昔から気が付いていたんだけど

僕が思う事と反対の事が

よく起こる。

 

だから「車検が終わった時

車検工場に誰が連れて行ってくれるの?」

と聞かれたときに

じいちゃんが行ってくれるんじゃないかと

言ったら

仕入れ先で全身の激痛でじいちゃんそれどころではなくなった。

もう91だからね

これで運転は終わりと言う事になるかもしれない

運転中に動脈乖離とか

最悪の結末じゃなくてまだ救われた。

 

しかし僕がじいちゃんが送って行くなんか言ったから

じいちゃんの体がおかしくなったなんて

僕のジンクスのせいだったらとても気の毒。

 

実はあの晩重い道具バケツのほかにも思い当たることがある。

もらってきた大量の段ボールを倉庫の前に

置きっぱなしにしておいたんだ。

ま、自分で片付ける心算だったんだけどね。

 

じいちゃんがそうなった原因が僕にもあるような気がして

どうもすっきりしない。

僕がもう少し動けばよかったかな。

 

生前、ばあちゃんは言っていたそうだ。

「楽しみにしているとそれと反対のことが起こるんだ」と

1970年の万国博覧会に夏休みみんなで行こうと予定していた。

ところが僕が交通事故に遭い瀕死の重傷を負い

植物人間一歩手前になる。

母親にも僕と同じようなジンクスがあったみたいだ。

もう3年も経つんだ。ばあちゃんが逝ってから。

 

じいちゃんが

「お金をおろしてくれ。

俺は体が痛くて行けない

暗証番号を教えるよ」

そう言って教えてくれた。

 

それを聞いてその場を立ち去ろうとすると

「もうそれだけでいいのか?

何かに控えて置かないと忘れるんじゃないか?」

そう聞いてくる。

 

「平気だよ、それは小学校4年の時に俺が交通事故にあった日だ」

これって偶然だろうか

どうしてこんな番号を暗証番号にしたんだろうか?

僕が事故に遭ったのはじいちゃんの軽はずみな指示のせいだ。

その反省を込めてそういう番号にしたわけじゃないだろうな。

だったらまだ見どころがあるが。

 

じいちゃんは驚いたかもしれない。

 

こんなジンクスや偶然は僕の周りにはいっぱいある。

みんなもあるんだけど

ぼくより目まぐるしい生活を送っていて

大した事じゃないから

そんなことにかかわっている暇がないんだろう。

そういう事かな。