爽やかで心地よい風にポカポカ陽気、過ごしやすい季節になった。
犬散歩中の道路沿いやあぜ道に濃紅色のノアザミの花が目立つ。
私が高校生の時に亡くなった母は
伊藤久雄の唄う「あざみの歌」が好きだったので、
春に咲く濃紅色のノアザミの花を見ると母を思い出す。
「あざみの歌」歌詞
「山には山の愁いあり
海には海のかなしみや
ましてこころの花園に
咲きしあざみの花ならば
高嶺(たかね)の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
くれない燃ゆるその姿
あざみに深きわが想い
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は果てなくも
香れよ せめてわが胸に」

「あざみの歌」作詞家の横井弘は
1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲で自宅が全焼。
同年6月に召集され茨城県で初年兵として沿岸防備隊に。
8月15日の終戦で軍隊から復員したものの、
戦後のどさくさで帰る家を失くし、知人のいた長野県下諏訪町に転居。
湖畔や周囲の山々を歩き詩作にふけった。
長野県の霧ヶ峰の国定公園、八島ヶ原湿原、車山湿原、踊場湿原の
3つの湿原は天然記念物に指定されているが、
横山は八島ヶ原湿原で野に咲くアザミの花に、
自身の思い抱く理想の女性の姿をだぶらせて綴ったのが「あざみの歌」。
昭和の名曲だよね、母がよく口ずさみ、そのせいか私もこの歌は大好きだよ。

アザミの花言葉は「私に触れないで」「安心」「独立」「厳格」「高潔」。
「美しい花にはトゲがある」
というように、アザミの葉には鋭いトゲトゲがある。
アザミはスコットランドの国花。
スコットランドは8世紀~13世紀、ヴァイキングの侵攻に苦慮。
深夜に侵入してきたヴァイキングの兵士が刺のあるアザミを裸足で踏み、
痛みに耐えかねて大声を出したことで、
スコットランド兵がその侵入に気が付き敵兵を撃退したことから、
アザミは勝利の花として称えられ
「アザミはこの国の象徴となった」
というのだけど、
花言葉の「私に触れないで」は、
触れると危険なトゲにちなんでつけられたもの。
アザミの花言葉「安心」「独立」「厳格」「高潔」も、
トゲで周囲の危険から身を守るというスコットランドの逸話に
ちなんでいるんだね。

アザミは、キク科アザミ属およびそれに類する植物の総称。
分布地は北半球の温帯で、世界には250種以上のアザミが存在。
日本にも100種以上あるらしい。
日本での開花期は4~10月頃で花色は紫や赤が多いが、白や青の花もある。

これは沖縄のアザミ「シマアザミ」、海岸に分布する多年草。
本土のアザミと比較すると「シマアザミ」の花は白かピンクがかった白色で
葉もトゲも大きい。
沖縄では冬以外は裸足にサンダルだからシマアザミ付近は痛くて歩けんさ。

うちなーぐち(沖縄方言)では
「でぇーじ、あがー(とっても痛いよ)!」
なんて瞬間的にこんな言い方したら
「うちなーんちゅ やっさー(沖縄の人だろ」
と言われるはず。

「アザミ」という名前も葉のトゲが由来しているらしい。
諸説あるが「アザミ」を摘もうとするとトゲが刺さり痛くて驚くことから、
「驚きあきれる、興ざめする」
の意味をもつ古語「あざむ」が語源といわれている。

アザミの名は古事記や日本書紀はもちろん、
万葉集、古今和歌集でも見当たらないし、
三大随筆「枕草子」「徒然草」「方丈記」にもありそうで出てこない。
昔から野にある春の花なのに。
10世紀初頭、平安時代の南都(奈良)の僧・昌住(しょうじゅう)が編纂した
日本最古の漢和辞典「新撰字鏡(しんせんじきょう)」に
アザミは「阿佐弥」と出てくるのが最初?
葉のギザギザの切れ込み「ギザ」が「ガザ」になり、
さらに「アサミ(=阿佐弥)」に転じた。
「ミ」は実のことというのだが…。
平安時代中期の辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には
「葉には刺多し。阿佐美」
と出ている。
明治時代、日本初の近代的国語辞典「言海」の編纂者・大槻文彦は、
アザミについて
「葉にはとげが多く、うっかりこれにふれると痛い目に合う、あざむかれる、
これから来ているのではないか」
との仮説をあげている。

アザミの乾燥した根は、漢方として
「2~4 gを煎じて、1日3回服用」
すると、
「利尿、神経痛」
に効果があり、
「はれもの」
には生の根をすりつぶして、患部に直接貼る。
「健胃薬」
には、
「1日量として乾燥した根 15 gを煎じ、3回に分けて毎食前30分に服用」
する、と。
興味がある人はやってみて。

北原白秋 「おもひで」より
「薊(アザミ)の花」
今日も薊(アザミ)の紫に
棘(とげ)が光れば日が暮れる。
何時(いつ)か野に来てただひとり
泣いた年増(としま)がなつかしや。

「富士に在る 花と思えば あざみかな」高浜虚子
「花は賎(しず)の めにもみえけり 鬼薊(あざみ) 芭蕉
「わが儘(まま)に のびて花さく 薊(アザミ)かな」 永井荷風
紫の 花に刺(とげ)ある 薊(あざみ)哉」正岡子規
振袖を かざして通る あざみ哉」 正岡子規
「世をいとふ 心薊(アザミ)を 愛すかな」正岡子規

「薊(あざみ)の花も一盛(ひとさか)り」
これは、
「器量のよくない女性であっても、
年頃になるとそれなりの魅力や色気が出るものだ」
という喩えとして使われた言葉。
現代ではセクハラだよね。