横山やすしとは
昭和を代表する天才漫才師。本名木村雄二。中学卒業後に漫才師デビュー。22才のときに相方の西川きよしと「やすしきよし」を結成。きよしとともに現在の漫才スタイルにおける基礎を作った。彼はたびたび問題行動を起こすことで有名であった。
1970年、タクシー運転手への傷害および無免許運転で逮捕。無期限謹慎を言い渡される。
1973年、最初の嫁と離婚。
1975年、再婚。
1977年、タクシー運転手とケンカになり「籠屋」「雲助」と暴言を吐き、車に蹴りを入れたとして運転手から侮辱罪で起訴される。
1980年、娘のひかりが生まれる。
1984年、渋滞が原因で飛行機に乗り遅れ、自分の番組に穴を開けてしまいそのまま降板してしまう。さらに2度目の無期限謹慎を言い渡される。
1986年、不摂生な生活がたたり吐血し緊急入院。
1987年、吐血後の記者会見で禁酒すると言っていたのにもかかわらず酒気帯びの状態でテレビ出演。ゲストに食ってかかるなどの行為から、舞台裏でマネージャーからビンタを受けて怒られてしまう。
1988年、二日酔いを理由に番組出演をドタキャン。
同年、息子が傷害事件を起こしてしまう。記者たちに「俺は息子に厳しく教育しとる」「男はケンカするくらいが丁度ええ」とコメント。しかし、息子が一方的に暴力を加えた結果、相手が重症を負ったと聞き号泣。息子の責任を負うために自分で無期限謹慎を申し出た。
1989年、芸能界に復帰。しかし復帰から3日後にバイクと接触事故を起こしてしまう。事務所重役がついに契約解除を言い渡した。
彼は仕事を失ったため、酒浸りになり趣味に没頭するようになった。嫁はNHKの集金のパートをして当時まだ小学生だった娘を養うために必死に働いた。彼はそんな嫁に密かに感謝を込めた一曲の歌を作ったという。
1992年、Vシネマで芸能界復帰。そして政界に進出するために「風の会」として参議院選挙に出馬するも惨敗に終わる。彼は落選した理由として「国民はアホや」と暴言を吐き批判されてしまう。
さらに選挙後に訪れたバーで突然ビール瓶で何者かに頭を殴られる重症を負い病院に搬送された。事件から25年経った今でも犯人は特定できず時効成立している。その衝撃で一時期失語症になってしまう。後に回復。
1995年、京都府八幡にある岩清水八幡宮の太鼓まつりのゲストとして姿を見せるも極度に痩せ細り、足元がふらついており全盛期を知る参加者はその姿に驚いてしまった。10月10日に兵庫県芦屋の照善寺での落慶奉納イベント出演が最後の公での登場となった。
1996年1月21日、自宅で寝たまま意識を失っているところを家族に発見される。その時既に呼吸が停止していた。病院に搬送されるも死亡が確認された。享年51歳。解剖の結果、体内から大量のアルコールが検出された。死因はアルコール性肝硬変と断定。
さらに生前の彼はすごいもので30代で借金をしてセスナ機や競艇用ボートを購入したり、息子を社会勉強のためにラスベガスへ行かせたりする破天荒ぶりであった。
さらに何人か弟子を取っていたが少しでもミスをすると鉄拳制裁をしたり、同じミスをすると破門にするなどの極端なスパルタ教育をしていた。
全盛期の年収は現在の値に換算すると数億円に達していたが、さっき話したとおり自分の趣味に多額の資金をかけるために借金をしていた。セスナに関しては「死ぬときはこれと一緒に死ぬねん。空飛ぶ棺桶や」と言っていたが差し押さえで手放すことに。弟子のひとりの話によれば月収は全盛期7000万あったが、家族には月30万しか入れていなかったらしい。
だから今、破天荒芸人という肩書きで吉村が自分の愛車に蹴りを入れたりしているが、横山やすしという破天荒には到底及ばないのだ。