おニャン子クラブとは

 
 
1985年に「夕やけニャンニャン」内で結成された素人の女の子たちによるアイドルグループである。当時、中高生男子から絶大な人気を集めたが87年8月をもって解散した。フジテレビの番組内のグループだが、他局の歌番組などにも出演している。
 
お世辞にも歌唱力は高いわけではないが、楽曲は全て、若手の放送作家だった秋元康が手がけており、歌詞のインパクトは強い。
 
【おニャン子 ディスコグラフィ】
1th 「セーラー服を脱がさないで」
(1985年7月5日)
2th 「およしになってねTEACHER」
(1985年10月21日)
3th 「じゃあね」
(1986年2月21日)
4th 「おっとCHIKAN!」
(1986年4月21日)
5th 「お先に失礼」
(1986年7月21日)
6th 「恋はくえすちょん」
(1986年11月1日)
7th 「NOMORE恋愛ごっこ」
(1987年1月21日)
8th 「かたつむりサンバ」
(1987年5月21日)
9th 「ウェディングドレス」
(1987年8月21日)
 
番組内のオーディションで合格すると次の日からメンバー扱いになり、人気が上昇すると派生ユニットとしての別活動、ソロデビュー、フジ系列のドラマに出演でき、もれなく単独で写真集を出したりできる特典がつく。
 
【おニャン子内での派生ユニット】
うしろゆびさされ組 (シングル6枚)
高井麻巳子、岩井由紀子
ニャンギラス (シングル2枚)
立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子
うしろ髪ひかれ隊 (シングル5枚)
生稲晃子、工藤静香、斉藤満喜子
 
 
志望動機は「お小遣い稼ぎ」「芸能界に興味があった」「友達に勧められた」が大半を占めていた。埼玉の上福岡から新宿のフジテレビに通っていた新田恵利は「地元の時給500円の不二家でアルバイトをしていたが日当5000円もらえる番組出演の方が魅力的に感じたから」、地元企業に就職することが決まっていた河合その子は「東京観光のついでに受けてみようと思っていた。帰りは原宿に寄って買い物して地元の名古屋に帰る予定だったので受かって驚いた」という。
 
活動する上のルールとして「学業と両立すること」「学校に活動を承諾してもらうこと」を大前提としており、フジテレビはクリーンな環境作りを心がけていた。過去に「芸能活動のために学校を辞めた」「学校に届け出を出さなかった」ためクビになった者がいる。
 
 
【会員番号でメンバーを再確認してみよう】
 
 
活動期間2年半のうち合計54名が在籍。
番号順にメンバーを全員掲載してみた。
(赤は主力、紫は準主力、★は解散時在籍していたメンバー)
 
【1】奥田美佳 (42年2月28日生)
1985年4月25日に喫煙事件で降板。
【2】榎田道子 (42年5月4日生)
1985年4月25日に喫煙事件で降板。
【3】吉野佳代子 (42年4月3日生)
1985年4月25日に喫煙事件で降板。
【4】新田恵利 (43年3月17日生)
1986年9月卒業。ソロシングルあり。
【5】中島美春 (42年10月1日生)
1986年3月卒業。愛称「なかじ」
【6】樹原亜紀 (44年3月30日生)
1987年3月卒業。ニャンギラス。
【7】友田麻美子 (43年1月8日生)
1985年4月25日に喫煙事件で降板。
【8】国生さゆり (41年12月22日生)
1987年3月卒業。ソロシングルあり。
【9】名越美香 (41年4月13日生)
1986年9月卒業。ニャンギラス。
【10】佐藤真由美 (42年9月25日生)
1985年4月25日に喫煙事件で降板。
【11】福永恵規 (42年1月26日生)
1986年9月卒業。ソロシングルあり。
【12】河合その子 (40年6月20日生)
1986年3月卒業。ソロシングルあり。
【13】内海和子 (42年4月16日生)
1987年3月卒業。ソロシングルあり。
【14】富川春美 (43年9月26日生) ★
解散時在籍メンバー。愛称「おとみさん」
【15】立見里歌 (40年11月24日生)
1987年3月卒業。ニャンギラス。音痴。
【16】高井麻巳子 (41年12月28日生)
1987年3月卒業。ソロシングルあり。
【17】城之内早苗 (43年5月17日生) ★
解散時在籍メンバー。演歌歌手として活動。
【18】永田ルリ子 (42年6月23日生) ★
解散時在籍メンバー。愛称「ルリルリ」
【19】岩井由紀子 (43年5月26日生) ★
解散時在籍メンバー。愛称「ゆうゆ」
【20】寺本容子 (44年12月31日生)
芸能活動の規定違反により85年9月にクビ。
【21】五味岡たまき (45年1月19日生)
1985年9月卒業。2カ月間のみ在籍。
【22】白石麻子 (44年6月12日生) ★
解散時在籍メンバー。ニャンギラス。
【23】林香織 (44年2月8日生) 
1986年3月卒業。大阪からの中継係。
【24】三田文代 (42年1月6日生)
1986年3月卒業。広島からの中継係。
【25】吉沢秋絵 (43年10月20日生)
1986年9月卒業。ソロシングルあり。
【26】赤坂芳恵 (43年7月20日生)
芸能活動の規定違反により1週間でクビ。
【27】松本亜紀 (44年12月23日生)
合格のみで活動していない幻のメンバー。
【28】横田睦美 (42年9月26日生) ★
解散時在籍メンバー。会員番号の歌で皆勤賞
【29】渡辺美奈代 (44年9月28日生) ★
解散時在籍メンバー。ソロシングルあり。
【30】三上千晶 (44年6月28日生)
1986年3月卒業。特になし。
【31】矢島裕子 (43年12月15日生)
1986年2月卒業。会員番号の唄に参加。
【32】山本スーザン久美子 (41年6月26日生)
1986年9月卒業。おニャン子唯一のハーフ。
【33】布川智子 (43年8月30日生) ★
解散時在籍メンバー。布川敏和の実妹。
【34】弓岡真美 (45年9月15日生)
中学卒業と同時に活動開始。86年12月卒業。
【35】岡本貴子 (46年3月16日生)
中学卒業と同時に活動開始。86年12月卒業。
【36】渡辺満里奈 (45年11月28日生) ★
解散時在籍メンバー。ソロシングルあり。
【37】大貫かおり (45年5月17日生)
活動は合格した86年5月9日の1日だけ。
【38】工藤静香 (45年4月14日生) ★
解散時在籍メンバー。うしろ髪ひかれ隊。
【39】高畠真紀 (43年4月21日生)
1986年12月卒業。愛称「肝っ玉母さん」
【40】生稲晃子 (43年4月28日生) ★
解散時在籍メンバー。うしろ髪ひかれ隊。
【41】貝瀬典子 (45年3月5日生) ★
解散時在籍メンバー。特になし。
【42】斉藤満喜子 (45年9月19日生) ★
解散時在籍メンバー。うしろ髪ひかれ隊。
【43】守屋寿恵 (45年6月11日生)
1987年3月卒業。特になし。
【44】高田尚子 (45年8月29日生)
1987年3月卒業。特になし。
【45】吉田裕美子 (46年1月3日生)
1987年3月卒業。特になし。
【46】中島早苗 (45年10月27日生)
1987年3月卒業。特になし。
【47】山森由里子 (45年11月30日生) ★
解散時在籍メンバー。特になし。
【48】我妻佳代 (44年2月25日生) ★
解散時在籍メンバー。最末期の主力。
【49】吉見美津子 (46年12月25日生) ★
解散時在籍メンバー。元B組1番。
【50】杉浦美雪 (46年10月14日生) ★
解散時在籍メンバー。元B組2番。
【51】宮野久美子 (46年12月13日生) ★
解散時在籍メンバー。元B組3番。
【52】鈴木和佳子 (44年1月26日生) ★
解散時在籍メンバー。最後の合格者。
【B組4】富永浩子 (46年5月31日生)
1987年3月に卒業。特になし。
【B組5】山崎真由美 (46年12月1日生)
1987年3月に卒業。特になし。
 
1985年4月25日に週刊文春に新宿区の喫茶店で未成年のメンバー複数名が喫煙しているところが掲載されたため、イメージダウンにつながるとして撮影されたメンバーは即刻解雇されている。(樹原亜紀もその場にいたが喫煙していなかったため数日におよぶ出演停止処分ののち復帰)
 
※「B組」とは中学生限定の研修生的な枠であり、高校入学と同時に会員番号制になる。
 
 
【夕方5時 男子中高生たちのバイブル】
 
「夕やけニャンニャン」は生放送かつ日替わりの司会と素人の女子大生と女子高生が主体になって月曜から金曜の帯番組を作るというこれまでのテレビ番組史上類を見ない挑戦であった。
 
平日夕方5時という視聴率が取りづらい時間帯にも関わらず全盛期は安定して二桁視聴率を取り続けており、1985年秋頃から1986年春頃まではおニャン子クラブの人気が絶頂を迎えていたため15%を超えることもあった。
 
・夕やけニャンニャン 視聴率ランキング
1、18.1% 1985年12月27日 (今年度最後)
2、15.5% 1986年2月11日 
3、15.1% 1985年11月29日
4、15.0% 1986年1月29日
5、14.9% 1985年12月6日
6、14.7% 1986年3月7日
7、14.6% 1987年8月31日 (最終回SP)
7、14.6% 1986年2月12日
9、14.5% 1986年3月28日
10、14.4% 1985年12月26日
 
番組スタッフたちは出演者が学生であることを認識し、テスト期間中や大学受験中の番組欠席を許可していた。また、宿題や課題をスタジオに持ち込んでメンバー同士で教え合ったり、スタッフに勉強を見てもらうこともあった。
 
おニャン子クラブは男子中高生のハートをつかんだ。ちなみに、ナインティナインの岡村と矢部が知り合うきっかけとなったのは、部活の練習中に、矢部がひとつ上の先輩である岡村に「夕やけニャンニャンって見てはります?」と質問したことである。
 
 
【おニャン子クラブの思い出補正コーナー】
 
 
市販されていたメンバーの会員証。スリーサイズが書いてあり個人情報のかけらもない。これは国生さゆりのもの。
 
 
 
当時おニャン子が着ていたので流行ったアパレルメーカーのセーラーズ。1984年に渋谷にオープンし、テレビの影響で全盛期は年商28億円だったという。セーラーズは一店舗(本店)しかなかったうえ、2000年に閉店したため当時のセーターやアウターがレア物になっている。
 
【実録】 おニャン子人間相関あれこれ
 
おニャン子クラブは前述の通り、女の子たちが集まっている。オーディションを勝ち抜いたメンバーと言えども、性格は人それぞれであるため、中には「気が合わない」「鼻につく」という印象を持つメンバーがいてもおかしくない。ここでは有名なエピソードを交えて紹介していく。
 
まず、有名なのは新田恵利と国生さゆりの考えの違いから起こった、二大派閥の誕生である。新田は最初に述べたように「1日5000円もらえるから」という軽い理由でおニャン子に入っている。そのため、芸能仕事にあまり執着しておらず、部活感覚で番組に出ていた。「みんなで楽しくやれたらそれでいい」という考えであり、適当に近くにいるメンバーと話したりして友達を作っていた。一方の国生は新田とは考えが違い、体育会系の男勝りな気質を持っており「せっかくだから爪痕を残してやろう」という考えのもと番組に出ていた。そのため、フロントボーカルとして自分のパートを与えられていた新田をあまり良く思っておらず、さらにその新田のマイペースなスタンツが、国生の反感を買う要因となっていった。
 
それは海外での撮影ロケで明るみに出た。撮影に際してスタッフから「水着になってもらう」という指示があったが、新田は「着たくないです」と拒否した。スタッフたちは慌てて説得したが、彼女の答えはノーだった。会員番号4なので、新田のパートを終えないと次のメンバーの撮影が出来ない。時間が押す。国生は苛立ちを隠せなくなり、同じ考えのメンバーを引き連れて新田の部屋へ乗り込んだ。そして「あんたがやらなきゃ始まらないんだよ!!」と新田に向かって怒鳴った。最終的に新田は水着になったが、これにより新田の肩を持つ者、国生の肩を持つ者で派閥が出来てしまうことになった。
 
新田派と国生派で分かれたおニャン子だったが、河合その子と城之内早苗はどの派閥にも属していない。河合は年長者であるため、双方とも話すようにしており、聞き役に徹することが多かったといわれる。
 
また、立見里歌と石橋貴明は犬猿の仲であったことが知られている。立見は、番組内でタカさんに「顔でかいよね」といじられることが多く、また音痴であることから笑い者にされることがあったため、タカさんをよく思っていなかった。そして、彼女の怒りが爆発してしまう一幕が起こってしまう。とんねるずが出演していた同局の特番で、おニャン子のメンバーの顔写真が掲載されているボードが出てきた際に、タカさんが立見の部分だけわざとゲンコツで殴りつけて破壊するという暴挙に出たため、翌日の「夕やけニャンニャン」において、立見がタカさんに「昨日のあれは何ですか?」とキレた。それに対してタカさんは「なんだよお前」などと言いながら、全く相手にせず「やってられるかこんなの」と叫び、しまいには番組そのものをボイコットしてしまう。立見はあ然。その一連の出来事をうけ、内海和子が立見の肩を持つようになり、立見はとんねるずが番組に出る曜日は休むようになった。
 
 
 
 
企画作成・管理人、昭和を愛する者たち
追記者・管理人
 
2021年3月2日 加筆修正
 
【お詫びと訂正】
読者の方からメンバーの名前の間違いと、「河合その子は主力ではないか」という指摘がありましたので加筆修正しております。