目標を決めた。
音楽の事は勿論死ぬまでやりたい。
けれどモチベーションの問題や感情の起伏が大きすぎる事、考えたら止まらなくなる思考と悪い事ばかり考えてしまう事。これらをどうにかしなければ正直無理だって事に気づいた。
なので病院に行ってみようと思う。
あと家から出る事。
そのためにはまず仕事を見つけてお金を稼がないといけない。
病院は正直めちゃくちゃ怖い。
弟は躁鬱でばあちゃんは鬱。
親、爺ちゃん婆ちゃんに知られたくは無い。
人の多いところだと頭が働くなることもそうだし、文字を書くときも手が震える。
雨の日や気圧の変化がすごい日は身体が熱が出た時みたいに身体が寒くてダルくなるしメンタルも落ちる。
会話も早く話す人の前だと理解が出来なくなる。
一時期それで困っていた時は会議を録音してそれをもう一度家や職場の休憩中に聞き返していた。
施工管理をやっていた時は休憩中も常に図面を見て施工計画書をチェックして、写真を確認してを繰り返していた時、職人の方に肩の力を抜かないとやられちゃうよと言ってもらえた事があった。少し泣きそうになったが堪えてありがとうございますと返した事は今だに覚えている。
色々な動画を見てみたり、本を一時期読んでみたり、仏教の動画を見てみて何かヒントは無いか探してみた。
仕事を辞めて約半年、今だに悲しさや苦しさを自分が自分で作り込んでしまっている事も多少は理解できた。
けれど自分1人の力だとどうしようもない事に気がついた。
僕の家族というのはそういう事に関して一切関心を持っていない。というか見たく無いようにも見える。
弟やお婆ちゃんの一件があってからというより僕を僕としては扱って来てくれた事が無い事に気づいた。
努力でどうにかしろ、俺もそうだ、世間はこうだ。それが染み付いてしまっていた頃は疑問も抱かなかったが、この嫌な感じというものの原因は少しわかって来た気がする。本当の意味で親身になってくれた事が無いようにも思えて来た。
言葉をそのまま受け取ったら聞こえはいい言葉も意味や相手の思っている事を考えるとそう思えて来た。
頭がこんがらがって来たのでこの話はやめます。
人間関係も正直めちゃくちゃ減らしていて、本当の1人の時間というのが苦にならなくなってきた。
僕は影響を受けやすいタイプだと思っていて、怒っている人がいれば影響を受けるし、それを何日も、下手したら一生記憶に残ってしまっている。
それのせいか友達からも記憶力が凄いと笑われることもある。
保育園の友達の家の間取りも今だに覚えていて、泊まりに行こうとするたびに熱を出して悲しかった思い出も覚えている。
その話をした時に2回にトイレを増設した話をされて友達に笑われた。
友達も多ければ良いってものじゃない事は知っているし、知り合いが多かった時期もあったが別に楽しいものでも無かった。
大切なのは自分を理解してくれる人間という事だと思う。自分が自分を本当の意味で曝け出せる人間がいるだけで僕は本当に嬉しい事だと思うし、毎度会うたびに感謝の気持ちで一杯になる。多分これも一種の幸せってものなんじゃないかと思えるようになってもきた。
動画や映画にも影響を受けやすいのもあって
今だに大好きなバットマンの映画。
ジョーカーだけは見れていない。
SNSをやらないのもこれが理由でしたく無い。
人が見ていないであろう前提で書いているので、アメブロは気が楽で良い。
とりあえず書きたい事を書くだけ書いたので、支離滅裂な並び順になってしまったと思うがとりあえず書きたいことは書けたと思う。
しかし音楽が全く聴けなかった時期に比べるとだいぶ進んだ気がする
お陰様で音楽と友達にだいぶ助けて貰えているのは本当に奇跡と言っても良いのでは無いのだろうか。