三重県の過疎の実家に帰省して3年目になりました。

三重県は昔は「伊勢の国」。
十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」は伊勢街道で伊勢神宮に向かう旅ですが、題名に「東海道」とあるように伊勢も東海道に属しています。
私の住んでいる所は「中勢(ちゅうせい)」。

三重県は「北勢」「中勢」「南勢(伊勢志摩)」「伊賀」「東紀州」と5つに区分されていて、「中勢」とは県の中部地域を指します。
若い頃は実感がなかったけど、帰省してみて伊勢の国の古い歴史を痛感し誇りに思えるようになりました。

ちょうどコロナ大流行時期の帰省で、看護師の姉からは
「高齢者が多いからコロナを住民に感染させたら、もうそこには住めないよ。感染していて発熱やせきなど無症状かもしれないから2週間は近隣にも挨拶に行かないように」
と厳重に忠告されていたので、実家で収納する部屋別にダンボールを振り分け、ひたすら梱包荷物の開封と配置に専念。

両親が他界して長いこと空き家だったので電気は解約されていて新規申し込みになり電気開通は10日ほど後に。
水道は数日後開栓。
薪ストーブを使うのでガスは不要。

電気や水道が使えるまでは、飲料水は湧き水をポリタンクに入れ、食事はコンビニ弁当で済ませていました。
電気はなくても明け方に起床し日暮れに就寝すればいいのだから生活は何とかなったけど、
数日後から親戚などが
「どうして挨拶に来ん?」
とやってくるようになり(しかもノーマスク)、
遠縁の爺さんからは
「ゴミは捨てさせない!」
と怒鳴りつけられてしまいました。

要するに
「自治会に入会しないと組のゴミ集積場にゴミを持ち込んではいけない」
というのですが、

それなら誰が会長で会則とか会費とかの説明が先じゃないの?
私が古里を出るまで自治会なんてあったのかな?
そもそも自治会っていつ出来たの?

行政に電話したら介入したくない対応。

檀家の人からは
「檀家の常会に挨拶に来い」
と。
私は20歳まで実家で生活していたんだから挨拶する必要ある?

帰省して歓迎してほしいとは思わないけど、知り合いは年をとり風貌も変り果て

私は浦島太郎感を覚えてしまいました。


しかもいろいろ理不尽なことが多くて
「ここは何時代?戦前?」
と思ってしまいました。


「無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり 智眼(ちげん)くらしとかなしむな」
親鸞の最晩年の著作「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」の一節。

「いつ明けるか分からないほどの暗く長い夜の中であっても、私を照らす大きな灯(ともしび)がある。
 そうであるから、智慧(ちえ)がなく、愚かさを避けることのできない身であっても、その自分をかなしむことはない。」
という意味ですが、
実家に帰省して「やれやれ」と思ったら苦行僧の心境で暮らすことになるなんて…。

1945年8月15日、昭和天皇が玉音放送で読み上げられた「終戦の詔書」の一節、
「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び…」
帰省3年目に入り、不条理な田舎社会で生き抜く術(すべ)というか、
ここに染まるのではなく、自分らしさを失わないように生きてやろうと覚悟して
私が日ごろの生活で感じたことや氣づいたこと、こだわり、家族のワンちゃんやお茶農園などについて、思うまま綴っていこうと思います。