世界への招待 #2 「マチュピチュ」🇵🇪


今から500~600年前に栄えたインカ帝国の都市の跡が標高2430mの尾根にある。多くのインカの街はスペインによって破壊されたが、インカ時代の面影を残す貴重な遺跡として世界遺産に登録されている。

マチュピチュは先住民の言葉で「年老いた峰」といい、雲や霧が遺跡を覆うと、空中に浮かんでいるようにみえる。兵庫県和田山の竹田城跡に似ている。

発見されたのは20世紀

インカ帝国の幻の都「ビルカバンバ」を探していたアメリカ人探検家のハイラム・ビンガムが1911年に発見した。既に帝国滅亡から300年以上が経過しており、ビンガムは「ついに幻の都を発見した」と考えたが、のちにビルカバンバは別の場所にあることが判明している。


ジグザグの道はハイラムビンガムロードといい、600mの高さを登るのに12kmの道のりがある。

天空都市はどうなっている?

山の上だが神殿や段々畑、湧き水を利用した水道まであり、高度や文明が確認できる。これらの設備は全て大きな石を積み上げて作られている。遺跡内に石切場があり、そこからと下の川から運んできたと推測される。


太陽の神殿は馬のひづめの形をした塔で、儀式に使った自然の岩を囲むように建っている。


一枚の岩で出来た「インティワタナ」という天体観測を行った場所。


コンドルの形をしている石があり、この場所は「コンドルの神殿」があった場所であると推測される。


トウモロコシやジャガイモを栽培していた段々畑。

さらに太陽が昇る東の壁に3つの台形の窓が並ぶ「3つの窓の神殿」や、遺跡のすぐ横にそびえる円錐形の山はワイナピチュといわれ標高2720mある。

さらにマチュピチュから173体の人骨が発見されたが、150体が女性のものであったという。帝国軍はスペイン軍に皇帝を殺されたあとも残党が北の山奥に立てこもって戦っていた。男たちはスペイン軍との戦争に出撃するためにここを去って、女たちが残っていたからという説があるが、ハッキリしない。

インカの首都クスコ


インカ帝国は首都クスコからあらゆる方向に道を作り、情報を伝えていた。飛脚は駅伝方式でリレーして1日250km走っていた。食料を保存した宿場があり、インカの軍隊は食料を持たずして行軍していた。

南北4000kmに及ぶ大帝国を築いていたが、スペイン軍はわずか168人の兵で皇帝を生捕りにしてしまいインカ帝国を征服してしまう。帝国軍は石のついた棍棒や槍が20mぐらい飛ぶ槍投げ器や石を投げる道具ぐらいしかなく、スペイン軍は銃や大きな弓、鋼鉄の剣があったため圧勝してしまう。


クスコを守るサクサイワマン砦は丘の上の城である。セメントを使わずして石どうしがパズルのようにハマっていてカミソリ一枚入る隙間すらない。インカ帝国の石工技術は現代にない技術である。多くの建物が残っていたがスペイン軍に破壊されて、今は石の壁以外残っていない。


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次回はエーゲ海 ギリシャへ招待いたします