表装は難しくなります。半永久的に代々伝えていくなら本表装、子供と孫の代くらいまで気軽に楽しむなら機械表装というのが1つの選び方だと言えそうですね。

 

 

筆者が最近書いた家系図