いやあこれでも若いときは
自分は持てるから
結婚したきゃすぐ相手は見つかるさ
今はとにかく法律家になる事が先決だ
そう考えて必死に勉強していた。
そして自分が受かる事が
自分に降りかかった交通事故の障害に
打ち克ったことになる
そう思っていたけど
先輩や友達や後輩がそれぞれ
裁判官や検事や弁護士になって行くのに
僕にはいつまでも順番が来なかった。
これ以上続けると
平和な家庭を作るという僕の人間としての幸せも
望めなくなると思い夢は断念した。
しかし若い頃の勢いははたまた幻想だったのか
なかなか相手は見つからず、
また親が僕に掛ける妙な期待も邪魔をして
結婚相談所めぐりがルーティンワークになり
もう嫌だと言う所で巡り合ったのが彼女だった。
とてもきれいな人で大企業で働いていたこともあり
年齢も24歳。僕が42歳になっていたから夢のようだった。
親に彼女に決めるよと言って結婚することにしたが
18も年下の美人が来るにはやはり事情があった。
少し精神的にダメージを受けた人で薬も服用していた。
しかしそこのところは僕が支えてあげれば
うまくいくだろうと思っていた。
僕はどこかへ働きに出るわけでなく自営業だ
子供が欲しいという希望は断ちたくなかったので
精神科に行って「薬の服用を止める事はできないですか」と聞いて見た
すると「できない」という話で僕は帰りに電車の中で
恥ずかしげもなく泣いた事を覚えている。
すると彼女の母が「昔通っていた病院の先生に相談しましょう」と
言ってくれた。
先生は「大丈夫でしょう」と言って服薬を中断することを認めてくれた
「精神薬が本当に必要なのは患者の4人に1人なんです」と
そして彼女と晴れて結婚した。
薬の服用が無くなった彼女の性格は
まったくの別人だった。
かわいくて良く微笑んでくれる
素晴らしい人だった。
旦那さんが出来たら生まれ故郷を案内したかったんだ
そう言って一緒に行った旅行も楽しかった。
城跡で撮った一枚の写真は
本当に女優さんみたいだなと思う。
そして子供にも恵まれたが
彼女の親がまた変わった人だった。
子供を連れて行ったまま自分のところで育てますと言って
返してくれない
父親と一緒に出向いて行っても居留守を使われる始末だった。
まるで娘に子供を産ませたいがために僕を選んだみたいだ。
それでもあきらめるわけにいかず返してくださいと言い続けたら
やっと返してくれる事になる。
自分の娘には「旦那さんに新しい女が出来たらあなたは身を引きなさい」
と常に吹き込んでいていた。
常識的じゃないなと思った。
普通は反対だ。
普通の平和な家庭を作りたいと思っていて念願の子供を産んでもらった僕が
若い奥さんの前でそんな事をするはずがない。
しかし歯車は僕が思っていない方向に進んでしまった。
僕の印象としては彼女は地元の中堅企業に採用されたりと
普通の人だけど、親の支配が強すぎるんだなと気が付いた。
いわゆる毒親だ。
しかし彼女は親の言いなりで離婚と言う所まで突き進んでしまう
彼女は自分で市役所に行って離婚届を持ってきて僕にサインさせた。
「本当にいいのか?別れたらもう結婚できないよ。」
僕が念を押してもいいという事で彼女の言う通りにするしかなかった。
それからもしばらく逢瀬を続けたが、みんなが、特に彼女自身が
限界だと感じたところで本当の別れとなった。
義母と話す機会が数年前にあった。
あの年で再婚して姓が変わったという事だった。
確かに大昔大企業で働いていたというだけに
仕事はできる人でとても気の利く人だった。
彼女は残念なことに
病院から離れられない人になってしまったという。
その彼女とほとんど20年ぶりに会ってくれという。
僕の今の人生に欠かせない人だったから断れないし
そうするつもりは全然ない。
彼女にはすごく感謝している。
何人かやはり申し込んできた人がいたそうで
その中で僕を選んでくれたんだ。
しかし、もうすべての状況が変わっていて
「息子くんには会わせられないよ」と釘を刺しておいた。
折角そう言う事とは無縁の世界にいる彼を余計な波紋に
交わらせたくないから。
薬の服用を中断することを認めてくれた先生は
「自分は4人に1人が本当に精神薬が必要なだけだなんて
言った覚えはない」と前言を翻した。
まあそれで何かあったら中断を認めた先生の
責任になるからかなと僕は思う。
もう昔の話で今生きているかはわからないが。
いろんな人生があるね。
僕も学校の先生か普通の公務員になっていれば
まったく違う生き方だったろうな。