中学校は1年間だけ自転車通学できた。
2年3年は歩いて通ってた。
どうして覚えているかと言ったら
自転車のスタンドを悪ガキクラスメート
に壊されたことがあるから
中1の時学校でボール投げが流行っていて
僕も友達と遊ぼうと学校に持って行った事がある。
クラスの悪ガキ大将に貸してあげたら
なかなか返してくれない
返してと言っても4~5人でパス回しで
らちが明かない
いい加減僕も怒って
その中の弱そうなやつをめがけてつかみかかった。
彼は勉強もできるし喧嘩も強いという噂みたいだったが
意外に大した事なくて
半べそになりながらボールを返してくれた。
また今度は正式にボールを貸してくれと言ってきたので
貸してやった。
もうあのボールは正常な形では戻ってこないなと覚悟したら
その通りだった。
そしてそのころの僕の通学手段が自転車で
自転車も無事じゃなかった。
スタンドが力任せに押し曲げられて使い物にならなくなっていた。
それが原因だったかどうかわからないが
そのグループの中の悪ガキ大将に僕が目を点けられていて
ある時取っ組み合いのけんかになる。
たしかに弱い奴じゃなかったけど、こっちもここで負けたりしたら
後々示しがつかない。
力づくでねじ伏せた。
ただそれ以上やると怪我させるし悪ガキグループと面倒になるのも嫌だから
そこでやめてやる。
そういう思い出があるから中1の時は自転車通学だったって忘れないね。
中3になった時中1の下級生が校舎の窓から僕に唾を吐きかけて来た
またあいつか!と僕はそいつを追いかけて行った。
するとその1年生は僕と一戦交えたことのある悪がき大将の陰に逃げ込んだ。
僕は小学校の時ソフトボールをやっていてポジションはキャッチャーだった。
監督さんはピッチャーとキャッチャーのお前とお前は5年になったら
レギュラーにするからと目をかけてくれていた。
しかし交通事故に遭いもうみんなからあそこの息子は死んじゃうよと言われ続けて
20日間冥界をさまよった後意識を取り戻してもどってきたら
後遺症でそれまでの才能がみんな無くなっていて
ソフトボールでも利き腕の力は弱くなり、
ボールを離すときの脳の指令がうまく指先に伝わらず
相手の胸元にボールが投げられなくなっていた。
あだ名は万年補欠になって下級生からもいじくられるようになって
その中でも特にしつこかったのがその子だ。
そして何かあったら俺の所へ逃げ込んで来いと
悪がき大将と話が付いていたのだろう事は簡単に分かった
そこで僕はむしろチャンスだと思った。
僕は悪がき大将は怖くない。その昔喧嘩して押さえつけてやった
そこで、どすを聞かせて「▽▽どけよ!」という。
すると悪がき大将は「○○はやめておけ」と言っていた。
あのちびビビったろうなとスッキリした。
別にいじめる心算はないからそれで許してやったけど。
僕は君が思ってるような人じゃないんだよと。
それからは僕に対して何もしなくなった。
あの時の悪がき大将はもう亡くなってしまった。
僕が弱そうだとめがけて行った奴は校長先生になって
うちの隣の学校で定年まで勤め上げたね。
うちの息子君が不登校同然になった時
頼んで励ましに来てもらったよ
中学校を卒業するときに
「10年後に何になっているか楽しみなやつだ
友達でいような」言ってくれたのがうれしかったね
僕は交通事故で体が不自由になって
そんなことを言ってくれる人はいなかったから。
元校長先生はもう忘れているだろうけどね。
だからというわけじゃないけど
それも僕が法律家になりたかった一つの動機だったかな。
頑張っても届かない夢だったけど。