キュリー夫人とは


1890年代から1934年まで活躍したポーランド出身の女性物理学者であり、夫のジォリオ・キュリーとともにラジウム、ポロニウムを発見し、1903年にノーベル物理学賞を受賞。1911年にも再度受賞している。


死因は研究のしすぎ...?

1933年、胆石を患う。しかし手術をかたくなに拒み、手術を断念。

1934年5月、体調不良を訴えた夫人は研究室を後にした。それ以降、彼女は寝たきりになってしまう。医師からの診断は結核の疑いというもので、結核は当時では致死率の高い病であることで有名だった。

療養先のフランスで再度診察したところ肺に異常は見つからなかった。しかし、再生不良性貧血の疑いが出てきた。

1934年7月4日、夫人は亡くなった。死因は放射能による白血病。当時はまだ放射能に対する知識も薄く、夫人本人も防護対策をしていなかった。夫人は放射線同位体を含む物質を入れた試験管をポケットに入れて持ち運んでいた。

彼女は晩年、長年の放射能被爆で白内障を患い、視力をほとんど失ってしまったという話もある。

皮肉にも娘も22年後に白血病で亡くなっている。


確かにキュリー夫人は研究のせいで自分の命を落とした。